東京に行ってきました。




大正最終年生まれの94歳の祖父を見送るためです。



近頃、東京のエネルギーはひどい(かなり雑な言い方で、どういう意味かは深くは聞かないでください)ということをよく聞いていましたので、行ってくるだけでも、どうなることかなと少し不安に思ってはいました。




しかし、このコロナ禍の中、祖父が亡くなり、お葬式も、とても簡略化した形式で、はじめは叔父ひとりだけで見送るからというような話しでした。




東京、沖縄とPCR陽性者数も増えており、なんともいえない雰囲気でした。実家の両親はこのような時期に東京に行くなんてとんでもない!とはなから行くことは想定していないようでした。




私のスケジュールを見ると、火葬の日、朝から飛行機で東京に行けば、参加できそうな雰囲気です。




そして、さらにその日は子供達は、父親と一泊夏休みの本島内のホテル宿泊の予定でした。




私だけで動きやすいスケジュールでした。




祖父を火葬する時に、沖縄で仕事をしているのもなんだし(自分の祖父を見送らず、誰かのおじいさん、おばあさんの診察をしているのもな)と思って、日帰りすることにしました。




タイミングも良かったのです。子供は上記のように元々お出かけ予定でした。祖父は面白い人で、こういうタイミングの良い時に偶然遭遇するとかそういう運のようなものを持ってる人でした。





そういえば、私が東京の母の実家で生まれた時も、予定日より遅く生まれたらしいのですが、たまたま祖父もその時に出張から戻るようなタイミングで、誕生に間に合ったとかそういう話をしていたのを思い出しました。




やはり行こうと思って、お見送りに行くことにしました。




予定では、火葬場で11:30に入棺予定で、本当に10分前の11:20に到着しました。




最低限だけの簡素化した火葬式というかたちなのでお坊さんの立ち会いもありません。遺影の写真もありませんでした。本当にタイミングはドンピシャでした。叔父夫婦と合流し、着いてすぐに、お棺の中の祖父に会いました。お花をいれました。あっという間でした。




もう少し長く、祖父の顔を見ていたかったなとも思いましたが、お葬式があったとしても、そんなに長い時間お顔をみてるとかはないかもです。




その場でたくさん祈りを届けようとはしましたが、時間は足りなかったかもしれません。




火葬している間は、久しぶりに会う叔父夫婦と近況話しをしていました。1時間ほどで、すぐ時間が経ちました。




あっという間でした。参列者3人でお骨拾いをしました。今までも、祖父祖母を見送ったり、親戚を見送ったりしたことはありますが、まず人数が少なかったのが、なんともさびしいというか、仕方ないというか、しょうがないと思いました。




祖父本人は、普通のようなもっと人が来る大きなお葬式がいいと、祖母を家族葬したときに言っていました。本人の思う形でなかったかもしれませんが、またタイミングをみて葬儀のような形のものをするかもしれません。




祖父は、神田生まれ神田育ちの江戸っ子で、細かいエピソードを言い出すとキリがありません。祖母が先に亡くなった後も、人との交流も多く、一眼レフを持ってお出かけをよくしていました。道で倒れて救急車で運ばれたこともあって、本気で私はこの祖父が東京の街で行き倒れても、本望だろうから、仕方ないとさえ思っていました。




最後の2年間は老人ホームで、今年に入ってからは、入退院を繰り返してました。動けなくて本人的には少し辛かったかもしれません。




老人ホームでは、写真を撮ってあげてもまわりが認知症のひとばかりで、反応がないから全然面白くないとさえ言っていたくらいです。




オリンピックも2020年に開かれていたら、私の弟と陸上10,000メートル決勝を観に行く予定でした。こんな世の中になり、オリンピックは1年伸びてしまいました。祖父の逝った日は7月31日で、なんと2020年の同じ日、7月31日にオリンピックを見に行く予定の日だったのです。




本当に最後まで、そういう偶然のようなタイミングの日とかさなる祖父でした。祖父の人生を振り返ってみたいなと思いました。




ちなみに、東京のエネルギーは、行ったところにもよりますが、そこまでキツくはなかったです。羽田空港はやや気持ち悪い時がありましが、むしろ、那覇空港に戻った時の方がキツいと感じました。





↑東京の斎場。とても暑い夏の日でした。