麦を発酵させたものがビール
米を糖化させてから作るのが日本酒
ブドウを潰せばワインだし
ワインをさらに蒸留すればブランデー

醸造元によっては造りや手法に独自の製法もあるけど
踏んでるプロセスは大体同じ
原料だって品種と栽培法に違いがあるだけで
酒ごとに必要なモノは決まってるンよね

だけどウィスキーだけは違うン
ざっくりウィスキーとはいってもまず原料によって大きく2つに別れる
まず麦を使ったモルトウィスキー
あとトウモロコシを使ったコーンウィスキー
原料が違うのに同じウィスキーとして他のワインや日本酒のように一括りにされてる妙・・・なんでだ?

トウモロコシはほんのチョット甘いからそのままアルコール発酵に移行できるけど
麦自体は単糖を含まない穀類だからまず糖化させる必要がある

原料も違えば工程にも顕著な差があるのにまとめてウィスキー・・・なしてよ?

そのくせウィスキーには他の酒には見られないほど細密なジャンルが用意されていて
2次的な分類でしか判別できない状況
スコッチ
ジャパニーズ
ライウィスキー
バーボン
アイリッシュ
あとなんだっけ?モー2種類くらいあったハズなんだけど
ウィスキー飲みながらフト思ってコレ書いてるンでチト記憶障害中

さらに7種にもジャンル別けされていながら
ウィスキー好きなら判ってもらえるでしょうが
スコッチを槍玉に挙げてもその中の細かすぎる程のバラエティ
ハイランド・ローランド・アイラ・スペイサイド・・・まだ他にもあったっけ?(記憶障害中)
こんなのはただの醸造地域で別けたダケ

飲み会で「何飲むー?」なんて聞かれりゃ調子合わせてまずゎビールにしとくけど
時間が経つにつれ「アルすけ、あんたウィスキー好きじゃん!頼んだげる♪」
店員が持ってきたのはバーボン・・・ニガテなんですけどコレ(;´Д`)ノ
マ、飲むけどサw

逆にバーボン特にテネシーウィスキー(Mr,ジョンとか)が好きな人はシングルモルトが苦手だったり

「そんな細かいジャンルがあるなら、スコッチ好きだけが集まって好きなだけスコッチ飲めばいいべや」
なんていう人もいたンだけど
ちゃうねや、せやないねん!
スコッチやらユーてもハイランドとかアイラとか・・・デジャヴ(´・ω・) ??

協会モノやネゴシアン系に特化してサークル組んで人達は自分の好きな銘柄はモチロン
醸造所や好きなキルンの形状までインプットしてる変態かマニア
俺自身も本で読んだ程度ながら死ぬまで飲み続けたい銘柄の熟成樽とか
醸造風景の写真なんかを思い浮かべてにニタニタしてるド変態なんで人のコト言えんキャッ(/ω\*))((*/ωヽ)キャッ


つまりだ!
氷がナイの!!違うゎボケ!!

つまりだ!
他のワインとか日本酒みたいにウィスキーグループはこちら♪的に
大鉈振るったようなジャンル別けされてるのはおかしくねーか?ってことょ
鍵の有り無しなんかドーでもいいけど
大好きなウィスキーなのにニガテな酒があるのって不思議だべ
そりゃあるわな!
原料も違えば仕込みも違うし自ずと味も全然別モノ

協会に聞いたほうが早いかな?
誰か教えておくなんし (ノ'ω')ノ


氷買ってくる間に忘れちまいそうだ ペチ(ノ∀`)


日本人にみるグノーシス的宗教観

見聞きしたことはありませんか?
日本人は宗教に対して鈍感だ。無関心だ。不器用だ。何某云々。。。

否定はしませんよ。
鈍いですね確かに。
無関心な人が多いというべきでしょうか。

今般、宗教と聞くやインチキや詐欺集団、カルト、政治との癒着。
宗教に対して持つイメージはどれも如何わしいものばかりで、近寄ればどんな災いに遭うか判ったものじゃない。
ならば寄らず触らず対岸から眺めていたほうが安全。

