都内でも随一の桜の名所
4月に入ってなんだか世の中が、どこもかしこも人でいっぱいになっている気がする。
景気が良くなったからなのか、暖かくなったからなのかは判らないが、ひとつ言えることは、「桜」が咲いたからであることは間違いない。
常々思っているが、日本人は本当に桜が好きである。
1年にたった1週間くらいしか見頃のない植物をどうしてこんなに愛するのだろうと、私はいつも訝しんでいる。さて、その東京の桜の開花を宣言するのに気象庁が観察しているのが、「靖国神社」の境内にある3本の桜なのだ。
○明治政府が立てたお宮
靖国神社は、日本全国にある神社とは一線を画した社である。
正確に言えば「靖国」の「靖」は「立」に「⾭」と書く。
単立神社(どこの神社とも関係がない)であることもそうだが、祭神がすべて戦争で命を落とした人たちである点だ。
ちなみに、創建は1869(明治2)年、明治維新に際して亡くなった新政府側の人たちの鎮魂を目的として作られたお宮である。
その後、西南戦争での戦死者も新政府側のみ祀られた。
すでに140余年がすぎたが、西郷隆盛を含めて幕府側の人々はひとりもいない。
余談だが、上野公園に立つ西郷さんの像は、新政府の中での様々な葛藤の中で、上野に設置されることになったのだという。
明治政府も意外と度量が狭いもんだなぁと少し残念に思う。
話を戻そう。
ここ靖国神社と、靖国通りを隔てた千鳥ヶ淵・北の丸公園付近は、この季節には大いに盛り上がる。
誰が見ても文句のつけようがないほどの美しい桜の花が出迎えてくれるからだ。
私も、今年は外出ついでに足を伸ばしてみたが、人の多さにびっくりした。
平日の昼間にどこからこんなに大勢の観光客が集まれるのか不思議でもあった。
(私もいたのだから人のことは言えないか…)
○日本人は何より桜好き
実は私は靖国神社が苦手である。
境内を歩くと胸が詰まるのだ。
みなさんご承知のことと思うが、この神社には明治以降、日本が関わってきた戦争の戦死者が祀られている。
600本とも言われる桜には、1本1本に札がかかっていて、戦死された関係者や、仲間を失った隊員、戦地を記した師団名などが見て取れる。
中には、電話番号なども書かれていて、仲間からの連絡を待っている人のものもある。
見なけりゃいいのだが、行くと必ず1本1本の札を読んでしまう。
そうすると次第に胸が苦しくなってくる。
戦死した人も辛いが、生き残った人も辛い。
そんな思いの桜が何百本もこの季節に花をつける。
奉納された木は、見たところ山桜が多いようだ。
本当に日本人は桜が好きだ。
こんなところでも。
○ソメイヨシノのはかなさ
ところで、道路の向かいの千鳥ヶ淵の桜は、明治30年、英国公使となったアーネスト・サトウ氏が植えたことが始まりなのだとか。
この人は、日本の歴史を記録して海外に紹介した人としても有名な方だ。
それがどんどん増えて今の内堀の姿になっていった。
桜の多くは、ソメイヨシノである。
調べてみたら、ソメイヨシノの寿命はかなり短いらしい。
しかも、すべて接ぎ木で作られるため、自生することがないのだそうだ。
なんだか見た目どおりのはかなさである。
多くの日本人が好きなソメイヨシノはそんな桜である。
つまり幹の太い、ごつごつした老木は山桜なんだろうな。
私はこっちの方が好きだけど。
○平和な日本だからこその「靖国神社」
実は、以前から「靖国神社は紹介しないのか」という問いをいただいていた。
だが、紹介する予定はなかった。
なぜならば「靖国神社」はパワースポットではないからだ。
昭和の初期、キリスト教ともめ事が起こった際、解決策として「靖国は宗教ではない」という結論を出している。
時代が時代でもあったわけだが。
ゆえにここは、私たちが「お礼」や「鎮魂」をする場所だと思っている。
他の神社のようにパワーをもらいにいく所ではない。
だが、桜の季節に紹介するのはいいかも、と考え直した。
日本の伝統芸能である狂言や大相撲が奉納され、多くの人の笑顔が集う。
それはそれで平和な日本を象徴しているのだし。
境内に掲げられている絵馬に、海外の方が書いたと思われるものが多数あった。
あきらかに悪意のある内容のものも含めて。
でも、それをも堂々と掲げている「靖国神社」はすばらしいと思う。
「言う」も「語る」も「責める」も自由にできる。
何しろ、昭和21年まで靖国神社は国に管理されていたのだ。
そのころだったら、今下がっている絵馬の1/3は捨てられていたかもしれない。
私は日本人のファジーで忘れっぽい精神が好きである。
「人のウワサも75日」とか「のど元すぎれば熱さ忘れる」などという性質である。
だから、誰をも敬い、神さまや仏さまに昇華させてしまうことでずっと記憶しておこうと考えたのではないかと思っている。
それがいつのまにか八百万もの神になってしまったのではないかと。
不思議の国、ニッポンである。
そんな私だが、今回ひとつだけ気になることがあった。
拝殿前で帽子を取らない人がなんと多いことか。
還暦をはるかに超えたと思える男性が、帽子姿のまま参拝している姿は、非常識すぎてあまりにも情けない。
礼儀はともかく、せめて「心」だけは持って行ってほしいものである。