【過去】入院の日① | 40代、ありのままの日常 ~第3子妊娠中~

40代、ありのままの日常 ~第3子妊娠中~

上の子たちとは歳の差がある第3子。
1度目は後期流産でしたが、次は絶対に健康体で出会う!

10代のころから、備忘録がわりに書いてたブログ。
敢えてその続きに40代の日常を綴ることにしました。

過去はアメンバー限定記事(個人メモなので募集なし)多めです。

このカテゴリでは、第3子と一旦お別れしてしまった出来事を振り返ります。

また会えることを信じて。

※静かなお産に関する記述が出てきますので、続きの閲覧はご注意いただければと思います。

 

 

経済的理由による中絶なんて

11月30日(木)13週1日

精密検査の日、

胎児水腫で診断は覆らず、

 

そのまま14時に入院する

段取りが決まった。

 

何度も何度も、

しつこくしつこく、

助かる見込みについて聞いた。

 

少しの希望もないのかと。

 

もし後から少しでも希望があったと

分かれば、どうしようもなく

後悔するはず。

 

なので、進みかけた話を戻しては、

本当に望みはないのかと、

何度も確かめた。

 

…………………………

 

医師の口からは(病状的に)

希望が持てる言葉は何もなかった。

 

…………………………

 

こちらの論文にもあるとおり、

妊娠中絶や出生前検査に関する法的規制をみると,日本では,周知のとおり刑法が 堕胎罪の規定を置く一方で,母体保護法14条1項がいわゆる「経済的理由」による中絶を認めていることから,ほとんどの中絶がこの条項にもとづいて行われており,法令による行為として違法性が阻却されている.一方で,胎児の障害を理由とする妊娠中絶を認める,いわゆる「胎児条項」は存在しない.

どれだけ、

 

「胎児が苦しむことになる」

「生まれられない確率が高い」

「生まれても数時間または数日の命」

 

と言われても、

 

日本では、

母体保護法による人工死産

の理由として、死産証書への記載は

経済的理由になる。

 

このことは、

勉強不足だったし、とても驚いた。

 

医師は、

 

「先進国で日本だけ。

 政治家の怠慢のせいです」

 

と言っていた。

 

理屈としては、

①重症障害児が生まれる

②超高額な医療費がかかったり、両親の仕事が制限される

③それは無理ということで、経済的理由での堕胎

というものらしい。

 

すごく悲しかった。

 

と同時に、もし21トリソミーなど、

近年、平均寿命も延びてきていて、

生存が望める障害だったら、

どうしていただろうと思った。

 

重篤な合併症などがなければ、

産む決意をしていた可能性も高い。

 

ただし、身近に障碍者もいるし、

きれいごとではないと

分かっているので、

 

相当悩んだと思う…。

 

その点、我が子は…。

 

非常に厳しい=生存は不可能

と言われたので、

 

誤解を恐れずに言えば、

 

悩む時間は短かった…。

 

もちろん、

ずっと一緒にいたかったよ。

 

中絶同意書を書くとき、

手が震えたとかはなく、

 

何も考えずに

ただただ頭を空っぽに、

事務的に、

機械的に、

 

記載したよ。

 

医師が、

 

「胎児の明らかな異常によるもので、

 胎児とお母さんを守るためなのに、

 経済的理由って。

 

 おかしいよね。傷つくよね。

 

 うちではね、

 望まない妊娠をして、文字通り

 経済的理由で堕胎する人たちより、

 安価で手術をさせてもらいます。

 せめて…ね」

 

と言ってくださったのが、

救いとなった。

 

金額の問題ではない…という

気持ちもどこかにありつつ、

 

お医者さんは遠回しに

 

「ちゃんと分かってますからね」

 

と言ってくださっているようで、

やっぱり救いだった。

 

どうにもしようがなく、

本当に本当にやむを得ず、

断腸の思いで、

苦渋の決断をした。

 

 

公園

午前中の精密検査から

14時の入院まで、

お父さんが入院に必要な荷物を

取りに家に帰ってくれた。

 

お父さんもお母さんも

何も食べる気が起きなかった。

 

お母さんは

病院の近くの公園に行き、

3ちゃんと一緒にどんぐりを

拾った。

 

ブランコに乗った。

 

今度生まれてきたら、

たくさん公園で遊ぼうね。

 

お母さん側のおばあちゃんにも

電話した。

 

ただただ、話を聞いてくれた。

 

入院までに書かなければならない

書類がたくさんある。

 

クリニックに戻って、

書類を記入しながら

お父さんの戻りを待った。