この考えが定着して数10年の時が経っているように思います。

とはいえ、父母の実家に帰れば仏壇があり、葬式や法要となれば坊さんが飛んでくる。
年末にはクリスマスソングに心躍らせ、正月ともなれば神社にお参り。

無関心って割には、結構な頻度で宗教的儀礼の数多くを生活に取り入れているのもまた日本人でありましょう。
では、その参加者達のどれ程に儀礼への参加の意義を理解しているか。
未知数ではありますが、おそらく少ないものと推察してしまうのは強ち見当違いでもないのではないでしょうかね。


世界の諸宗教を見てみますと、まず巨大勢力のカトリックがありますね。
大儀的にはキリスト教ではありますが、プロテスタントとの確執は相当なものです。
同一宗教と見做される向きに対して嫌悪感を持つ人たちも少なくありません。

さらに何かとお騒がせなイスラム。
シーア派、スンニ派、何某派ととかくグループが多く、その多くの伝聞はテロ行為や国際犯罪など全然イメージのいいものではありません。
数人のイスラムの友人達に聞くところ、悪さをして世界を騒がせているのはごく一部の過激派と呼ばれる連中の独断と、イスラムの教えを正しく理解せず、自分達の都合のよい解釈に基づいた不当な宗教観を持つごくごく一部の信者に過ぎない。
我々本物のイスラムは慎ましく教えを守り、仲良く共存して行くことを常に考えている、と。
鵜呑みには出来ませんがソレがイスラム友人達の主張でありました。

これらの宗教は、幼い頃から両親や親近者の手によって礼拝や洗礼などのイニシエーションを執り行い、幼いながら自分が信者であることを自覚させられていきます。
良し悪しの判断が付かない幼子であっても成人間際になると、改めて自分の意思で信者として生きるか否かの選択権が与えられる教派もあります。
ほぼ形式的なモノではありますが。

そして仏教。
この宗教もまた裾野が広いというか、臨機応変というか。
思想家シャカが大成し、弟子達によって厳密な精査を経た後、シャカ亡き後の教団運営が図られましたが、時代や地域、受け入れ先の民族性、時代の流れか為政者の気分か。
いろいろあって今に伝わります。

他にも、
ヒンドゥー教
マニ教
ブードゥー教
ユダヤ教

などなどなどなど、聞いたことがある宗教はまだまだあるでしょう。

これらに挙げたものは世界宗教・民族宗教などと分類され、多くの信者を抱え、外部への認知度もズバ抜けている団体ですが、各々がさらに細かく分派し独自に進化(解釈)していったものが多く存在しています。
大陸の大移動に伴う生物の進化によく似てると思うんですが。

ついでといっては失礼ですが、信者数こそ他の巨大宗教には劣るものの、地域ごと土着性の強い信仰や教義を持つものの少なくありませんし、宗教といえるのか?と首をひねりたくなるようなものもまた数多く存在し、儀式的な祭典に目を奪われ教義の理解は進まないままに、儀礼や祭儀のフェスティバルにのみ耳目を集めてしまうモノも目に付くことがありますね。

ここでは宗教とは何か?信仰とはいかなるものか?を論じるツモリはありません。
キリが無いですし、既に存在してる物事を体系化し、型枠に嵌め直す様な暇な作業はお偉い学者センセ達に任せておきましょう。
散々に読み散らかした宗教書の類の多くに見られる”こねくり回し”はもう飽きました。


現実の生活の中に宗教を取り入れる。
また宗教を取り入れた生活。


意識せずとも我々の生活に存在する宗教臭い活動もあります。
例えて、いただきます。
食事の前にいただきますしてますか?
してる人少ないでしょうね。
しましょう、いただきます。

