美丽的日子 ~ beautiful days ~

美丽的日子 ~ beautiful days ~

虽然每天都未必顺利,不过

我每天都觉得很满足。

这就是我希望的日子。

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私の家は昔から子供に関して過干渉というか過保護というか、


とにかく保守的という言葉がよく似合う家庭だった。別にお金持ちの豪邸住まいとかでもないし、


家に女の子はいない。みんな男の兄弟。


私が高校の時、夜の8時を過ぎて帰って来ただけで散々怒鳴られたのを思い出した。


たかだか8時過ぎに帰ってきただけで。都会の子ならバイトもしてるし遊んでたって夜の12時過ぎに家に帰るのは不思議ではないくらいなんだけど。。


両親ともにこんな感じで保守的だったし実家がド田舎だったこともあり、高校の時から都会での生活に

強い憧れがあった。


専門学校を卒業と同時に家を出て横浜に移り住んだ。


本当は高校出たら独り暮らししたかったが金銭面の問題もあり専門学校は家から通った。


まあ専門学校に行かせてもらったのは感謝してるけど


学生時代に海外研修に参加したいと言ったら詳しい話も聞かずにマジ切れされた。


なんで?入学前は行かせてやるって言ってたのに。


初期費用は20万くらいでそんな高い方じゃないし研修中の給料でプラスになるのが在校生の話で実証されてるのも説明したし住まいも実習先が提供してくれる。何より専門学校の紹介だから安心だと


