加賀乙彦オフィシャルブログ
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   2011年11月。36年ぶりのモスクワである。私の長編『宣告』のロシア語訳が完成し発売されたので、翻訳された本の宣伝とともに日本文学に関心のある人びととの交流を深めたいと思った。ちょうどその頃、この首都で国際ブックフェアが開かれたので、そちらにも参加して、二つの講演をした。

 

  空港の様子はすっかり変わっていた。以前は、蛇のようなパイプの天井で、いたるところに警官が立っている薄気味悪いような所だったが、今は穏やかな彩色で、私のような心臓のペースメーカーをつけた身体障害者も磁気の鉄探知門を通らずに無事に通過できた。

 

  街に出て驚いたのは、車の大洪水だ。汚れた泥だらけの車が快速で飛ばしていた。その合間を通行の人たちが悠々と渡っている。

  繁華街に出ると、世界各国の料理屋がずらりと並んでいる。日本料理の店が多いのにすぐ気がついた。クレムリンの赤の広場は、何か工事でもしているのか、大小のガラクタが積み上げられていたし、宮殿の中にある教会堂は自由に見物できた。

  私たちのリーダーは、東大教授(当時。現在は東大名誉教授。名古屋外国語大学副学長)沼野充義氏、お供は作品社の増子信一氏と集英社の金関ふき子さんで、みんなが年寄りの私の足元の凍った道を親切に手をとって歩いてくれた。

  三島由紀夫をロシアに紹介したことで有名になったボリス・アクーニン氏と昼食を共にした。ロシアでは最も著名な作家で、今ロシア史の大著を執筆中、近く一巻二巻が世に出る予定だと話していた。流暢な日本語で話し、プーチン批判を平気でしていた。

 

 

 

  

        

                       沼野充義さんと

 

 

 

                         

                        沼野さん、私、アクーニンさん

 

 

 

 

  ロシア国立人文大学の教室で最初の講演をした。私は、19世紀後半のロシア文学が好きで、プーシキン、トルストイ、ドストエフスキーの文学が、奇跡的にほかの国の文学より優れているのが不思議だと述べた。私自身は、幻想的、夢幻的な作品ではなく、現実的、写実的な作品が自分の資質に合っていると告白した。ドストエフスキーの『死の家の記録』は、奇妙な独特な囚人たちが出てくるが、私が監獄医として観察した囚人たちには、『死の家』とそっくりな囚人たちが数多く、ドストエフスキーも現実的、写実的な作家であったと断定できたと述べた。

  質問は数多く出た。ドストエフスキーの文学が雑だとナボコフに批判されていることについての反論、ロシアの大地についての評論家ベルジャーエフの説への同感。ロシアの聴衆は遠慮なく自分の意見をのべるので気持ちがよかった。

 

  2回目の講演は自作『宣告』についておこなった。トルーマン・カポーティの『冷血』との比較を問われ、私はすべての殺人者が悪人ではない事実を強調した。訳者であるタチヤーナ・ソコロワ=デリューシナさんへの質問も多かった。彼女が、ロシアで初めて『源氏物語』の全訳をした人であると知っていて、古典と現代小説との関係、差異が論じられた。私にとっても実りのある、講演会であった。

 

 

 

 

 

 

                   

           

                          デリューシナさんと  

   

 

 

 

   

                                                      

                     

                                            レーピンのトルストイ像の前で