とはいえ、いただきますってなんでするの?と純粋な疑問を持つことが宗教哲学の端緒であり、現実の生活に宗教を取り入れる糸口にもなります。
いただきますの意味は自身の考えや理解が即ち、その人の自身が持つ独自の宗教観であり、答えとなるでしょう。
が!
歪んだ見識とひねくれた考察から導き出される答えなどたかが知れたモノ。
インチキ宗教よりタチが悪いかも知れません。
また、生活に敢えて宗教を取り入れることへの意味の理解、あるいは考えた上で胸を張って宗教との決別をすることも出来るでしょう。

脱線しますが、友人夫婦宅でパーティーがあったので1本提げてご馳走になりに行きましてね。
料理が夫婦揃っての趣味というだけあって結構なお点前でしたが、さぁ食べましょうと何人かはいただきますをして手を合わせたンですが、ご新造サン曰く。
何か宗教やってるンですか?だと・・・。
いただきますの所作が宗教儀式として映ったンでしょうね。
確かに宗教やってるけど、奥さんの言う宗教って新興宗教のことだろ?そーじゃ無いンだけどなぁ・・・と返答に困っていたら、友人ダンナの助け舟、コイツは信心深いンだよ、昔から♪

ではなぜ生活と宗教を混在させる必要があるのか?
自分自身、宗教に対して関心も無ければどこかの信者とやらになるつもりも無い。
洗脳されて、お布施を要求されるかも知れないし、今まで宗教に入らなくても生活は出来ていたし困ったことは何も無い。
こんな考えの方もいるでしょうね。

意識していなくてもこの国の人間として生まれた以上、宗教と名のつくものに常に接していくことは必然であり、避けて通ることも無視して生き続けることも不可能ですよ。
ソレは宗教としての信仰が有る無しに関わらず、日本人の血に書き込まれた遺伝的必然です。

宗教に対し理解を持つべし、とは言いませんが平素、神より髪な生き方をしていて困った時だけの神頼み、助けてくれると思いますか?
神様は便利屋じゃない。
高々100円のお賽銭で願いが叶うなんて思ってないでしょうね?
便利屋だって怒りますよ500円でも。
3万円の御札を買ったところで同じことです。
神様に対して信心も無ければ神様がいかなる方なのか理解しようともしない。
頼みを聞いてもらいたい先方に対して失礼すぎるでしょ。
日本人どころか常識のある人間ですら無い。

せめて、せめて、頼る相手の佇まいとその力に信服してこそお願いに伺う側の態度じゃないですかね。

若いうちはね、イーんですょ神も仏も関係ない生き方していても。
言い聞かせたところで聞く耳持たない育て方されてるンでしょうし、ガキの悩みなんてカネがないとかセックスしたいとか、その程度でしょ。
働ける世代はシッカリ働いて、いわゆる老後を目にした世代が多く躓くこの宗教。
多くのジイ様バア様たちが取り組むのはマズ般若心経なんです。
いわゆる写経ってやつ。
そしてお遍路とか寺社仏閣巡り。

側の俺らからすれば観光客とかわらないんですが、本人達はコレが信心深いコトをしてる(勘違いだってw)と大変な有難り。
水を差すのもヤボかな~と来た客にはそれなりの持て成しはしますが、所詮観光客。
煌びやかな仏教美術に触れ、TVで観たことがある神社のお参りをすると満足して帰るンです。
コンダクターをするツモリもありませんから解説など省いていますが、アレで満足した気分になれる人ってそれはそれで幸せなのかなぁ?とね。

でも安っぽいですよソレって。

言って聞かない人生を5~60年送ってきた老人達に事を諭すのはムダに疲れますし、基礎のない地場に家は建ちません。
今まで同様、知らないままの人生を送り続ければいいと思いますし、変に投げかけをして騒ぎを起こすのも俺の修行の邪魔になりますから放っておきますが、少しだけ気にもなりますね・・・。


問題は若い連中ですょ。
宗教=カルト・詐欺・基地外etc...。
こんな認識を持ったまま数十年生き続けて、既述の老人達と同じ路を歩むのはバカ臭くないですかね?

