『苦悩は、つねに何らかの方面の誤った思いの結果です。
苦悩は、それを体験している個人が、自分を存在させている法則との調和に失敗していることの、明確なサインです。』
ジェームズ・アレン
("As a Man Thinketh", James Allen, 『「原因」と「結果」の法則』P31~P35,サンマーク出版, 2003年4月25日, 訳 坂本貢一)
身の回りで起こることへの反応は、人によって様々です。
感情を揺さぶるような出来事が起きたとき、
素直に喜ぶ人もいれば、
自分には関係ないと受け流す人もいるし、
居心地悪い印象を受ける人もいます。
中には、人知れず傷ついている人もいるかもしれません。
例えば、
仕事で問題が発生し、
職場全体でピンチな状況が発生した時、
さまざまな感情をもった人たちが右往左往します。
怒り出して誰に責任があるかを探す人もいれば、
淡々と今できることに集中する人もいて、
ピンチをチャンスと捉えて奮起する人もいるでしょう。
昔の私は、
全部やっていました。笑
職場が騒然となるような問題が発生した時、
怒って犯人を探して糾弾し、
ピンチをチャンスと捉えたのちに、
淡々と仕事に集中して解決してきました。
私を含め、みなさん、精一杯、頑張っているのですが、
その状況で自分が起こしている行動のきっかけとなった「思い」もしくは「恐れ」に気づいている人は、どのくらいいるでしょうか?
「原因と結果の法則」を意識している人であれば、
人間パワースポットとなって問題が自然と解決されていくでしょう。
しかし、なかなかその域に達していないと、苦悩が絶えません。
私がとった行動の原因となった思いを、瞑想を通じて内観していくと、
表面的な思いとしては、
「問題を繰り返さないために、誰のどこに問題の原因があったかをはっきりさせたい!」
「プラス発想が大事だ!私にはより良い解決策が見えている!この問題を解決に向けてリードしたい!」
「チームプレイを円滑にして効率よく解決しよう!」
というものでした。
しかし、こういう「思い」を抱いたのはどうしてなのか?
当時、自分には勢いというか、切迫感のようなものがありました。
こうしなければならない、というような。
でわ、それはどんな「思い」または「苦悩の裏返し」だったのでしょう。
現実の結果に繋がる
さらに一段深い「原因」を探ることが大切です。
瞑想をして、 ふかくふかく「自分の内面」 を感じると、
そこには、「思い」ではなく「恐れ」がありました。
「自分が責任者だと追求されるのが怖い」
「問題を起こした人を許せない。罪を突きつけて断罪せねば」
「マイナス発想になっていじけていたら強く非難された」
「自分一人でやって喜んでいたら裏で悪口を言われたから嫌だ」
これらの苦悩が原因となっていたのです。
「でも、結果としては職場の問題を解決しているのだから、なにも問題ないのでは?」
と思われるかもしれません。
でわ、原因と結果の法則に基づき、
私の苦悩が、職場に問題を引き寄せていた、としたらどうでしょう。
私が、怒って犯人を探して糾弾したくて、
私が、ピンチをチャンスと捉えるところを見せたくて、
私が、淡々と仕事に集中して解決したいから、
職場に問題を引き寄せていたのです。
とんだ困り者ですね。
こうして表面的な感情に隠された、苦悩を認めて、その感情を再度感じ切ってから、苦悩を癒すことで、問題を引き寄せることがなくなっていきました。
同レベルの問題が起きたとしても、やすやすと解決されていくのです。
そして、あらたな挑戦のステージに進むことができました。
目の前に起きた問題や、
自分が抱えている苦悩を感じたら、
ちょっと気持ちに余裕を持って、
新しい未来を開くための明確なサインがきた、
と捉えてみてください。