オリンピックの後にはパラリンピックが始まりますね。障がいを持つ選手が、その技を競います。ここで、普段何気なしに口にしている「障がいを持つこと」について、私なりの思いを少し書いてみたいと思います。
障がいを持つようになった経緯は色々でしょう。先天的か、後天的か。先天性でも、身体的な障がいか、知的な障がいか、また、後天的でも、身体の病変などによるものか、事故などの突発的な原因によるか、などで違うでしょう。
特に先天的な場合、親のショックは大きく、その後、時間の経過とともに、どうやって受け入れていくのか、親の成長も試されますが、人それぞれでしょう。障がいをもって産まれた子どもは育てるのも大変。知的障がいなどがあれば、なかなかコミュニケーションも取りづらいです。その辺りから、例の相模原市の障がい者施設で発生した、あのおぞましい殺人事件の犯人のような考え方が生まれるのかもしれません。障がい者は生きていても意味がない、不幸しか生み出さない… … しかし、多くの人は、そうではないとは直感的に思われるでしょう。
でも何故でしょう?同じ人間として、生きていく権利がある?確かにそうでしょう。でも、それだけでしょうか?
どうも、現代人は浅い考えで終わってしまう嫌いがあります。この問題は、私は、人間の本質は何か?というのことと関わっていると思います。
何故、人はこの世に産まれてきて、楽しい事ばかりではない、辛いこと、しんどいことも沢山あるこの世界で生きていくのか? 多くの方は、それにより、人生で得るものがあるからだと答えられるかも知れません。そうですよね、確かに。私はもう少し掘り下げて、では、その何か得たものは死んだら終わり?、と問いたいです。死んでも価値があるもの…それは、この肉体だけで感じられるものではありません。やはり、魂の存在でしょう。
そもそも、何故、人はこの世に産まれて、生きていくのか?それは、魂を鍛える、進化させるためだと思います。せっかくこの世で苦労して色んなものを得ても、死んで肉体がなくなれば終わりでは、意味がありません。確かに一部の人は、それを書物に残したり、あるいは素晴らしい記録として後世に語り継がれたりできます。今回のオリンピックでも、素晴らしい記録を出した選手は、いつまでも人々の記憶に名前が残りますよね。しかし、凡人にはそのようなものはありません。
そこでしっかりと考えなくてはならないのは、人間の本質は「魂」だということです。この地上世界で、人生の長い時間をかけて得たものは、その魂が地上の世界で切磋琢磨した証、それをもって霊界に戻ることが出来るのだと思います。魂の進化こそ、人間が肉体をもって、この地上に産まれてきた意義だと信じます。
魂とかいうと、人によって、胡散臭い、何をたわごとをと言う方もおられるかもしれませんが、我々は、何のためらいもなしに、「魂を込めてやれ」とか、亡くなることを「あの世に行く」とか、「天国で見守って」とか言いますよね。我々の潜在意識の底に、魂とかそういうものを見通している心が、きっとあるのです。
その辺りは次回に。