誰かに相談できるってことは、それだけでも心を軽くする。
というのも、たとえそこに明確な答えがなくとも、自分の内にあるもやもやを不器用でいいから「表現する」ことだけでも負担を軽減できるからだ。
本心を自分一人の中に溜め込んで、自己処理することでも解決、消化はできる。しかし、人生には悩みが尽きない。つまり一人の処理能力だけですべての悩みを受け入れていくにはあまりにも悩みが多い。
ましてやその悩みがプライベートであればあるほど表現することに恥じらいを感じるため、誰に表現できるか、どのように表現できるかが大切になってくる。
本心を話すことはハイリスクでもある。誰かに話すだけでも楽になる、が誰でもよいわけではない。
本心を話すことで、相手を傷つけたり、思わぬ誤解を生み人間関係を崩壊させることも十分にありうる。
だから信頼のない人に相談をすることは身を滅ぼしうる。
人間は、特に日本人にとっては、本音と建前を意識するためどのように「本音」と「建前」を表現し分けるかで大きく違ってくる。
前述のように本心を信頼のない人に対して話してしまわぬように建前という嘘(語弊があるかもしれない)で守っているのだと俺は思う。
どんなに大人になろうとも、どんなに強い心を持とうとも自分の本心、心の奥底に眠っている叫びのようなものは繊細なままである以上、互いにそれに触れ合わぬよう建前上の関係が人生の多くになることも当然であるとは思う。
誰だって、自分の本心を話すことは恥ずかしい。誰だって、怖いのだ。
思うことは、もし自分が話す側ではなくて、話される側だった時のこと。
俺はどんな言葉をかけてあげられるだろうか。
信頼にこたえてあげられるかどうか、自信はない。
だけどもいつか、誰かに本心を打ち明けてもらえるだけの人間に、誰かの悩みを少しでもいい、俺という人間で軽くしてあげられるような、そんな人間になりたいな。とは思う。
まあ、結局は明確な答えを出してあげたいと思うのは自己満足であって、話している人からすれば真摯に聞いてくれるだけでも、その人を救っているのであるのだから、そんなに悩むの必要はないのかな、なんて。
俺は誰かの本心を、聞いてあげれているだろうか。
今日のASAGAO
「俺の人生はつまらなくなんかない!家族のいる幸せを、お前達に分けてやりたいぐらいさ!」
ゾロがリューマから奪った刀は、大業物の「秋水」でした。