知らないまま生きる方がラクなんです人生なんて。
知れば知ったでその先の責任もあるし、責任を投げ出す安っぽい生き方なら他の人もやってます。
生まれてこの方不景気な話しバッカリ、悪さして金を稼ぐズル賢いやつらがいるのに国も警察も頼りにならない、学校では変態教師が蠢いているし、家に帰ってもまともな食事すら・・・。
これじゃグレるし、現実逃避と自己防衛でスマフォに逃げるのも詮無き事。
前向きに生きろなんて安っぽい説教ゴトキで慧眼するほど単純じゃねーょ。
オレでも病むはこんな世の中w



自分でなければ生きられない・達成できない生き方ってものの指針の一つに体系化された宗教ってモンが存在します。
人間有史以来、生活の様式に変化はあるでしょうが、やってる事は大して変わりません。
食べるために働き、子を残すために繋がり、自分の経験を伝えることで種の保存を図る。
後は疲れたトカ遊びたいトカだらだら寝るだけ。
4つ足の猿と大して変わらないンです。

唯一の違いを挙げるとすれば、時間。
時間を認識できることのみが、人間と猿の最大にして唯一の違いでありましょうや。

時間の経過と共に自分はいずれ死ぬことを経験則から想像する事はできますが、死後の世界については誰からも学ぶ事が出来ない。
これは死に対する恐れ・恐怖の始まりです。
このことは先発のブログにも重複することなので割愛しますが、知らないお化けは怖いンです。

宗教教義の根底には、人ならば誰しも悩むであろう事柄の多くが理論武装として用意されていますから、死に対して、生きた人間の妄想を以って脚色・肉付けされ、信じれば救われると甘い言葉に後押しされるわけです。


落ち着きや安心、自分の望むものを垂れ流してくれる存在に対しては無条件に信用する、飼いならされた犬の様な人間には都合がいいのでしょうが、いただきますの意味を考えろ・箸の使い方がお粗末と手を叩かれ・食事が出来る事と食事を残す意味を考えろ、と刷り込まれた人間にとっては納得いきません。
好きなようにゴハン食べさせてよぉ(泣)と嘆いた幼少期ではありましたが、あの厳しさの有り難さには感謝しています。

この精神こそが日本人の宗教や信仰の根底を成す基本の精神を顕していると思うンですがいかが?

さらに言えばこの精神は、日本人の宗教や信仰としての形を成す以前に、自然に対しての畏怖の念を持ち続けたであろう古代人から連綿脈絡と続いている考えであり、日本独自の宗教でもある神道や修験道といった信仰に直結するものであろうかと。

民俗学の括りを用いれば神道も修験道も宗教としての枠組みで図られることがありますが、キリスト教やイスラム教の様にドグマやセオロジーといった対外宗教との画一性を成立させるための基礎学が存在しません。
ケンカ仲間からは、日本の地形は地理的に孤立していたため他外の宗教とも諍いを起こす事が無かったからから
体系化したがる連中はスコラよろしく小難しい独自の解釈を並べ立てて、お利口サンをアピールしていますが意味あるとは思えない。
キリスト・イスラムはいずれもアルコーンのヤルダバオートから独自の解釈でユダヤ教から独立・分派していったためか、派生元であるユダヤ教との違いを明文化し、自らの正当性を確立して行く必要があったためと思われます。

同じ神を奉り上げておきながら、独自の表現と解釈によって3方向から自分達こそ正しい教えに則った宗教であることを高らかに主張し続けることは、一方で他の主張に対し否を主張することにもなるため、長らく戦争状態が続き世界平和を訴えながら聖地奪還と称した宗教戦争が今までいくつの命を踏み潰してきたことでしょうか。

フィクションを織り交ぜすぎた人造の教えには、矛盾を隠すための更なる理論武装がどうしても必要になってきます。
先々代の法王でしたか、創世記と進化論の矛盾を苦しい言い訳と新しい解釈を織り交ぜ実に滑稽な醜態をさらした事も、後の教義・神学に大きな遺恨を残し他者とのケンカの原因になることは火を見るより明らかだと思うンですが・・・。