ここまで説明をしたがハナから聞く耳がなかった。



まあ専門学校まで行かせてもらったから我が儘は言えないと思って当時は諦めた。



それから卒業後、横浜で3年ほど生活した。



お金も何とかなりそうだったので改めて母に電話。海外留学の4文字を出しただけで詳しい話を聞かずにマジ切れ。手に負えん。



あまりにムカついたので捨て台詞を吐いてやった。




「あんたがいくら反対してももう保護者の許可がいる年齢じゃないから。自分で勝手に進めることにするわ」


ここまで言うと電話の向こうでワーワー喚き散らし出したので電話ガチャ切り。文字通り話にならん。



そもそも両親が日本から出たことない。父は若い時一人で家を出たのもあって母ほど強硬ではなかったがそれでも首を縦には振ってくれない。


母親に関しては自分が海外どころか地元から、家から出たことないザ・箱入りだったので


到底理解できない様子だった。



ただ韓流狂いの母親は何度も韓国に足を運んでいる。


実際口げんかの際に「どうせ韓国に留学するって言ったらOKするんだろ!?」と皮肉を言ってやったぐらいだった。


普通、子のやりたいことに背中を押してやるのが親じゃなかろうか。


それを「子が遠くに行くのが嫌だ」 「自分の近くに居てほしい」という理由で、こちらの希望や理由も何も聞かないで猛反対するのだ。


イヤイヤ期を迎えたころのガキ以下だと思う。



こんなだから家に戻りたいとは微塵も思わなかった。



ましてや高い飛行機代を出してまで。 「飛行機代出すから頼むからちょっと帰ってきてくれ」なんて言われなかったらまず帰らないと思う









私は今、留学先の台湾に住んでいる。バイトでホテルのウエイターをしている。


知っていたことだが、日本と違って台湾にはゲイが多い。オカマタイプみたいにオープンなのもいれば、

一見男らしいかくれゲイもいる。


私のいるレストランの部署は少なくとも三人ゲイがいる。


しかも私は三人から好かれている。


断っておくが私はそういった趣味はない。


本題に入る。


三人の内ひとりは上司だ。


最初は気さくに話しかけてくれるしよくLINEで連絡くれたので私の中では「気さくな頼れる上司」

ぐらいに思っていたが…


頻繁にLINEが届くようになり、仕事が終わってもLINE、家についてもLINE、それが段々長引き


深夜1時2時を過ぎることもあり、こちらから「寝るのでまた明日」と打っても「続けようよ~」とばかりに


やめさせてくれない。自分の中で彼のゲイ疑惑が立ち上がったのがこの時だ。


この時点で他の上司に相談しようかと本気で悩むほどだった。


私がバイトを始めてしばらく、高校生のバイトの子が辞めた。後ほど事情を本人から聴くと「辞めさせられた」


とのことだった。つまりクビだ。


この子は出勤すると必ず俺を追うようについてくる。他の誰から見ても俺の事が好きだったのがわかる。


まあ残念ながら勤務中もこんな感じではクビになっても仕方ないとその時は思っていた。


3ヶ月ほど経ち、俺はすでにレストランの中心メンバーになっていた。


後輩というか、弟弟妹妹と呼ばれる年下の学生の子たちもどんどん増えていった。


その中に、ウーツァイティーと言う大学生の女の子がいた。俺は「呉さん」、「呉ちゃん」と呼んでいた。


背がスラッと高くて薄い顔立ちに後頭部の青い部分染めが目を引く女の子だった。(仕事中は束ねて隠している)


基本大人しくて控えめな子だったが日本語を勉強しているらしく俺の名前もよく日本名で呼んでくれた。


仕事中、ホールが暇だったので感じよく話していたら、ふと視線を感じて振り向いたその先には

例の上司が。すげえ顔で俺と呉ちゃんを見ているのだ。「ああこれは何かマズい」と一時退避して仕事に戻る。


そしたら今度はバックヤードで呉ちゃんと遭遇したのでLINEやってるか聞いて携帯見せてもらっていた


その時だった。ドアの向こうから覗き込むように上司が呉ちゃんをこれまた凄い形相で見ている。


「なんだよコイツ」と俺はイライラしていた。その夜、俺は呉ちゃんとLINE交換したが、


次の日に恐れていたことが起きてしまった。


呉ちゃんがクビになった。呉ちゃん本人も全く腑に落ちず、俺に何度もLINEしてきた。に

相当不安だったらしく、なぜなのか知りたい、自分でマネージャーに尋ねに行く、悪いところがあるなら改善するように努める


と俺と何度もLINEでやりとりした。あまりに呉ちゃんが可哀相だったのでこれには俺もマネージャーに抗議。


再三に渡り呉ちゃんのクビを撤回するように求めた。


マネージャーもまさか自分がクビにしたバイトの為に信頼できる部下の俺が突っかかって来たのが想定外だったらしく、言葉を詰まらせていたが


彼女は勤務時間が短いだの、しょせん夏休み限定のバイトだの、使えるに値しないだのその場で取り繕ったような言い分だった。


判断が早すぎる。俺がこれからゆっくり教え込めば確実に育つ、何より本人はやる気もあるし、悪いところがあれば自分で改善すると言っている。こんないい学生をわざわざクビにする必要なない、


とまで俺が言ったにも関わらず聞き入れてもらえなかった。


結果、その日のうちにマネージャーから呉ちゃんにLINEで上記の言い分を添えたうえで正式に解雇になった。


(呉ちゃんも俺の連絡が待ちきれずに直接マネージャーにLINEを送ったようだった)


俺が可愛がってたことを知らずにクビにして俺が本気で噛み付いてきたのでマネージャー自身も


「しまった…」と思ったのだろう。その日一日はずっと俺に申し訳なさそうにしていた。


呉ちゃんはクビになってしまったけど「あなたと知り合いになれて良かった」と涙の出るような言葉をくれた。



この時だった。自分の中でマネージャーのゲイ疑惑が確信に変わった。



「マネージャーは王旭が好きらしい」。 すでにレストランで禁忌になっている噂だ。



そのうち「王旭に近づく奴は男でも女でもクビになる」という噂が立つのも時間の問題ともいえる。


































明けましておめでとうございます。


最後にブログを更新してから半年以上の月日が流れてました。


2012年、2013年は本当、我慢と忍耐の年。それも昨日で終わった。


2014年はようやく夢がかない、目標が実現になる年だと信じている。


この二年間は本当に辛く忍耐を要しました。


我ながら、安い給料でボーナスもないのによく頑張った。


恐らく、人生で2番めに頑張った時期だ。


今年の春、私は海を越えて異国の地で生活を始めるだろう。