3年と数ヶ月前。
私は何処で何をしていたのだろう。
誰を想い、何に没頭し、何に夢中で何が好きだったのだろう。
夏休みには何処へ行ったのかしら。
あの人を失ってからというもの、どうして失ったのか失わなければならなかったのかを、ここ数日ずっと考えている。
今、珍しく仕事に余裕があるからかもしれない。
これだからだめだ、忙しくしていないと体重と過去への時間ばかり増える。
忙しいと文句が増えるくせに。
女というのは現金で最悪だ。
という、何かの小説で読んだ通りで笑ってしまう。
彼以外のことが何も思い出せない。
その間、恋も仕事も不良もたまの勉強も、色々散々ほうぼうして来たはずなのに。
今回ももれなく死ぬかと思った恋
と、このブログのどこかにも書いている。
でも案の定私は死んでいないし、死ぬかと思った感情すらももう思い出せない。
かろうじて、それが誰とか彼とかは分かるけれど。
それに。
今ではその人達と仕事上普通に会話をしたり、飲み足りない週末のバーで会ったりしている。
人として好きという感情はそのまま、男性として求める感情は全くないまま、なんとあの時の感情を思い出すことのないまま。
我ながらびっくりなのだ。あっぱれと言えるのかもしれない。
そして、それはとても幸福なこと。
その時々を思い出すと
彼らに恋をしながら、いつも私の中にはあの人が居たのだなぁと思う。
私の大切なカンカンの中みたいな場所に、きちんとお行儀よく。
その時の彼らと笑い合いながら、見惚れながら、幾つもの週末を過ごしながら。
あの人と会う時はいつも完璧だったし、いつもご機嫌だった。
いつも1番じゃなかったけれど、いつも1番私らしかった。
ありのままでいられることが楽しかった。
ありのままぺちゃくちゃ喋って美味しいね楽しいねとスキップ出来ることが楽しかった。
そんな自分がお気に入りだった。
出会ったあの日、100回可愛いと言いながらずっと私の隣にいたこと。
初めてデートしたあの日、素晴らしいレストランから見える空は青く澄んでいたこと。
美術館に行ったあの日、この人は私の好きに付き合ってくれていると知ったこと。
夜遅くまでお酒を飲んだあの日、大好きな家族の話を熱烈にし合ったこと。
初めてラグビーを観戦したあの日、この人が活躍していた過去を見たいと思ったこと。
あの人の住む遠い街に会いに行ったあの日、近所の汚い中華屋セレクトに感激したこと。
東京へ異動になったと電話が来たあの日、私は思わず叫んでジャンプしてしまったこと。
自慢のオーディオでシンデレラを流してくれたあの日、とても幸せだと思ったこと。
クリスマスにデートをしたあの日、もう詮索には意味がないとお互い気付いたこと。
寝ぼけた私にコーヒーを淹れてくれたあの日、やっぱり冬の朝は素敵と思ったこと。
珍しく数人で飲んだあの日、常に私を守り庇い弄るあの人にすっかり安心したこと。
朝まで何もせず並んで眠ったあの日、この人を好きになってしまったと思ったこと。
でも。
でも、もう終わってしまったこと。
もう恋とかではない、私とあの人の物語。
手すら繋ぐこともなかった、長い長い物語。
本当は、これぞ恋だったのかもしれない。
好きで好きで楽しくて美味しくて、だから会いたくて。
恋ってそれだけなのかもしれない。
あの人を大切にすれば良かった。
手、繋いでみれば良かった。
あの人のことが大好きだった。
この時期のりんごはまだ酸っぱい。
そうね、今夜はジャムを煮よう。