キリスト教も出来たてホヤホヤの頃は随分と叩かれたようです。
時はローマ帝国の版図が最大であった時節、地下に隠れ江戸時代の隠れキリシタン達の様にコソコソと祈りを捧げ、陽の目を求めて糊口を凌いでいた頃ですと、ローマの帝国主義によって侵略された他民族たちは皆殺しに遭うことも無く、それまでの自分達の生活を保障されつつ帝国に組み入れられて行ったことで、帝国文化との軋轢を最小限に抑えつつ帝国の民衆として生きていくことが出来たわけですが、ここがローマの巧いところなんでしょね。
通常(一般)ですと帝国主義によって蹂躙された負けた国は破壊されます。
敗残兵は見せしめに残虐な殺され方をして死体を晒します。これは死後も辱めを受け、勝利国の怖さと恐ろしさを見せつけられ、復讐の機運を削いだり、血気に盛る軍の勲章でもあり、勝利した事実を明確にするいわば儀式のようなもの。

さらに敗戦国の女達、まず兵士達の慰みモノになります。
血を見た兵士達のアドレナリンは我勝てり!剣を収めよ!との上官の命令などで静まる事は無く、行き場を探してブチ撒けられます。
しかし上官達はコレを止めようとはしません。
軍規に反しながらも略奪や婦女子を辱めることは、リザルトとしてはむしろ好都合だからです。
理由は実に単純、敗戦国を確実に統治するためには、自民族の血を植えつけることがいちばん確実だからです。
敗戦によってそれまでの統治者の一族郎党は根絶やしにされますが、戦後の新しい統治を可能にするために勝利国である我らの血を打ち込むことで、後の世代に亘っても民族的同化を成すワケです。

そして文化の破壊。
それは言語であったり、通貨であったり、宗教であったり、全ての文化が勝利国との同化を求められます。

しかしローマ帝国は敗戦民族であってもその多くの文化を保証しました。
遠征中であれば敗戦兵を自軍に組み入れたり、功績があれば将校に取り立てたり。
それまでの文化を安堵しつつローマ的な文化を提案する程度に留まります。
いわば懐柔です。

宗教についても柔軟でした。
既存の神像などがあっても破壊せず、土着の神を悪魔に仕立てることもなく。
(調べが足りません。ローマ帝国前期の主な宗教ってなんですかね???)

とにかく、現地の文化をいわば尊重しながら帝国に組み入れ、さらに領土を拡大して行ったのがローマ帝国でした。
もっとも、ローマの遠征範囲は広く、迅速であったため敗戦国に対し一々同化活動をしている暇など無かったのではないでしょうか。

その優しい(?)ローマ帝国にあってさえもキリスト教徒達はコソコソ潜って活動していたのです。
なぜか?
いわゆる新興宗教でありながら、その教義はローマ帝国にとって危険視されていたって事の顕われでしょう。
時に見つかったキリスト教徒はコロセウムに引き出され、ライオンの餌食になり民衆の娯楽として殺されました。
暴君といわれた皇帝ネロも黄金宮殿建設のために火を付けたのはキリスト教徒であるとし、キリシタン狩りが行われていた様ですし、当時のキリスト教には為政者から危険視され排除されるべき邪魔モノでしかなかったわけです。
つまり、キリスト教の正当性を主張できるだけの理論武装がまだ足りなかったってことです。

キリスト教徒の指導者達は考えます。
自分達の信仰は正しいモノであることの証明をするため、大いなる脚色が施されありえないような奇跡とやらでキリストを神サマに同体化させ(三位一体説への足がかり)、フィクションで理論武装する必要がある、と。

ここで余談があります。
カトリック教徒の友人に子供が産まれまして、洗礼式とやらに同席しました。
代々木だったか富ヶ谷だったかヤケに宗教団体が多いエリアのバプテスト教会でのことですが、幼子を抱いた夫婦は神父の問いかけに全てハイと応えていましたが、その一節に
あなたは主を信じますか?
あなたは御子イエスキリストを信じますか?
あなたは精霊とカトリック教会を信じますか?

