理性の光
理性は、人間を身勝手な思いや感情から遠ざけ、
正しい信念と思いやりの平穏な道に導いてくれます。
理性を十分に働かせているとき、人間は決して道を誤りません。
ジェームズ・アレン
("Above Life’s Turmoil", James Allen, 『「原因」と「結果」の法則③』P144~P146,サンマーク出版, 2004年4月10日, 訳 坂本貢一)
〔原因と結果の法則メソッドについて〕
本日の担当は、
筆不精なブログ編集長の
萱森実です。
今回のテーマは「理性」です。
ちょうど今、私にとって課題となっていることでした。
理性とは何かをひもといてみると、
「 理 性 」
1.道理によって物事を判断する心の働き。論理的、概念的に思考する能力。
2.善悪・真偽などを正当に判断し、道徳や義務の意識を自分に与える能力。
3.宇宙・人生を司る基本原理。
(デジタル大辞泉) *他、哲学的な解説はあるが割愛。
1と2についてはなんとなくわかっていましたが、
3の「宇宙・人生を司る基本原理」とは想像していませんでした。
すごいキーワードに接してしまったのかもしれませんね。
むずかしく書いてありますが、理性的とは、感覚的や直感的ということとは反対の意味合いのようですね。
料理をするときに、
食べたいものをイメージして感覚的に作るのが直感的
レシピと材料を見てから手順通りに作るのが理性的
そんな荒っぽい分け方で許していただけるなら、それで良しとしましょう。
(いいのか・・・)
アレンさんによれば、
理性は神を感じることの妨げになると誤解されている
と言われています。
理性は感情が伴わない冷たいもののように見られやすいのかもしれません。
しかし、物事の真理や法則を理解する為には、理性の力が必要です。
宇宙の神秘的な側面についても、理解する為には理性が欠かせません。
神は細部に宿る
こんな風にも言われる通り、科学者が研究に研究を重ねた結果、神の差配を感じざるを得ないと感じることもあるそうです。
もうだいぶ前になりますが、
ジョディ・フォスター主演の「コンタクト」という映画がありました。
この映画は、NASAの研究者であったカール・セーガンによって書かれた同名の小説が元になっており、理性と宗教の両側面から宇宙の神秘を解き明かそうとしたものでした。
人は宇宙の神秘を感じる為には、ただ感じようとするだけではなく、理性の力を最大限に使って理解しようとすることが大切です。
映画の中で、宇宙から送られてきたメッセージを研究者が一つ一つ解読していく姿が爽快で頼もしく感じました。
しかし、宇宙からの視点をどう捉えるかということについて、人は喜びと同時に悩み、恐れを抱いていました。
理性は神聖な能力であり、十分に活用されさえすれば、人間を間違いなく《真理》へと近づけます。
ジェームズ・アレン
私の中で、理性は能力であり、人に喜びをもたらすものとして使うようにしています。
仕事の中でも、喜んでもらうため、安心してもらうためにどうすればいいか、ということを形にしていました。
高齢者を介護する事業を営んでいるときは、多くの専門家に囲まれて仕事をしていますが、最終的な取りまとめの役割を果たしています。
老衰で亡くなろうとされている方のお看取りに必要な環境を作り上げるのに、医療関係者や法律家、現場の介護スタッフなど多くの人の手や理解を一つにまとめていく作業が必要になります。
素人に近い私にとって、専門家たちをまとめていく上で大きな力になるのが理性の力、論理的であることです。
頭の中でYes/Noを繰り返し、
これがこうなったらどうする?
その次は? その先は?
そんなことを専門家たちに一つ一つ問いかけながら、漏れがない状況を作り上げていきます。
先日もそのような調整を集中的に行った際、なんとかきちんとした環境を作り上げることができました。
しかし、私の理性の下にある無意識には、怒りや恐れといった感情が層をなしてあったため、理性の力は、人を攻撃することにも働きます。
この重要な調整のタイミングでも、もれなくその力が働きました。
私の無意識にある怒りが仕事の調整を妨害するような働きを引き寄せ、強い怒りを感じることになったのです。
私の無意識の怒りが原動力になると、理性の力はすごい勢いで働きだします。
スーパーコンピューター“RISEI”が、あらゆる手を考え尽くしてもっとも効果的な一打を発見して、シナリオをイメージさせてくれます。
そしてそのシナリオは、みずからの正義感や使命感を果たそうとすること以上に、相手を排除したり追い詰めたりするところまでやろうと無意識の力が働いています。
いつの間にかに私の頭の上には、「許せない」という旗がぴこーんと立ってしまうのです。
しかし一方で、私の理性はもう知ってしまっているのです。
怒りをぶつけたい、という私の無意識が原因になって引き起こしている現実だということを。
そこから先は感情と理性の駆け引きのようなものです。
頭では、この怒りは手放すべきだとわかっていても、感情の力もかなり強いです。
相当手強くて、どんどんいろんなイメージを湧かせてくれますし、現実を引き寄せてくれます。
私の場合は怒りですが、それが悲しみ、不安、恐れ、という方もいるでしょうし、理性の発揮の仕方も人によって全然違います。
今まさに、理性と感情の駆け引きの真っ最中で
この「理性の光」テーマをいただいたということは、
原因と結果の法則に照らしても、
私の理性に応援の手が差し伸べられたということだと思います。
それを受け取れるかどうか
それによって私は小さくて脆い自分の器を、少しでも大きくすることができるのか
今も、みぞおちのあたりに怒りの熱を感じます。
でも、この怒りの感情を手放せたとき、
胸のあたりに、すぅっと冷える感覚があります。
宇宙と繋がり、心に余裕が生まれた瞬間なのかもしれません。
理性は、人間の動物的な意識と神の意識との境目に存在し、十分に用いられたとき、人間を闇のなかから光のなかへと導いてくれるものになります。
理性は確かに低いレベルの身勝手な活動にも利用可能です。しかし、それは理性の不十分な、いわば誤った利用法です。
私たちの誰もが、理性を十分に活用しつづけることで、やがては身勝手な性質を持つあらゆるものから遠ざかり、《法則》との完璧な調和を達成することになるのです。
ジェームズ・アレン
新しい一日にふさわしい、新しい感情と理性を身に付けてもいいかもしれません。
このようにして、原因と結果の法則はセルフコーチングにも日々活用できる貴重な学びです。
関心のある方はぜひコンタクトを取ってみることをオススメします。
今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
萱森実