エンジェルカードリーダー兼A-FTHのHiroです♪

こんばんは☆

 

前回の続きです・・・

 

 

旦那の両親は、顔の広い人なので

あっちこっちに知り合いがいた。

 

それがけっこう大きな救いだった。

 

それは、すぐに決めなきゃいけない

「葬儀屋」のこと。

 

そして、これからもしかしたら必要になる「弁護士」のこと。

(のちに弁護士さんにはお世話になるのですが・・)

 

みんながみんな・・・

パニックなのは事実。

 

この辺りは、旦那の両親の知り合いの方々が

紹介してくださったり、請け負ってくださったりした。

 

 

そして、私にとってみれば

大人になって、身近な人を亡くす・・というの経験も初めて。

 

私は右も左もわからないでいたので

本当にたくさんの方々に助けていただいた。

 

本当に今でも感謝している。

 

私の両親も到着して

旦那の両親、親族などで話し合いが始まった。

 

そして、葬儀屋さんが来たところで

通夜や葬儀の日時、火葬の日程

それまで、旦那を預かってくれる場所の話など・・・

 

それと同時に、警察の方からのお話しもあったり

会社の方からの連絡もあったり

友人関係からの連絡もあったり

 

あとは保険会社などの連絡も・・・。

 

とにかく、忙しい!その一言だった。

 

感情もどこへやら・・・。

まぁ、元々感情はパニックによってなくなってたけど。

 

 

ものすごくタイミングよく

通夜が次の日(亡くなってから2日後)、

葬儀と火葬がその次の日で予約が取れた。

 

奇跡だった。

 

東京は火葬待ち!と言われる程

1週間程、待たないと火葬してもらえない・・・という現状がある。

 

それからがまたドタバタ・・・。

狭い我が家に旦那の両親が泊まり込み。

 

私は旦那の両親が寝ている夜の間の時間を使って

自分の友人等に連絡をしていた。

あとは、旦那の友人等にも・・・。

 

正直にいうと・・

本当に心配してくれてた人がほとんどだったけど・・・

中には、ほんの少しだけど

ちょっとした「事件」とばかりに、面白がっていた人もいた。

まぁ、表立って面白がっている感じではなく

読心で・・・わかってしまったのだ。

 

人が亡くなると・・・

その人がどういう人なのか・・・?ってことがよくわかる。

と聞いていたが、身に染みて実感した。

 

 

なんだかんだしてたら

通夜。

 

私は「喪主」

 

しっかりしなきゃ!の理由の1つがこれだった。

 

家族葬にしたので、こじんまりと行う予定が・・・

はるばる北海道から来てくれた友人

そして、東京の大学時代の友人

そして、会社関係者等

大勢の方が最期の挨拶に来てくれた。

 

嬉しかった。

 

なんか・・・嬉しかった。

 

私は常にニコニコしていた。

ちょっと不思議がられた。

 

けど、私も昔、葬儀に出席した時

喪主の人はいつもこんな感じの人が多かった。

 

この時、初めて・・・その気持ちがわかった。

 

しっかりしなきゃいけない!って気持ちと

どう表現したらいいかわからないけど・・・ちょっと嬉しい気持ちもあったのかなぁ~って。

 

知らない人ばかり!が本音だけど

いろんな人が温かい言葉と、気遣いをしてくれたり

励ましてくれたり、応援?してくれたり、

思い出話をしてくれたり・・・

結婚をしていた!とは知らずに来てくれてた人もいたり・・・

 

旦那は昔、留学していた、ということもあったり

お店には外国人も多かったせいか

異国の方々も多く来てくださり・・・

 

英語が全くダメな私は、日本語でしかお話しできなかったけど・・

それでも

不思議と”気持ち”というものが

伝わり、伝わってきた。

 

 

あっという間に通夜が終わり

そのまま斎場に泊まる予定だったけど

ちょっとだけ帰宅した。

 

連絡も取らなきゃいけなかったし、

ちょっと片付けたかったし、

ちょっとだけ・・落ち着きたかったし。

 

また斎場へ戻り

あれやこれやとしていると

葬儀が始まり・・・

 

私は直前にトイレに行った・・・。

 

「生理がきた」

 

マジか・・・と思った。

 

最期の望みだった。

 

そう、私はこの時

妊活をしていたからだ・・・。

 

いろんな感情がよぎった。

 

良かった・・という想いと

最期の望みを失った・・という想いと。

 