いつの間にか三位一体から四位一体に拡大されていましたwww

つまり三位と教会は同一であるから、教会の主導には全て従えって事なんでしょう。
この先カトリック教会がどんな主張を展開していくのか、汚いもの見たさで興味が尽きませんがいい加減呆れますネ。
ミラノ勅令が無ければ現在の世界ももっとまともな・・・と敢えてタラレバを嘆きます。
このキリスト教(カトリック教会)の
イスラム教だって似た様なモンですが、ベドウィンとアーリアの血は些か過激です。
征服先は破壊し尽くします。
既存の文化の一切を認めません。
自分達の意見に賛成しない文物は断固拒否します。
そのくせお仲間意識が強いためか同胞に対しては徹底的に庇護を与えます。

と、まぁこんなところでしょうか。


親元のユダヤ教と3つ巴の戦いはこれからも場を替え、姿を替えいつ終わるとも無く繰り広げられるでしょうね。
我々日本人の感覚では理解し得ないほどの戦いの連鎖ですが、かの神を奉る信者達は聖戦と報復、主張の為に世代を超えて憎しみ合い戦い続けることが苦痛にならないンですかね?
殴り合い泣かされ続けながらも、殴り返さないと気が済まない質なんでしょうか。

原爆を落とされ散々に痛めつけられながらも、悲しみと恨みを腹に飲み込める民族であろう日本人は、いつまでも怨み続けるって性根がありませんから、仇敵であっても死んだら神(カミ)として憎しみを絶つことが出来ますが。
しかし、今般日本においても信仰することの意味や、自分の誠を捧げる畏れ多い存在を意識しない人達が増えてきたことにも注意が必要でしょう。
宗教離れといわれて久しいですが、当然の成り行きですね。
まだまだ仏教徒が多いとされる日本ではありますが、今のクソ坊主達にこの宗教離れを引き止める力があるとは思えません。
意味の解からないお布施を要求され、形式だけの法要にココロ打たれるほど檀家はバカじゃない。

さりとて信仰が無いにも関わらず、神社や寺に行くと何か信心深いことをしたような錯覚に陥るのも日本人らしいところで実に興味深い。
お賽銭を500円投げ入れたらどんな願い事も叶うンじゃないか?と結構本気で信じている人もいるくらいですから。
お参りって、こう考えます。
大学受験を控え学問の神様何某神社に詣でたとします。
お参りしたから願いが叶うだろう♪
こんな即物・打算的な考えではなく、今まで合格を目指して勉強してきたが今日お参りをしてさらに勉強に励み、合格に繋がるように努力しようとの気持ちを新たにする。
それが結果的に合格であったり希望の願いが叶うきっかけになる。
こんな気持ちにさせてくれるのがその寺社仏閣の霊験顕たかたる所以になるんだろうかとネ。
根性がひねくれた人間がお参りしたって合格はするかも知れないが、いつか必ず凹まされますし、それこそ霊験の成せる業でしょう。
・・・日本の神様ってちゃんと拝まないとオッカナイんだから。

神社寄りの話しになってきましたが、みんなで神道を信仰しようってことじゃないンです。
むしろ神道って宗教ですらないと思っていますし、信仰をもてない生き方をしてる人には境内にすら立ち入っても欲しくない。

一応本殿には御神体の鏡とか幣束とかありますが、アレは象徴のモノに過ぎません。
神道の本髄は各々神社に足を運んで神主なり禰宜なりに聞いてください。
ここでは神道という形を成すに至った、日本の土着精神ともいうべき考えを論じていきたいと考えます。

