あさひサンの本名は、子のつく名前である。嫌になるほど平凡な、昭和の女子の名前。仮に、恵子(仮)としておく。
あさひサンは、自分の名前が嫌いだった。漢字も読み方もありきたりだし、何より、「子」という、その個体が女であるということしか表さない、ほぼ意味のない漢字が付いているのが嫌だった。
漢字は、表意文字である。一語一語に意味がある。だから、きちんと意味を考慮して名付けてほしい。
そんな思いから、10歳頃母に「なんで恵子って名前にしたの?」と聞いた時の母の答えがこれ。
「女の子だから、子のつく名前にしたんだよ。」
「子の付く名前、好きじゃない。」
「アケミとかマリとか、そんなホステスみたいな名前より、~子のほうがかわいらしくていいじゃない。」
「ケイコだって、アケミとかと同じくらいよくある名前で、イヤだよ。子なんて、意味ない文字じゃない。そんなの、ないほうがよかった。」
「じゃあ、恵太とか付けたらよかったの?」と笑いながら母は言う。そんな男みたいな名前よりいいでしょう、という風に。
ちがうよ、あさひサンは、子、太、郎みたいな、性別を明示する意味でしか使われない漢字がイヤなんだよ。逆にいうと、きちんと意味を考えてつけてくれたなら、「太郎」だっていいんだよ。次郎太郎花が好きだから、なんて理由なら、嬉しかったと思うなあ。
最近の名前は、キラキラネームでもなく、きちんと読める漢字をあてた、性別を感じさせないものが目に付く。
学校の名簿だって、男女混合の名前順なんだよね?
あさひサンのように、性別に自己のアイデンティティをまったくおかない人間には、うらやましくてたまらない。
母は、自分が女であることになんの違和感も拒否感も感じずに、男女平等を目指した人なのだと思う。往年のトレンディードラマの惹句じゃないけど「恋に仕事に全力投球」を地で行く人。
だから、「女である前に、まず人間でしょ」と考えるあさひサンとは、本当にかみあわない。
明確な虐待などではないけれど、親なりにかわいがってくれてはいたのだけれど、こちらの懸命の訴えがまったく通じない、理解してもらえないというのは相当辛いことだった。
この名前の件だって、どうして「子」が嫌なの?どんな名前がよかったの?という風にきいてくれるだけでよかったのになあ。
