イエスを信じるとは?
《真理》の本体を構成する神聖な原則の数々、すなわち、正義、思いやり、愛などを信じている人たちは、イエスが「救済のための信念」と強調し、ブッダが「正しい行い」の基盤だとした「正しい信念」を所持している人たちです。
(Above Life’s Turmoil", James Allen, 『「原因」と「結果」の法則③』P80~P83,
〔原因と結果の法則メソッドについて〕
イエスを信じるとは?
イエスもブッダもこれらの原則を信じた時から、心を急激に浄化しつつ、完璧な人生への道を歩みはじめたとの事。
イエスと聞いて一番最初に思い出したのは
教会でした。
少しキレイになっていますが、実際にお式を挙げたチャペルです。
今日は少しだけパートナーシップのお話もさせて頂けたらと思います。
私は2月21日で結婚12年目になります。
今から12年前、私がまだ23歳の時に
海に面した真っ白な教会で結婚式を挙げました。
その当時、まだ心の準備も何も出来ないまま私は花嫁になりました。
その日のために、大切に仕立てて頂いた
真っ白な可愛いウエディングドレスと
大好きな赤いバラに包まれたステキな会場にワクワクしながらも
不安で不安で、結婚式の最中も
ずっと緊張していた事がとても懐かしく
感じます。
そして、当時は愛する両親と妹までもが心配していました。。
イエスの前で愛を誓うワケですが
まだまだ、心が幼かった私は…
何で私が仕事を辞めてまで家事をやらなきゃいけないの?
まだ色々チャレンジしてみたい事もあるけれど、赤ちゃんも生まれたから我慢しなくちゃ。
でも何で私だけ我慢しなくちゃいけないの?
結婚して赤ちゃんも生まれたばかりで右も左も分からないのに、更にお引越し。
ここはどこ⁇
こんな所に住みたくない‼︎
主人も仕事が忙しくて帰ってこない。。
友達も両親も近くにいない。。
こうして当時の事を振り返ってみると
見事に 無い!無い‼︎を強調している
悲劇のヒロインでした(笑)
イエスの前でとても愛を誓えるような状況ではない…
今でこそ隔週で主人と二人登山をしては
山で大笑いしながら帰ってくる
親友の様に仲のいい夫婦になりましたが、
少し前は憎み合う事しか出来ませんでした。
イエスは愛について
純粋な愛は自分の利益や見返りを求めない。
と言っておりますが、利益と見返りしか無かった‼︎(笑)
家事をするんだから私を自由にして!
私だって働けるんだから!
私にばかり家事をさせないで!
たまには学校行事にあなたが行けばいいじゃないの‼︎
私は家政婦じゃない‼︎
も〜見返り女ですね。。。
口では幸せになりたいだとか、愛だとか言っていましたが、アレンさんに言わせれば
行き過ぎた欲望や身勝手な行い、憎しみや怒りなどを人生の友として生きる人たちは、自分自身を偽って生きている人たちです。
彼らは、イエスを信じてなどいないのです。
彼らが信じているのは、彼ら自身の動物的な自我にほかなりません。
自分が!自分の考えが!
では、いつまでも何をしても幸せになれないという事ですね。
私も十何年も苦労したので、パートナーに愚痴ったり悲鳴を上げたくなるのも良〜く分かります。
しかし、カルマは繰り返し続けていくので、
解消するまでは、何度も形を変えてやってきます。
では、イエスを本当に信じているか?
もっと簡単に言うと、
本当に愛と幸せで生きていきたいか?
をご自身でチェックしてみましょう♡
ポイントはキリストの戒めに従って生きているか?
戒めとは
・戒めは人が正しい選択をできるようにするための指針。
・戒めは人を霊的な危険から遠ざけるものである。(恨みや妬み、誘惑)
・戒めを守ることを通して人は成長することができる。
・戒めはそれを守れない人をふるいにかけて落とすと言うものではない。
・すべての戒めは「愛」が軸になっている。
この戒めを常に自問する事です。
イエスの言葉に
敵を愛し、
迫害する者のために祈れ。
という言葉がありまして、
一番最初に聴いたのはメンターである
勝先生から教えて頂きました。
どんなにご主人が憎くても、
どれ程悲しくても
ご主人の幸せを祈りなさい。
と、何年も何年も
何回も何回も勝先生から教えて頂き
やっと素直に実践できてから、状況は
あっという間に状況は激変しました。
家の中で怯えて、居場所が無かった私は
あたたかいお家に帰っていったのです。
これが、自分の信念が変わるという事なのかと体感した一番最初の原因と結果の法則を使った経験でした。
私たちの特定の行いが変わるのは、私たちにそれを行わせている信念が無くなった時だけです。特定の信念を心から排除してしまうと、私たちはもはや、それが対象としていたものにしがみつくことも、それを表現する事も出来なくなります。
ジェームズ・アレン
今日も愛に溢れた1日になりますように♡