友達を家に連れてくるのが恥ずかしい。
まあ、分からんでもない。
とっても田舎の、まあ、田舎の中の田舎に好き好んで住んでる我が家。
子育て真っ最中に、自然な暮らしを求め、子供達や自分達の本来の力を伸ばそうという目的で、
ほぼ自然。。しかない?wwこの村へ越してきた。
今ではだーーいぶ緩くなって、自然性と社会性のバランスを考えていくようになってはきたけれど、
まあ、都会から引っ越してきた当初、自給自足的な生活に酔いしれ、自然を貪り食っていた
あの時期を改めて、思い出したww
紆余曲折色々あったけど、私は、この村と、子供達と、一緒に子育てしてきた沢山の移住者仲間達が
やっぱりやっぱり大好きだ。
まあ、ここに住む子育て仲間たちは、同じく辺鄙すぎるこの土地で子育てをしようと、
わざわざ子供連れて引っ越してきて、気づけば長年。。ここで、生計を経ててきたある意味、つわもの達だww
みんな違うけど、どこかに共通点と分かり合えるところが、、あるのだ。
自然と、素のままでいられるんだ。
アスペルガーもしくはADHDの村と言われる所以だ。 天才か!!!
子供の小さい時、とにかく。
とにかく遊んだ。 大人も子供も、とにかく自然の中でめいいっぱい遊んだ。
海に行けば誰かがいて、砂がつこうが、少々泥食べようが、裸足でいようが、裸でいようが
誰も、きにしない。
自然の中での厳しさや、危機管理能力、気を付けるポイントは、自然に体が覚えていくのだ。
何より、私は、常々、大人も子供も自然の中で本気で遊んでる時の(あのメンバーだからか?(笑))
何とも言えない神々しさというか、言ってしまえば、超高波動のエナジーを浴びるのが大好きだ。
遊ぶ、は、楽しい学びなんだよ。
だから、なんとなく、この村の子供達は、なんというか、大人びているところがある。
感性というか。。誰に対しても超自然体の子が多い。
今も、遊ぶ大人達であふれているこの村。
今、ね、私は、特に、遊ぶ、ということから離れて、自分のやりたいことに挑戦する努力に集中しようとしている。
割と離れることを選んでるよ。
確かに、遊んでばかりじゃ何も進まないとは思うし、もっと自分の仕事や夢や、それによる収入をアップしたいからね。
でも、何が大切で大切じゃないかということは、今一度きちんと自分の中で確認しておきたい。
今、確実に離れようとしている遊びは、座っていて、何もしないで、すぐに得られる満足感を感じられる遊びのこと。
好きだからね。。漫画や、ブロックゲーム、動画、インスタ。。。
(あ、子供達は絶賛やってるよ。とりあえず私だけ、自分の意志で)
子供達が小さい時は、そういうのなくてもめちゃくちゃ毎日楽しく遊べたけれど、
大きくなるにつれて、社会性がついてくるし、この村を出て少し町の中学校に通いだしたりすると、
もちろん、沢山の高刺激で楽しいものに巡り合うし、情報にも人にも、沢山触れる。
その経験はとても大事だ。
それにつられて、私の社交範囲も時間も行動範囲も広くなるしね☆
SNSは最高です。マンガ、ブロックゲーム、インスタ。。。 大好きよ!!!
だって、超絶面白いじゃん!!!
