今日で1年、、、
偶然にも1年前の3月11日にいらっしゃったお客様が今日もネイルをしていってくださいました
あの日、あたしは午前中お店にいて午後からネイルの用事で仙台に向かうバスの中で今まで経験したことのない地震の揺れに驚きました
尋常じゃない揺れに焦って家族に電話したものの繋がらず、彼氏と電話が繋がったときは
『津波がくるから今から逃げる』
と言われました。
えっ?津波?
電話口の焦りようからして、いつもの津波注意報のレベルではないんだと思いました
そこから電話が切れると誰とも電話が繋がらず、不安で不安で、、、
雪が降ってて仙台の駅前は大混乱でした
電車も止まって、石巻に帰れる手段はバスだけで。。
信号待ちやバス停を通る度に寒さで震えてる人たちがバスに乗せてほしいと押し寄せてきました
乗ってたミヤコーバスの運転手さんがものすごく優しくて、一晩中暖房をつけて車内を温かくしてくれて、飲み物や乾パンももらいました。
不安で泣いてたあたしを気遣ってくれました。
次の日石巻のイオンにバスがついてイオンから家に帰ろうと無事だった車を走らせました
不安をごまかしたくて、車ではアヴリル・ラヴィーンの歌を大音量でかけながら走りました
でも、家に帰る全ての道が津波のせいで通れなくて、3日間イオンのフードコートに段ボールを敷いて寝ました
3日経っても家族とは連絡が取れなくて、2日目に再会できた彼氏と、偶然イオンで一緒だった地元の後輩と4人で、実家を見に行くことにしました
地元は想像以上の被害で、地元なのに今どこを歩いてるかわからないくらい
津波に巻き込まれた方の遺体も何人か見ました
かろうじて実家は建っててくれて、親とも実家で再開できました
本当に運が良かった
誰もが津波に巻き込まれてもおかしくない状況にあって、助かったのは本当に奇跡だと思います
それから毎日家の泥かきや食料の調達に何時間も並ぶってゆー生活が続きました
電気や水道が通ったのは一ヶ月以上経ってからでした
毎日ラジオでは『頑張れ東北!頑張れ石巻!』と流れてましたが、
家も職場も津波の被害にあって、毎日お風呂も入れないまま泥かきをして毛布にくるまりながら震えて過ごしている状況でこれ以上何をどう頑張ればいいのかって悲観的になったりもしました
ネイルもボロボロで、気分が上がるのはネイルの雑誌を見てるときだけで、暗くなるまでネイルの雑誌を眺めてました
電気が通ってすぐに、『泥かきは放棄した!』と言わんばかりのカラフルなロングスカルプを付けました
やっぱりあたしはネイルをしてる時が幸せだと実感した瞬間でした
ネイルの仕事も諦めようとかましたが、掃除をしてきれいになってく店を見てたら
『頑張れば再開できるんじゃないかなぁ』
って思って準備を始めました
5月には店を再開することができて、思ったよりお客様も来てくださいました
『泥かきばっかりでイヤになったら気分転換にネイルしにきた~』
って
本当に再開することができて良かったです
あれから1年という節目をどう受け止めたら良いかわからないけど、時間の流れは早いですね
瓦礫もほぼ無くなり、新しいお店も次々オープンして、地元の住宅街だったところは何にもないさら地になりました
ここまでの復興はまさに『絆』と言うものがなければできなかったと思います
少ない食べ物を近所で分けあったり、吹雪の中自転車で2時間以上もかけて食べ物を運んでくれた親戚とか
皆が大変なときにビックリするくらい皆が優しくて、『絆』なんてこんな経験しなかったら考えなかったことだと思います
長々と1年前を振り返ってますが、まだまだ文には書ききれないこともありますが、、、
2度とこんな災害がないように、ただただ願うだけです。
犠牲になった方々の魂が少しでも安らかになりますように、、、
Android携帯からの投稿
偶然にも1年前の3月11日にいらっしゃったお客様が今日もネイルをしていってくださいました

