『師匠』はやっぱり必要だ。 | 徒然に。

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思ったことを気ままに。

 前回は、自分が勝手に師匠だと思っているA監督について書きました。

 そして書いていて、やっぱり師匠って大事だよなと思うです。

 その人の姿を見て、そしてその人に厳しく言われて「あ、確かに俺が間違っていたな」と思えるのは大事だと思いました。

 そして、そういう人を人生で持てるかどうかは、人生を豊かにする上で非常に大事だと思います。

 

 私が大学生の頃、私からすると驚愕のサッカーをやっていたA監督のチームを見て、私は勝手にA監督を師匠だと定めて、試合会場で話を聞きにいくようになりました。

 ですが、20年前の話なので、当然令和時代の「優しく」なんてものではありません。

 めちゃくちゃ怒られました。

 今だったら考えられませんが、私は対戦相手のA監督から「おまえ、子どもたちが中学に上がって、通用しないようなことしか教えられないならばコーチなんかやめちまえ!」と試合後に怒られたのでした(笑)。

 まさに昭和でしょう(笑)。

 ただ、A監督は純粋に、自分のチームだけ上手くなって私のチームの子は下手になればいいとは思っていないのです。

 それがわかるから、自分の不甲斐なさが悔しくて、奮起してサッカーの研究をしまくりました。

 

 2代目を教えていたときには、3チームのリーグがあり、たまたまA監督のチームと市内でも強豪の3チームになりました。

 そのときのA監督のチームは、都道府県大会に出れるかもしれないくらいの強さがありました。そして人数も多かったのです。対してうちは人数も少なく、市内最弱をさ迷っていました。

 だからてっきり、A監督は市内の強豪相手にAチーム(ただ、元々AチームBチーム分けをしない傾向の監督でもあるので、ゆるやかなチーム分けです)を出してうち相手にBチームを出してくると思っていました。

 そうしたら、なぜかうち相手にAチームを出してきました(笑)。

 多分、うちはその学年6人しかいないながらも、卒業の段階で2人関東リーグ所属チームにセレクションで受かったので、真っ向勝負をしてくれたのだと思います。

 チームの強い弱いではなくて、選手の能力を見極める目は天才的な人です。チームとしては勝てなくても、うちにいる子の力を見て、勝負してくれたのだと思います。

 そして、うちとA監督のチームが試合をすると、うちが対抗できるときに限りますが、非常に良い試合になります。

 お互い、意地になって中央から突破しようとするので、高学年でも団子が発生したりします(笑)。

 思えば初代を教えていたときに、のちのU18日本代表になったA監督のチームの子と、のちに関東大学リーグキャプテンになったうちの子のバトルは、見ているだけで至福でした。

 お互い必死にばちばちにやり合います。

 お互い勝負のところでパスに逃げることはさせなかったので、真っ向勝負なのです。

 ドリブルで抜きにかかり、身体をぶつけて応戦します。

 最高でした。

 

 先日、A監督のチームとの試合でした。

 お互い20年前からは歳をとりました。お互い丸くなった気がします。

 ですが、ある場面で、私は「やっぱりA監督を師匠としてよかった」と思いました。

 その場面は、私が主審をやっていました。

 タッチラインにボールが明らかに出たので、私は笛を鳴らしました。スローインです。

 ですが、そのときは素晴らしい球際の争いでした。

 その球際を間近で見ていたA監督が、主審の私に向かって「おい○○!プレーを続けさせろ!」と言い、子どもたちには「プレーを続けて!」と言うのです。

 ベンチにいるコーチが、主審よりも上位になった瞬間でした(笑)。

 ただ、私にはその瞬間、震えるほどの感動がきました。

 そのときのA監督の厳しい声、そして子どもたちの素晴らしい球際を続けさせたいというコーチとしての願い。

 もうA監督にとって、自分のチームの子だからとかはないのです。

 とにかく関わる子どもたちがうまくなってほしいのです。

 そのときは、うちとA監督のチームのエース同士の球際でした。

 その球際は、タッチラインを出ても続けるべきなのでした。

 そしてその姿が、20年前の、うちとA監督のチームの子どもたちの戦いの姿に重なりました。

 こうやって、20年前から、A監督に引き上げてもらったのだと思います。

 

 思えば、A監督のチームに、Aチームを出されてぼこぼこにされた2代目ですが、卒業最後の試合に招待してもらえました。

 3月最終週、A監督チームホームです。

 そして最後は、引き分けでした。

 卒業でなんとか差をそれなりには詰められたかなと思い、苦しみながらやっていてよかったと思いました。

 

 最近しょっちゅう練習試合に呼んでもらえているので、また苦しくも楽しい数年が始まる予感がしています。

 ただ、A監督ももう高齢です。

 もしかしたら、これが最後のA監督への挑戦になるかもしれません。

 

 そして、もし死ぬ瞬間、人生で最も印象に残ったことを思い出すとすれば、私はA監督に食らいついた日々を思い出す気がします。

 もう一つ、苦しくも充実した瞬間を作るために、一生懸命やりたいと思います。

 そしてそういう瞬間を作れると、例外なく子どもたちが飛躍するのです。

 そしてそれは、A監督が尊敬する師匠として立ちふさがってくれているからです。

 やはり師匠は偉大だと思います。