御神体が鏡や刀、神像としている神社は多いンですが、これらの顕す存在はもっと他のところにありましてね、物体としてなにかがあったほうが拝み易いから置いているだけなんです。
仏教の仏像だって所詮その程度の位置でしかない。
とはいえ御神体ですから、これまで多くの人の気持ちの拠り所として存在していたものを疎かにしていいわけではありませんが、御神体の本来表現しているものはいわゆる自然です。
山そのものが御神体。
滝そのものが御神体。
中には巨石や巨木を御神体にしているところもあります。
もちろん、カミ様が御神体であるとして人型のカミ様を祀っているところもたくさんあります。

既述の人造神とは違いカミの姿や種類はさまざまですが、神道のカミ様には自然崇拝としてのカミ様と、祖霊信仰としてのカミ様があります。
これまで日本人が自然に対して恐れを抱き、敬う民族であるとの旨を書き連ねてきましたが、崇め奉るのは先にいた人物もカミ様として祀ることが出来る民族でもあるわけです。
先にいたとは、いわゆるご先祖様だと思ってください。
しかし神道で言うところのご先祖様とは仏教のご先祖様とはチト違いまして。

アマテラスってのは見聞きしたことがありましょうか。
天照大御神。
日本で一番の神様です。
何を以っての一番かは信仰の有無や信じる存在によって違いますから、正確にはメジャーな神様としておきましょうか。
イザナギの親父神様の目から産まれたとされていますが、象徴するところは太陽です。
太陽神ってことです。
古代エジプトにもいますよね、太陽神ラー。

他にも月読ツクヨミ。
月の神様ですが、かなりマイナーな神様です。

さらにスサノオ。
海の神様とされていますが、かなりの乱暴者。

三神は兄弟でありますが、いずれも自然の存在を象徴するものとして崇められています。

これらの神様の活躍するお話しが日本神話として伝承されていますが、この神話そのものがかつての日本での出来事や起きた事象の象徴であろうとする研究がなされています。
神話。
面白いですね♪
世界中の民族には独自の神話文化が残されていますが、日本神話もその一つで実によく書かれている。

神話として因幡の白兎やヤマタノオロチなど人外の者も多く登場してきますが、理論武装で無理矢理ハリボテだらけで出来上がっているフィクションよりはるかに完成度が高い。
文学作品と神話は違いますし、神は人が理解し得ない存在であるとして、全ての非難を無効化することが出来る宗教には駁論の余地すらありませんが。


古事記として書物に明文化され、日本のメジャーな神話ではありますがいわばこれは中央での神話です。
日本各地には土地独自の神話が昔話や伝承として残されていることがあります。
田舎暮らしの自分の近在にも面白いネタがワサワサありますが、都会暮らしには関係ないとそっぽを向かないでいただきたい。
日本の神話や信仰には都合よく創り上げられたフィクションではなく、かつてその土地に存在したナニかが神になり地名になり苗字になり御神体にもなり今に伝わるものが数多く存在します。
無理矢理にでっち上げられた神話なんて胡散臭くて伝承として残りませんが、事実存在した事象を象徴として姿を替え、今に伝わりながら聞く耳を持った人をひっそりと待ち続けています。
つまりカミ(上)様です。

名前であれば氏神ウジガミ。
地名であれば産土ウブスナ。

いずれもかつて存在した何様かからの賜りモノでして、その全てにカミとしてきました日本人。

ここでカミ様と神様を使い分けしていた事にお気づきの方、さすがですね。
神様=創り上げ
カミ様=かつての象徴

日本ではカミとは、神であって上であってカミなのです。(あるいは髪も)
・・・自分で書いていながらもよく解かりませんが。
お上とは封建時代の自分の主を指す言葉であり、まさしく上様でもあったわけでして。

