おはようございます。
ヨガインストラクター、柔軟性向上トレーナー、脛椎改善トレーナーのAsakoです。
愛猫、まろんを気に掛けて下さっている方へ、ご報告です。
私は大の猫好きで、この20年余り猫と暮らしており去年6代目となりました。
が、一番若い6代目のまろん(女の子)が元旦の日の朝、
たった1歳2ヶ月でお空へ逝きました。
推定3週間で、経緯はわかりませんが1人で彷徨っていたところ、保護されました。
保護したときは元気だってのですが、それから間もなくして、
白血球、血小板の異常、貧血、コクシジウム(原虫)が落ちない、などの異常が次々と起きて、そこからはずっとステロイドや抗生剤の服用が必要となりました。
昨年の今頃は、栄養がコクシジウムにとられてしまい、全身の毛が全部抜けてしまっていました。
熱も一ヶ月位続き、
でも、まろんは乗り越えてくれました。
本来はおてんばで、活発な子だったんじゃないかなと思います。
小さな身体であちこち登ったり、走り回ることもありましたから。
しかし、食欲がないことが多く、好みも変わるのでなかなか体重も増えず、ピークで6ヶ月頃1.6キロ、昨年の12月な1.3キロで亡くなる寸前は1.1キロと、
とてもとても小さな体でした。
白血球数が著しく低下し、入院したこともありました。
獣医さんも「病名を断定することが難しい」と、(そこの病院の全先生係わってくれた)頭を悩ませていました。
昨年11月下旬からは、左目が腫れてぶどう膜炎の診断を受け、セカンドオピニオンを受けるも治りが悪く、
右目も濁りはじめ、亡くなる一週間前位は両目見えてませんでした。
こんなにも小さい体に襲いかかる、困難。どんなカルマがあってこんなにこの子は苦しめられ続けたのか、、不憫でなりせん。
掛かり付け医によると、もともと血液や免疫を作る骨髄に異常がある子なんじゃないかと。。
12/28の早朝に、大きな声で泣いて倒れたときには、脳炎だろうと診断されました。
それでもまろんは、翌日に立ち上がりゆっくり歩いて、
目が見えなくなったことに戸惑いながらもおトイレを自分で探したり、
ご飯も自力で食べていました。
しばらく介護だな、とは思いましたが目が見えなくても、
どんなに手がかかっても、
全然苦だと思わないし、
もう少し生きてくれると信じていました。
発作後からは、オシッコ行きたいときは鳴いて呼んだりするので、リビングで一緒に寝ていました。
1/1の明け方、また、にゃあと鳴いていたのでオシッコかな?
と思ったのですが、息が苦しそうにしていて様子が違う。にゃぁ、にゃぁと苦しそうに鳴いていたのが、だんだん静かになり、
しばらく早くて浅い息をしていたのですが、
1/1の6:35頃、私の手の中で静かに息が止まりました。
ペットは、飼い主の魂の成長のための学びをさせるため、飼い主を選んで生まれてくるそうです。
ペット自分も魂の成長を学ぶため、短い一生を飼い主と共に歩むそうです。
そして、使命を果たしたらお空へ帰っていくそうです。
まろんは、どんな使命を持ってうちにやってきたのかな?
私はどんな学びをしたのかな?
なんて、考える余裕は今ないけど。
喪失感や深い悲しみが少し癒えた頃には、何か腑に落ちることもあるのかな。。
でもやっぱり、1年2ヶ月短か過ぎる。
早く健康な体で、新しい毛皮を着てうちに帰っておいで!って、毎日まろんに呼び掛けています。
必ず今度はもっともっと苦しみのない、幸せな猫生になるよっ!