そして、旦那が生前、

ベラベラと私が「妊活」をしている、ということを話していたので

 

私は旦那の両親と、「妊活」を知っている人に

この事実を伝える必要があった・・・。

 

辛かった・・・。苦しかった・・・。

 

だって

旦那の両親は、心待ちにしていたんだから・・・

長男の子供を・・・。

 

自分たちと同じ苗字を名乗る子供・・・孫を。

 

 

「・・・生理がきました。・・・ごめんなさい。」

私がそうつぶやいた時

 

旦那の両親、親族関係は

がっかりして・・・

さらに号泣して悲しんだ。

 

そして、私の両親は

残念・・・という感じは装っていたが

ちょっと安堵の顔を浮かべていた。

 

まぁ、これから子供を1人で・・・と考えると

私の両親は、子供がいない方が・・・と考えていたのだろう。

 

その後にやっぱりすぐ

「再婚」って話をしてきたぐらいだから・・・。

そりゃ、子供がいない方が・・・とあの両親は考えたのだろう。

 

 

ものすごく複雑な気持ちだった。

 

私の気持ちなんてそっちのけだった。

 

みんな・・・自分たちの都合ばっかり。

 

 

ある意味で

この時が一番悲しかったかも・・・。

 

本当に心が張り裂けそうな気持ちになって・・・

私はもぉ・・何も言えなかった。

 

 

火葬場へ行くと

目まぐるしいぐらいに

火葬が行われいた。

 

ホント、次から次へと・・・。

そして、淡々と火葬が行われていた。

 

なんだかそれが異様な光景でもあった。

 

うちの順番になり

何やら儀式的な?ことが行われ・・・

 

「これが最期になります・・・」と言われた時

 

私の中で、一気に現実に引き戻された感じがした。

 

本当にこれが・・・・最期なんだ、と。

 

そしたら、もうね・・・

愛おしくて、愛おしくて・・・・

 

変な表現だけど

このままでいいから、ずっと居たい!

そんな想いが強かった。

 

でも現実として、そんなことはできないことはわかっている。

 

でも本当にそう想った。

 

動かなくてもいい、死んでてもいい

けど、そばにいてほしかった・・・これからもずっと。

 

でも当たり前にそんなことが叶う訳でもなく・・・

一気に涙が溢れてきた。

 

号泣って感じじゃない。

 

よくわからないけど

ほほをつたっては、ポタっ・・・・

ほほとつたっては、ポタっ・・・・

 

最期のお別れなんてしたくなかった!

これが本音だった。

 

でも、後悔する!

最期のお別れをちゃんとしないと

ずっと後悔する・・・

 

私はそっと旦那のそばにいき

頭を撫でながら・・・

 

「私、幸せだったよ。ありがとね。」

 

そう伝えた。

 

気持ちいい程、本音だけが出てきた。

 

そして、笑顔で言えた。

 

これが、私にとって

本当に後悔にならなかった!

 

今でも、本当に言えて良かった♪

笑顔でバイバイできて良かった!って、本音で思えてる。

 

一番伝えたいことだったから・・・。

 

 

その後、火の中へ放り込まれる旦那・・・

正直、見てられなかった・・・。

 

けど、あっという間に骨になり・・・

変わり果てた旦那の姿をみて

またパニックになった。

 

これが旦那なの?

 

嘘でしょ?

 

本当に理解できなかった。

 

何をどう説明されても、全く頭に入ってこなかった。

 

 

初七日は葬儀と一緒に済ませていたので

次の四十九日までは

旦那と一緒に過ごすことになった・・・。

 

正確には四十九日が

北海道はまだ雪が多く、次の百日まで我が家にいることになったんだけどね。

 

けど

ここでも、ちょっとだけ・・・いろいろあった。

 

息子のお骨を持って帰りたい旦那の両親と

旦那と一緒にいたい私。

 

ちょっともめそうになったけど

周りの人が私の味方についてくれたおかげで

両親には申し訳ないけど

私のそばで、もう少し一緒に居られる日々があった。

 

正直、嬉しかった。

 

ホントに嬉しかった。

 

そして、やっと

久しぶりに二人っきりになれる日が・・・とちょっとだけ喜んだ。

 

けど

この時の私は、

すでに4日程、一睡もしていなかった・・・。

 

というより、眠気が一切なかったので

寝ていない、ということにすら気づいてなかったんだけど。

 

 

続く・・・