世界が広がるし、いろんな才能があふれてて、これ作った人すげええーー!!!!って感じなんだけど、
だけど、それらを只見て過ごす何時間かと、
自然の中で、いろんなもの工夫して体をいっぱい動かして、感覚使って、
仲間と協力したり助け合ったり、見守ったり、ご飯を一から作ったりして遊ぶことや、
同じく、絵を100画描くための、睡眠や静かな時間をとって、体を鍛えて、
集中して描き続ける耐久性を取りに行く遊びの時の、満足感とか達成感は、
一朝一夕に与えられるだけの満足感とは違うものだということは、きちんと認識しておこうと思う。
そんなこんなで、思い出話に長くなって、何の話だったか。。」ってやつだけど。
中学校の息子は、中学校のサッカー仲間が、自分の家に来るのを凄く嫌がった。
ともすれば、自分が自分の友人を、この村に連れてくることも嫌がった。
その嫌がりようがすごかったので、その友人が帰ってから、息子に聞いた。
「あんた、家やうちの家族が、恥だと思ってんの?なんか恥ずかしいわけ?」
「ママから言わせれば、自分の家や、自分の家族のことを恥ずかしく思ってる、その事の方が恥ずかしいよ。」
「。。。」
「ママが一方的に言ってるけど、この解釈であってるの? 言われっぱなしで良いわけ?」
「。。家族が嫌だとか、、は思ってないけど。。。。ごにょごにょ。。」
「私は、今、本気で、面と向かってあなたに聞いてるし、自分の考えを言ってる。
何も言えないなら、向き合う気がないんだと取るけどそれでいいの?」
「うちは、、、いろいろできないし。。ごにょ、、、」
「うん。。。??」
とまあ、こんな会話?(一方的ww)を繰り広げたのだがwww
でもね。 分からんでもないのよ。
私も、自分の内側に入られたくないときや、自信のない時、なんだか恥ずかしいと感じたり、
タイミングじゃないときや、その思いに対する罪悪感や葛藤、いろんな気持ちがある時は、正直あるのだ。
ましてや、アタイは決してシンプルなタイプじゃないからねww 自覚済みです。
息子も、他の子供達も、友達を家に連れてきたい☆という時期はあった。
(我が家の小さい子達は、もちろん今でも常に友人連れてきてるよw)
完全オープンマインドの時はあるのだ。(私にもね☆)
だけど、自分のことを考え、ちょっと集中したいと思った時って、いろいろ考える時だと思うの。
まだはっきりしないことや、矛盾もいろいろ湧いてくる。
ましてや、思春期真っただ中の中学生だ。
家族や友人、地域も大切だけど、だからと言って、それがすべてを解決してくれるわけじゃない。
変化をするときってのは、なんだか自分でもよく分からない気持ちがわいてきたりするし、
そして、その、家に来てほしくない、とかの理由は、存外、単純なものだったりもする。
「あんた、家が恥ずかしいと思ってんの??」
とかいう、重い話でもなかったりするのだ。
そして、誰かが家に来る、という一つの状態に関してさえ起こる、いろいろな感情は、
実は、未だに私の中にだって、というより、私の中よ。全部(笑)
その時々によって、いろいろ湧きおこったりしてるさ。全部私の中。
そう、そして、それは、結局は、大した問題ではない。言い切るよ。
そして、はっきりした答えなぞ、特に必要ではない。 実際は。
でも、「ん。。?」と思ったその時は、
その思いに対する会話の投げかけは、私はこれからも、やっていくだろうと思う。
そうやって、はっきり投げかけられる、人の思いや、質問は、
お互いに、自分の奥底にある感情を一つの言葉として、自分にも見える形で表に出すことに繋がると思うから。
自分で言葉にできた時、はたまた、こうやって目に見える形で文章に書きだした時、
それは、自分の内側を観て、受け入れ、認めていってる行為だと思ってる。
自分に明晰さを感じることは、自分への信頼に、きっとつながる。
一つの出来事から、感情が湧き、私はそれをとらえた。
それにより、また、私は自分にとって大切なことを確認できたから、
まあ、本当に。 息子よいつもありがとう。
そういえば、思春期でもあるにかかわらず、こんなことが大問題になるくらい(笑)
たいして荒れもせず、素直さの残るあなたたちの事を、私は本当に感謝しているし、
改めて、やっぱ、どうでも、なんでも、愛しております。
なんでもいいのよ。実際は。
はい。