春先から進めて来た戦没者慰霊碑の碑文字リニューアル。
6月12日、第9弾となる「士魂碑」のペンキ入れ作業を完了。
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(撮影:令和6年6月12日)
(同上)
(同上)
ちなみに、ペンキを入れる前は、このような感じ。
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(撮影:令和6年6月5日)
池田末男大佐率いる戦車第十一聯隊(れんたい)「士魂部隊」は、
太平洋戦争の終戦3日後の1945年8月18日、
千島列島最東端の占守(しゅむしゅ)島に不法上陸して来たソ連軍に対し、
猛然と反撃を加えて島から撃退した。
史上「占守島の戦い」と言われる。
(占守島👇 写真はNHKのネット写真を拝借。)
ソ連軍(現 ロシア軍)の侵略は、士魂部隊の隊員たちが皆、
8月15日の終戦詔勅(しょうちょく)で、
ようやく故郷へ帰れることを知って安堵し、帰郷の準備をしていた時のこと。
しかし、ソ連軍の上陸を知るや、隊員たちは故郷帰還への夢を胸に封じ込め、
猛然とソ連軍に反撃した。
ソ連は、占守島での手痛い敗北によって、
北海道の占領を諦めたことが、戦後明らかになった。
池田大佐以下「士魂部隊」の精鋭100余名は、
自らの壮絶な戦死と引き換え、
日本が、東西ドイツや南北朝鮮半島のように、
分断国家となることを防いで下さった。
その「士魂部隊」の慰霊碑「士魂碑」が、
三ヶ根の戦没者慰霊園に建立された理由の一つは、
隊長の池田大佐の出身地が、三ヶ根からも近い豊橋市だったこと。
(池田末男大佐 ウイキより拝借)
私も、池田さんと同じ三河の人間として、
ささやかな感謝と慰霊の気持ちを捧げさせて頂くべく、
大佐のご命日となる8月18日を前に、
「士魂碑」の碑文字をリニュアルさせて頂いた次第。
ところで、戦車第十一聯隊が「士魂部隊」と愛称されるようになった理由は、
「十一」の「十」と「一」を上下に書くと、「士」という文字になることによる。
現在、陸上自衛隊の北恵庭駐屯地に「第11戦車隊」という
強力な機甲科部隊が駐屯しており、
この部隊も、池田大佐の「士魂部隊」の偉業と精神を受け継いで、
自らを「士魂部隊」と称している。
(陸上自衛隊 第11戦車隊 ウイキより拝借)
古くは千島列島の占守島で、新しくはウクライナで、
ロシア(=ソ連)という国は、相手が弱そうと見るや、
無慈悲に襲い掛かって来るという、獣のような国。
陸自の「士魂部隊」には、池田大佐の「士魂部隊」のように、
いつ起きるか分からないロシアの北海道侵攻に対して、
準備を怠らず、錬成に励んで頂きたいと切に思う。
拝
(三ヶ根観音の紫陽花 撮影:令和6年6月12日)
以上