あの日、あたしは午前中お店にいて午後からネイルの用事で仙台に向かうバスの中で今まで経験したことのない地震の揺れに驚きました
尋常じゃない揺れに焦って家族に電話したものの繋がらず、彼氏と電話が繋がったときは
『津波がくるから今から逃げる』
と言われました。
えっ?津波?
電話口の焦りようからして、いつもの津波注意報のレベルではないんだと思いました
そこから電話が切れると誰とも電話が繋がらず、不安で不安で、、、
雪が降ってて仙台の駅前は大混乱でした
電車も止まって、石巻に帰れる手段はバスだけで。。
信号待ちやバス停を通る度に寒さで震えてる人たちがバスに乗せてほしいと押し寄せてきました
乗ってたミヤコーバスの運転手さんがものすごく優しくて、一晩中暖房をつけて車内を温かくしてくれて、飲み物や乾パンももらいました。
不安で泣いてたあたしを気遣ってくれました。
次の日石巻のイオンにバスがついてイオンから家に帰ろうと無事だった車を走らせました
不安をごまかしたくて、車ではアヴリル・ラヴィーンの歌を大音量でかけながら走りました
でも、家に帰る全ての道が津波のせいで通れなくて、3日間イオンのフードコートに段ボールを敷いて寝ました
3日経っても家族とは連絡が取れなくて、2日目に再会できた彼氏と、偶然イオンで一緒だった地元の後輩と4人で、実家を見に行くことにしました
地元は想像以上の被害で、地元なのに今どこを歩いてるかわからないくらい
津波に巻き込まれた方の遺体も何人か見ました
かろうじて実家は建っててくれて、親とも実家で再開できました
本当に運が良かった
誰もが津波に巻き込まれてもおかしくない状況にあって、助かったのは本当に奇跡だと思います
それから毎日家の泥かきや食料の調達に何時間も並ぶってゆー生活が続きました
電気や水道が通ったのは一ヶ月以上経ってからでした
毎日ラジオでは『頑張れ東北!頑張れ石巻!』と流れてましたが、
家も職場も津波の被害にあって、毎日お風呂も入れないまま泥かきをして毛布にくるまりながら震えて過ごしている状況でこれ以上何をどう頑張ればいいのかって悲観的になったりもしました
ネイルもボロボロで、気分が上がるのはネイルの雑誌を見てるときだけで、暗くなるまでネイルの雑誌を眺めてました
電気が通ってすぐに、『泥かきは放棄した!』と言わんばかりのカラフルなロングスカルプを付けました
やっぱりあたしはネイルをしてる時が幸せだと実感した瞬間でした
ネイルの仕事も諦めようとかましたが、掃除をしてきれいになってく店を見てたら
『頑張れば再開できるんじゃないかなぁ』
って思って準備を始めました
5月には店を再開することができて、思ったよりお客様も来てくださいました

『泥かきばっかりでイヤになったら気分転換にネイルしにきた~』
って

本当に再開することができて良かったです
あれから1年という節目をどう受け止めたら良いかわからないけど、時間の流れは早いですね
瓦礫もほぼ無くなり、新しいお店も次々オープンして、地元の住宅街だったところは何にもないさら地になりました
ここまでの復興はまさに『絆』と言うものがなければできなかったと思います
少ない食べ物を近所で分けあったり、吹雪の中自転車で2時間以上もかけて食べ物を運んでくれた親戚とか
皆が大変なときにビックリするくらい皆が優しくて、『絆』なんてこんな経験しなかったら考えなかったことだと思います
長々と1年前を振り返ってますが、まだまだ文には書ききれないこともありますが、、、
2度とこんな災害がないように、ただただ願うだけです。
犠牲になった方々の魂が少しでも安らかになりますように、、、
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