おまいらはなんで1月17日が「おむすびの日」なのか知ってるか?
今日は1月17日。
しかし、今日が「おむすびの日」だということはあまり知られていないでしょう。
まぁ、ニュースで見た方もいるかもしれませんね。
今から17年前。
ここまでくれば勘のいい方は分かるかもしれませんね。
1995年1月17日、兵庫県南部地震(通称:阪神・淡路大震災)発生。
特に、神戸の長田は被災地の中でも被害が多かったそうです。
「未曾有の大震災」と騒がれ、全国のマスコミはこぞって報道しました。
そんな中、ボランティアは被災地で炊き出しを行いました。
そこには、おむすびの炊き出しもありました。
このおむすびが被災者を励ました(のかどうかは被災者の声を聞いてないから知らないけど)ということで1月17日を「おむすびの日」としたということです。
皆さんは震災の記憶を忘れていませんか?
被災者の方々は、今もなお震災の記憶を忘れられないでいます。
被災者の記憶は、傷です。
恐らく、一生消えることのない。
でもさぁ、被災してない人が忘れちゃダメなんじゃないの?
覚えてるでしょ?
高速道路の崩れていないところギリギリで止まったバス。
ビルや電柱が倒れた道路。
火が飛び交う長田の町並み。
ボランティアとして働く人々。
連日のように流れるニュースと義援金の呼びかけ。
俺は確かに今中学3年生だから、実際に見た訳じゃない。
何を偉そうにって思うかもしれない。
でも、それって過去の教訓として残して行かなきゃいけないんじゃないの?
また同じようなことが起こって、国自体が混乱するかもしれない。
そういうのを避けるために、未来に記憶を残して行こうよ!
この日だけは思い出そうよ!!
最後に、17年前の今日被災した人のスレッドに書かれていたものからなにか心に残るものがあれば幸いかと思い要約して書かせていただきます。
男性(以下A)が震災から10数年後のある日、実家の押し入れを整理しているとある手紙を発見。
それは被災したあのとき出会った大阪の女の子のボランティアの電話番号だった。
それは、あの1月17日の数日後。
大荷物を持った女の子がこっちに歩いてくるのが見えた。
その女の子は大阪から歩いてきたという。
兵庫は神戸まで。
女の子はボランティアとして働く傍ら、Aとも親しくなっていった。
そんな時間も長くは続かず、女の子は帰って行った。
その時に渡されたのが、あの電話番号だった。
Aはもう1度その電話番号にかけてみるが、「会えない」とのこと。
なんとか会えないかと交渉すると、「覚悟してね」と一言。
女の子と会うと、そこには車いすに乗る彼女の姿があった。
Aは何回か遊んだ後告白するが、女の子は「迷惑をかけたくない」と言ってかたくなに断った。
Aは思い出の曲である尾崎豊の「I LOVE YOU」を聞きながら、泣きながら、車を走らせた。
~本当に考えてほしいのはここから~
Aは、神戸に来たとある歌手のライブを見に行った。
そこで歌手は、「震災から10年経った。もうあの悲惨な出来事は忘れて、前に進む時だ!」と言った。
Aの実家は、倒壊した家と新しい家の二重ローンで苦しい生活を余儀なくされていた。
ある人は職を失い、ある人は故郷を離れ。
Aは、歌手に対して憤った。
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皆さん、被災者は10年経ってもなお苦しい生活を強いられるということをしっていましたか?
自分も恥ずかしながら、この話を聞いて初めて知りました。
あのとき、当時の村山内閣は度重なる失態を犯して失脚しました。
しかし、今も変わってないんじゃないですか?
雇用はどうなったの?二重ローンの支援はどうなったの?
本当の「支援」って何なの?
被災者が本当に苦しむのは、もっと後だって分かった。
皆さんはきっと「頑張れ!」って言ったと思う。東北や、当時の神戸に。
でも!
被災者のほとんどが「これ以上何を頑張ればいいんだ!」って思ったと思う。
さっきの歌手にしても、私たちにしても、結局は他人事のようにしかとらえてない。
本当に応援していったとしても、それは誰かの心に傷を作るかもしれない。
それでも私たちは、前に進むしかないんです。
どんなに苦しくても、どんなに悲しくても。
今こそ、助け合って困難を共に乗り越えて行こうという姿勢が大事なんじゃないんですか!!
ねぇ、政治家の皆さん、官僚の皆さん。
最後に皆さんへ。
この記事を通して考えてほしいことが最後に1つあります。
見てくれた方は、考えてくれると幸いです。
皆さん。
本当の復興とは何でしょう?
それが分かる日まで、共に闘いましょう。