子供の目線
浅田です。
昨日は取引先のデザイン事務所に伺い、打ち合わせをしてきました。
その際、デザインフェスタで展示したという作品に目が止まりました。
それは今年で4歳になる取引先の方のお子さんが、デジタルカメラを片手に自由に撮った写真を12枚つなぎ合わせて、1つの額縁に入れたものでした。
言うまでもなく、技術的には未熟です。しかし、非常に素晴らしい作品ばかりでした。
冷蔵庫の下半分を撮った作品には、冷蔵庫の下の埃や床に映り込んだ部屋の内装が映えており、
自分を撮った作品には、顔が上半分しか写っておらず、さらに寝ぐせが全開で大変微笑ましく、
干してある洗濯物を下から撮った作品に関しては、「そんな発想は持ち得ない!」と驚嘆の思いでした。
子供の目にはいったい何が映っているんだろう。
子供の頃は何を考えていただろう。
大きくなって見えなくなってしまったものはなんだろう
そんな事を考えさせられる、素晴らしい作品でした。
表現の自由
どうも。浅田です。
昨夜は弊社とお付き合いのある方に誘って頂き、渋谷のカフェでポエトリーパフォーマンスを拝見してきました。
(ポエトリーパフォーマンスとは「自作の詩によって表現する事」です)
今回初めて参加させて頂いたのですが、あまりの内容の濃さに終始舌を巻く思いでした。個人的に、自己を表現したいという感情は誰しも持っているものではないかと思います。しかし、誰もが自由に表現する場を持っているかというと、決してそうではないと思っています。
今回私は、「詩」というものに対して固定概念を持っていた事に気付かされました。私は「詩」というものをどこか高尚なもので、「綺麗にまとめなければいけない」とか、「静かに朗読しなければいけない」だとか、勝手なイメージで捉えていました。しかし、昨夜見たものは自分のイメージとは全く異なるものでした。
詩の朗読中に怒鳴ったり、わめいたり、歌を歌い出したり。
突然服を脱いだり、手話を使ったり、拡声器を使ったり。
自分の感情や思いを「詩」というツールを使って、とにかく”自由に”表現してらっしゃいました。
また、あるポエマーの方がおっしゃいました。
「思っているより簡単なものだよ。詩人になるというのは」
自己を表現する場の一つとして、「詩」を選んでみようと思った一夜でした。
