冬の間だけ施設に入っている80代の母
風呂の脱衣所で足を滑らせ転んだ
呆気無く 大腿骨骨折で
入院、手術となったのは先週の事。



私が罹患するまで 
両親の病気の対処はわたしの役目だった。


遡ること 12年

車で飛ばして45分の実家。
母は重度の鬱病から
突然の行方不明
自覚の無い自殺未遂
食事を全くとらなくなる
などなど 
度々の緊急事態召集

入院も足かけ4年の末
奇跡の復活
とはいえ、
もう家事などはほとんどできない。

父もパーキンソン病を始めとして
4種の病院を掛け持ちする体。
2人とも頭はシッカリしている。



当時は小学生だったひとりっ子の娘。
そのうち旦那がリストラになり
私が仕事を持つようになる。


両親は年々歳を取り
状態は良くなるわけもなく
ケアマネージャーやヘルパーさんやら
たくさんの行政の力を借りても
娘のやる事はたくさんあるし
私のやってあげたいこともたくさんあった。


同居話も出たが
当時、心を病んでいた娘と、
やっと再就職した旦那の仕事をとり、
悩んだけど、きっぱり断った。 少し、泣けた。
私のいちばん大切なものだけは見失わない。
それだけは守ろう。
それだけは貫いた。



そんな日々が10年程続き
もはや老老介護に近くなってきた。
両親も、自活や同居にも諦めがつき
ようやくめどがたった頃、私が病気になった。



私には神奈川に兄がいる。
とても優しく、とても仲良く、とても感謝してくれていた。
でも、こちらに顔を出す事も
お金の援助をしてくれる事も無い。
不満は無かった。
できる人がやればいい、そう思ってたから。


その兄が私の罹患で初めて、
もう全てから手を引いて治療に専念できるようにと
全部引き受けてくれた。
離れているから面倒が見れないのではなく、
実は近くにいるから施設側に使われていた事も
たくさんあったことも知った。




こうして私は一切の両親の生活から手をひいた。
ごくごくたまに電話で話すだけ。
ハゲた頭も見せたくなかったし、
半年も声出なかったからしだいに電話も少なくなった。
もう、両親はメールの使い方も覚えていない。
読まれることの無いメールを打つ私。




今回は緊急事態で久々の出番
入院準備やら、手続きやらは
すっかり慣れっこ
が、思い出した。
なぜ親の病院の付き添いは
こんなにグッタリするんだろう。
1回にして思い出した。
そして、つい無理してでも
身の回りの世話にいそしんでしまう私。


風邪ぎみ、疲れ気味ではあったものの
3回行ってグッタリ疲れて 
昨日の夜はほかほか弁当。
家族はなぜか大喜び。



ブログでは皆さん
親御さんの闘病に一丸となって戦っているのにね。
父とは決定的に性格もあわなくて、だけど
母の事は今も大好き。
それなのにぐったり。


みんな、偉いよ。
みんな、すごいよ。



自分がしていた頃は
そう言われても思わなかったし、
疲れていたはずなのに気がつかなかった。
若かったから?
健康だったから?
そんな事じゃない気がする。
離れてみて、よくわかりました。



今、ご家族のために一緒に闘病しているあなた!
あなたは本当に 本当に すごいですよ!
そして、少しは休んでください。
どうぞ、お願いですから。




実は
はじめてアメンバー記事にしてみようかと悩みました。
あまりに独りよがりのグチグチだったので。
でも、誰に内緒なのかも
よくわからないんですけどね。
読まれて気分を悪くした方がいらしたら
ごめんなさい。





患者家族のあなたの努力が報われ、
心痛めることが少しでもなくなりますように。
患者となった今、あなたに
心からお礼を 言わせていただきます。


いつも ありがとう







朝焼けに感謝の祈り(?) 黒い物体
眠いだけか…