arufa-12 (シレン)のブログ

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自分の思い付いた事を書きます。
基本的には、科学的根拠(裏付け)ではなく、私情を挟みます。

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 僕自身は昔、現代人の情報では乗り越えられない難題課題が来ると思っていました。


実際、今尚壮絶な問題(経済・地球環境・戦争・人道的配慮、…etc)が生じている訳でして、そんな時自分の救いになったのは間違いなくスピリチュアルでした。


ただここで厄介なのが、スピリチュアルは万能ではないこと。なんと言いますか、学問的にスピリチュアルを理解した所で、実践して行動するなり、何かしらの現象を引き起こす訳ではないなら、スピリチュアルは別世界の知恵でしかありません。


つまり、別世界の生きやすさや転ばぬ先の杖をこの世界地球で上手く機能するように形を変えて工夫して、現実世界で機能するようにスピリチュアルを使いこなさないといけないと今は思います。


そうでなければ、現実世界で迷子になり、精神世界でも迷子になる、目も当てられない大変危険な状態になるかと…。


スピリチュアルはとても貴重な打開策になりうるツールですが、一度認知した情報は頭から抜けなくなると思います。つまり、知ってしまったら、後には引けず、路頭に迷い続けるかもしれない。


深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗くということわざがとても今の僕には突き刺さります。


スピリチュアルは毒にも薬にもなります。ただ、残念ながら薬であっても劇物に近い…。その先に永遠の幸せがあるかもしれませんが、取り扱いには注意が必要であり、あまり気安くスピリチュアルをかじらない方が良いかも。


必要に駆られてゆっくり少しずつスピリチュアルを勉強する方が無難な気はします。


スピリチュアルは幸せになる要素はありますが、ジャンルが広すぎるので、ジャンルを絞ってスピリチュアルというものと付き合った方が怪我は少ないです。後、スピリチュアルで夢中になるのはかなり危ない。宗教の盲信で全財産捧げるようにかなり危険です。頭がおかしくなる前に、スピリチュアルは沢山詰め込まない方が無難です。仏教・神道はある程度内容が定まり、秩序がありますが、スピリチュアルは幅が広くある意味無秩序です。現実の無法地帯は間違いなく恐ろしいですが、精神の無法地帯はまた違う意味で厄介であり、重度に染まれば取り返しがつきません。


僕はスピリチュアルに憧れてしまい、中度にハマったものです。多分、スピリチュアルの玄人ではない。


だから言えますが、スピリチュアルで簡単に幸せは掴めないし、どちらにせよ人間は簡単に永遠の幸せを掴めるとは思えません。30年前後生きてきた僕の経験では。


この文章を読んで、スピリチュアルに救いを求めた人が上手くスピリチュアルと付き合い、自分のペースでスピリチュアルを扱いながら、程よく幸せに生きてくだされば幸いです😊👍

地球以外に生命体はいないのか?と私は考える時があります。

真偽は別として、ネット上では、火星に植物があるとか、バラが咲いているなどとんでもない情報があります。

なんというか、デマであってもロマンがあるというか、いずれ太陽系の中で、地球以外に火星も生命の育まれる惑星になると思うと、楽しさがあります。

様々な生命体が生まれれば、文明や文化も発生するかもしれませんし、火星を管理する神様も居るかもしれません。

いずれは、火星に転生するなんていう事もあるかもしれません。

火星に本当に植物がいるのか気になるところです。

人付き合いは大切かも知れません。
ただ、あまり相手の意見や雰囲気に飲み込まれたら、自分の個性が弱くなります。

周りを尊重するのは、場合によっては、自分自身の死に近いんじゃないかなと、私は感じます。

無理に合わせる必要はなくても、周りとの協調面から、どこまで折り合いを付ければ良いか?

自分のアイデンティティを守る為には、とても大切に感じます。もしかしたら、その積み重ねが一番自分の幸せに繋がるのかな…とも思う訳です。

だって、自分の大切な思いは自分が一番しっかり持っているのだから。

周囲と自分の尊重する割合は、どのようにするのが良いのかは、人それぞれであり、それ自体が人生な気がしますね。

雨の音を聞くのは心地が良いです。
雨の音が、自分の考えを消し去り、リフレッシュした時間を与えてくれるから。

なぜ、こんなに安らぐのか?

それは、やっぱり、余計な考えがなくなり、自然な音色だからでしょう。

人はどこか原初的な雰囲気に癒されます。
動物の感性が残っているからか、自然と共に生きている事を心のどこかで感じているからなのか(もちろん、余裕がなく傘をさしている時は、なかなか不愉快でしょうが)。

心地良さを感じる時、この時間が続けば良いのに…、と感じる事はあると思います。

その心地良さを貯める事は出来なくても、その時の気分の良さを正確に・明確に感じる事が出来るようになると、よりその時の心地良さを感じるようになり、コツが掴めるようになると思います。よりリフレッシュが出来るようになります。

脳は嫌な事を考える癖が付くと、嫌な事を感じる脳の部分が肥大化します。もちろん、防御本能や避難の意味では良いかもしれないですが、ストレスが多い現代社会なら、気分を発散するように脳を構築した方が随分気が楽に思います。

冷たい雨からでも、暖かい心地良さを貰えるのは、なんとも不思議ですね。

自然と人工を使い分け、彩り豊かな感性を持って生きたいですね。自分を表現できる方法が増えますから。



 一人で過ごしていたり、あまり外出していないと、ふと寂しさがつのったり、

孤独感や心細さが生じる時もあると思います。

神道や仏教、自然崇拝などを調べると、目に見えない存在が寄り添っているという情報があります。

そんな時、頭ではなく心で感じると心強く感じます。

 

 仏教なら、先祖がいつも子孫の事を思い、寄り添う。

 神道なら、拝む人や苦労している人を応援している。

 自然崇拝なら、鉱物や植物などの妖精が人の疲れを取ってくれたり、共感して寄り添ってくれる。

 

 このような価値観を実感すると、一人でいる時の苦しさが幾分にも減り、

周りの重圧で押しつぶされそうでも、

 「大丈夫。どんな時でも自分を理解し受け止めてくれる世界はある。ひとりじゃない。」

、と思えるかもしれません。

心が温かくなる時、このような実感や目に見えない説明できない優しさを感じると楽だと思います。

 

 私的には、なんというか、最近の雰囲気がなんとなく他人行儀というか、

物質的には豊かなはずなのに、

全然豊かではない、心に冷たさを感じる気がしてなりません。

昔からあることかもしれませんが、人間は優れていてエリートでなければならないという冷たい無機質な壁を感じます。

失敗したら、谷に落とされてしまう、強制的な恐怖感。

そんなの甘えだよ、と言われ思われようと、弱肉強食がこの世だよ、と伝えられても、

不確かであっても、「お互い心はあるよな。疲れるよな」と言える場所は残っていて欲しい。

そう思うこの頃です。

 

 マニュアル人間なんて言葉がありましたが、このままいくと、効率の良い生き方を模索するだけの窮屈な人間社会だけになってしまうと思えてなりません。もっと前からですが、逃げ場のない社会が構築されずに、ゆとりある陽気さ、優しさある遊びを含んだ人間社会の仕組みが出来たら良いなと思っています。現実的にそれが成し遂げられたら、どれほど良いかと感じます。