かけがえのない方々が次々と旅立ちました
今年もお盆の時期がやってまいりました。コロナ禍でこの数年遠出でお盆のお墓参りに足を運ぶ事が出来ませんでしたが、今年は久し振りに遠出でのお墓参りに行く事が出来ました。でも今年のお墓参りは例年とは違ったお墓参りになってしまいました😢実は6月末に祖母が天国に旅立ちました🌈99歳でした。今年10月で100歳を迎える事が出来たのに。あと4ヶ月のところで旅立ってしまいました。このままいけば100歳迎えられるねと言っていた矢先の出来事で遣る瀬無い。旅立つ数週間前から誤嚥性肺炎を繰り返していました。ある日祖母の病院からお話があると連絡があり私と母で祖母がお世話になっていた病院に行きお話を聞きました。医師のお話では「誤嚥性肺炎で口から食事を取ることが出来ないので点滴で栄養を送っています。年齢も年齢なので寿命があるのは仕方がない事です。会いたい時に会いに来て下さい。長くもって半年と思っていて下さい。」とのお話しでした。漠然としながらその足で祖母が入院している部屋に行き祖母と久し振りに会いました。鼻に酸素チューブを入れてベットに横になっている祖母がいました。元気だった頃のふっくらしてオシャレでしっかりしていた祖母の面影は殆どなく、痩せ細り泣きそうな祖母の姿を見て複雑な気持になりました。私はずっと祖母の手を握り「私わかる?」と何度も聞き暫く経つと思い出したかのようでした。祖母とはよくケンカしていたので(笑)恐らく私の事は孫の中でも疎ましかったと思う。それでも何かを与えてくれた時は孫全員に平等に与えくれたし、祖母には助けられた事が沢山あり感謝しかありません。祖母がいたからこそここまでやって来れた事が沢山あります。旅立つ前日に祖母は足にポートを入れたそうです。痛い、痛いと泣いていたそうです。わかります、痛いほどわかります。私も乳がん治療でポートを入れた時、あまりの痛さに泣いたぐらいなのでこんなに早く旅立つなら入れなければ良かったのに。祖母は朝4時台に旅立ちました。その日の夕方祖母に会いに行く予定でした🌇それだけに葬儀の時も亡くなったと実感がなく泣く事が出来ませんでした。そして四十九日の今日、初めて祖母の遺骨を抱く事が出来ました。それも最も大切な喉仏をお墓まで持って行きました。それでも未だに祖母が既に旅立っている事への実感が湧かないのです。泣きたくても泣けない···。泣いたら既に旅立っている事を認めてしまうからなのかと思ったけどどうもそうではない。暫くは漠然とした気持ちが続く事でしょう。でも、大正に生まれ、激動の昭和、価値観が多様化した平成、そして令和と4つの時代を生き抜いた事を尊敬します。そしてもう一人、私のアメリカ時代からの親友が旅立ちました。https://ameblo.jp/asako78/entry-12445000718.html『海を越えた親友のガン再発の報告を受けて(まじめなお話です。)』先日、素敵なデコパージュの手鏡をアメリカの親友のBDプレゼントに贈ったお話をチラっとしましたが、そのプレゼントが無事に届きメッセージが来ました。お誕生日よ…ameblo.jp友人についてはかなり前のブログにも書いた事があります。彼女は私がノースカロライナに住んでいた頃に知り合った方でフィリピン出身の方です。たまたまこの友人がノースカロライナに数ヶ月滞在する事になりカリフォルニア州から来ていました。ホー厶パーティーに誘ってくれたり運転が下手くそな私の助手席に座って運転を教えてくれたり(因みに私ノースカロライナで一度事故っています🚘️😱)私にとても親切にしてくれました。彼女と知り合った1ヶ月後に私が再びニューヨークに戻った為残念ながらその後はほぼSNSでの交流のみとなってしまいましたただ一度だけ友人がニューヨークに来た際短時間だけ会う事が出来ましたが。実は私はアメリカに住んでおきながらカリフォルニア州には一度も行った事がないのですアメリカに行く、もしくは住んだ経験がある日本人ならほとんどの人がカリフォルニアには行った事があるのかな?と思うのですが、(実際日本人多く住んでいるし。)せっかくだから友人を訪ねてカリフォルニアに行ってみようと思いながら行けずに終わってしまいました。私の乳がん発覚時に動揺してしまい思わず彼女に伝えました。すると彼女から「実は私は卵巣がんを経験しています。」と返信がありました。時差があるにも関わらず、暫くの間私に寄り添ってくれる日々がありました。あの時彼女には助けられました。その2年後に彼女の再発の連絡があり更に甲状腺にもがんが見つかったと連絡がありました。居ても立ってもいられない私はどうしたらよいかわからずただただ彼女のメッセージに返信する事しか出来ず😢再発から5年後の旅立ちでした。SNSで楽しそうにカラオケを楽しむ写真を見て元気にしているんだとばかり思っていました。ところが6月下旬にベットに横たわり友達に囲まれながらぐったりしている彼女の写真を見て胸騒ぎがしました。慌ててメッセージを送りました。既読は付いたものの返信がなく、いつもならすぐに返信をくれる友人だけに事態の深刻さを感じていました。その数日後再びメッセージを送るも返信どころか既読も付かず。その数日後タイムラインで彼女が旅立った事を知りました。暫くの間何をしてもパッとせず呆然と日々が続いていたところに突然彼女のアカウントから彼女の友達がメッセージを送ってくれました。内容は「彼女は7月9日に亡くなりました。今私は彼女の火葬やその他の準備に取り組んでいます。私は彼女の骨壷をフィリピンに持ち帰り、彼女の家族に引き渡すつもりです。(省略)彼女はいつもあなたのことを話していました。彼女はここアメリカで一人ぼっちだったので私は彼女を助けるために最善を尽くしました。(省略)彼女は今月24日に火葬されます。ご冥福をお祈り致します。」私の事を友達に話してくれていた・・・。泣けました。私の乳がんが発覚した時、彼女は教会でお祈りしてくれました。アメリカでひとりぼっちだった···。痛いほどわかります。私もいくら叔父がいたり、友達がいたりしても孤独感に苛まれる事が度々あった。人生の中でアメリカ生活で味わった孤独感以上のものはなかったと言っても過言ではないです。沢山の友達に見送られ幸せな人生だったと思います。人柄の良さはこう言う時に現れますね。まだ54歳。早いよ😢瀬戸内寂聴さんがいい人から先に逝くって言っていたのを思い出したけど、本当ですね。ご冥福をお祈り致します。立て続けに大切な祖母と友を失い気持ちの上でもまだまだ整理がつきませんがこの暑い夏をなんとか乗り切りたいと思います。長々とお読み頂きありがとうございました。※誤字、脱字があればすみません