母親やってると、  (ってか、結局は突き詰めれば何やってても同じことが言えるけど、)

 

予定外のことが入ってくるのは日常茶飯事だ。

 

というより、予定通り事を進められるなんて、そんなことはほぼ起こらない(笑)

 

自分の事だけ管理してれば自己責任ということで納得もしやすいけれど、

 

いかんせん、濃密に自分以外の人が関わってくるからね真顔

 

人は変えれない。 変えれるのは自分だけ。 よく使われる言葉だけど、

 

家族という、一つ屋根の下に暮らして、距離が近い分、これらのバランスをとるのが

 

至難の業となってくる笑い泣き  一人っ子だった私には、特に、高度な課題でしたよ☆

 

中途半端で終わらせられること、やり遂げてもすぐ壊されること(掃除とか)

 

一生懸命作ったご飯が雑に扱われたような気がすること、食べてもらえなかったこと、

 

一度は誰でも経験あるのでは、と思う。

 

こだわるとうまくいかないことが多かった。

 

あまりにも自分を出しすぎると、本当にうまくいかなかった。

 

最初は、ただひたすら、忍耐、受け入れ、ただただ耐えること、

 

できないが溜まっていく、成果がよく分からない、私は今日一日何をしたのかが分からない、

 

中途半端が募っていく、やったはずなのに散らかった部屋、容赦なく迫るご飯の時間、

 

どれくらい寝れるのか、いつ起こされるのか、分からない毎日。

 

 

最初の子を妊娠していた時、夫に、「仕事の都合があるから、大体の予定を教えてくれ」

 

と言われ、「いつ生まれるかなんて、予定日はあるけれど、そんなの分からない」

 

と答えたら、「え、自分の体なのに大体の感じも分からないの?」と悪気なく驚かれた。

 

悪気なく驚いて発せられたその言葉は、私の中で、罪悪感を生んだ。

 

と同時に、そういう罪悪感を感じる度に、「予定通り動けるあなたはいいですね!!」

 

「何にも分かってないヤツめ!!」という、不満も募らせていくのだが(笑)

 

そんな、一人っ子脳を使い慣れていたザ・マイペースを死守していた私にとって最初の出産は

 

それはそれは心の中の大改造が大変だった笑い泣き

 

母は柔軟に学びます。

 

二回目の出産の時には、出産後「私は赤ちゃんとイチャイチャしていればいい」

 

「もしも、誰も食べ物を運んでくれなかったら、私は飢えて死ぬだけ💗そん時は死ねばいい💗」

 

と、究極すぎかもだけど、本当にそう思って、いろいろやらないことを少し選択できるようになっていた。

 

だから、だいぶ楽だったんだ。

 

そりゃ、自分のこだわりの苦しさは、その後もどんどん出てくるけれど、

 

その度に、母親脳になっていかなければ、子育てなんて苦しくてできっこない。そう思うんだ。

 

逆に、何かに自分を明け渡した時、開き直りという強さか。。ニヤニヤ何かに対して大きく信頼し、

 

その信頼に自分達を委ねた時に、子育ての幸せ、喜びというものを垣間見ることができた。

 

このことを語れば奥が深いので、またにするけど知らんぷり

 

 

そう、私は、まだ母親業も続けながら、

 

自分の人生にむけて、ルーティーンを決め、こなすということを、自分に集中を、している最中だ。

 

子供のハプニングは、家族のハプニングは、自分のハプニングのようなものだといっても過言ではない(笑)

 

不必要な助けはしないと決めているけれど、家族の幸せは、自分事でもあるのだ。

 

だから、自分のやりたいことに執着しすぎるあまり、本末転倒。的なことにならないように

 

日々確認しながら、今日も進むの。

 

自分の本当に大切なものを確かめながら。

 

手放していく。 こだわりを離しながら、こだわるときはこだわるの(笑)

 

私に集中することは、家族にも集中することに繋がるし、

 

逆もしかり。 の説明しにくいものだけど、要は全て繋がってるってことだ。

 

今、子供の年齢的にも、

 

私の一人の時間、と、家族との時間 のバランスが日々変わっていく最中。

 

しっかり今に居て、どの瞬間も集中してリラックスして

 

怒ったり泣いたり、まだまだ珍道中ありながら

 

全然悟れねえ毎日を過ごしていこうと思う。

 

 

私達は、私は、何でもできるんだから。 私が決める。

 

許しながら、手放しながら、強く信念していくことは、一見矛盾してるようだけど。。

 

今、私には、どちらも必要なんで☆

 

今日も自分を全力応援!!!