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史跡巡りのブログ

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 中区錦1の袋町通沿い、御園小学校の北西隣に鎮座する泥江縣神社の由緒は古く、清和天皇時代の貞観元年、宇佐八幡を分霊して勧請したのが始まり。

 過去には、「廣井八幡宮」(尾張名所図会/天保15年/小田切春江著)や「従三位泥江縣(ヒロイアカタ)天神」(本国神名帳集説/享保19年/天野信景著)とも呼ばれていました。

 神社名にある、泥江=ひじえ=は低湿地を意味し、また「廣井」はそれが転訛したものと言われています。

 

 

神社は度々火災にあったため、建物は比較的新しいです。

上記写真中央の本殿すぐ裏には、「美濃路」と呼ばれる街道が置かれていました。

美濃路は、江戸時代に敷かれた中山道垂井宿~東海道熱田宿を結ぶ脇街道で、民間人だけでなく将軍上洛や大名の参勤交代、朝鮮通信使、琉球使節などの通行に利用されました。

 

 

 

祭神として祀られているのは、

 男神1柱:応神天皇

 女神4柱:神功皇后(応神天皇母)、宗像三女神(タギツヒメ、イツキシマヒメ、タギリヒメの総称)

で、圧倒的に女神が多いとわかります。

 

 

本殿横に、つんぼ蛭子と呼ばれるものがあります。

参拝者の願い事が聞き取れないほど耳が非常に遠い神様のため、吊るしてある「木魚」を小槌で軽く数回たたいてから願い事を唱えると、不思議な霊験にあやかれると伝わっています。かつては本殿裏に廻って、拳か小石で腰板を叩き、本殿正面に戻ってからお願いごとをされていたようです。

 

以上