そしてそのカミには親神オヤガミ(祖霊)としてのカミを指す事もあります。
祖霊信仰の象徴でもあります。

解明はされていないようですが、日本神話に登場するメジャーな神様(天つ神)大陸系渡来人と、マイナー系な土着神(国つ神)国粋系・蝦夷人とに別れているように思えます。
大陸の稲作鉄器文化を持った渡来人(のっぺり顔弥生)が、狩猟で生活をしていた縄文人を文化と武力で組み伏せ大和朝廷の基を作り、その子孫がこのクニを統治することの正当性を示すために創り上げたのが、日本版王権神授説ともいえる国譲りの日本神話。かな?
(つまり日本の皇室は辿り続けると渡来系である!と稚拙なバカが息巻くことがありますが、その渡来系の遺伝子すらヨーロッパや中央アジアの流れを汲んでいることは証明されちゃっています)

とはいえ、瑞穂の国に生まれ育つと嫌がおうでも自然の恩恵と畏れに触れながら生きていくことになりますから、森羅万象の一切に神様が宿りその庇護を求め特別視していきますと、特別を表す結界が神域に、存在を明白にするための注連縄に、事あるごとにその特別な存在を囲んで祭りや政治が行われ・・・。かな?


いずれにせよ親と自然を敬うのが神道の本髄だとの自分の考えではありますが、敬うからこそ聖域を清め、場に近づき立ち入る自らも清浄であるべきとしていますと、他の宗教らしい所作や作法しきたりが勝手について廻る。
神様からこうするべきなどといわれたわけじゃないが、畏れ多い存在に近づこうとするなら自分の気持ちとして潔斎や礼儀を心がけたくなるモンで。

この考えこそがグノーシスそのものじゃないですかね。





排他的教義と攻撃的な遺伝子を持つ信者達によって、他者を蹂躙することは神の御意志である、従わねば打ち据えコチラに振り向かせろ、振り向かねば殺しちまえ、その一族すら   眠い(=ω=;)
#ガチャピンQA
過酷な労働をしいられながらも、傍でアホ面してふざけたコメントだけしてる赤いモップに怒りを覚えた事はありますか?


ンちゃ( 'ω')ノ
やあみんなイイ子にしてたかな?
悪い子は喰べちゃうぞコラァ( 「ΦдΦ)「

今回は日本の精神教育を学ぶ 修身 についてのお話だょ
教育勅語から戦前まではこの修身が国民学校での科目として必修だったのね
現代では道徳に近い科目だったと思っていただければヨロシイかと

日本は頭にチョンマゲしていた時間がとても長い
ザンギリ頭を叩くようになってから現代まで100年テードの期間しか経っていない
開国以来 欧米列強に肩を並べるべくアレコレ頑張ってきた日本人だけど
現代が抱える世知辛い多くの問題の原因には教育の不備が根幹にある思うのだょ
それは計算が出来るとか感じが書ける~みたいな学力教育ダケで無く
ココロの教育・情操教育ってヤツかな
とても大切だと思う なぜか?
ご覧ください日本民族の精神世界を♪


ヤマトの民には古来より人のチカラの及ばない存在に畏れを抱く精神性があった
それは祖霊であって
カミナリの轟音であって
遍く照らす大日であって
雄大な山々である
もっと身近なところでは大きな木・大きな岩・幽玄なる滝などにも畏怖すべきナニかがある と信じてきた
そしてその恐れを総じてカミ(神・上)や精霊(この場合ショウリョウ)とし
崇め奉ることでそれらの庇護を得る事になる と

その精神性は時と世代を襲ることで更に鍛えられ研ぎ澄まされていく
崇めるだけではなく崇めるカミの御前に相応しい存在としての自分であらねばならない と

時は平安 貴族の華やかなりし事物ばかりに目が向きがちだが
その貴族の生活を支えていたのは根拠のない封建制と
貴族が抱える私兵(侍)の軍事力とを以って制していた領民の生産力にあった
確かに当時の華美な文化と高い芸術性は現代でも世界に誇れる日本の魅力でもあるが
それを成し得るためには聞き届けられることもない多くの苦しみの声があったことを忘れてはならない

かつてのギリシャやローマでは働かなくてもいい暮らしぶりが出来た連中がいる(実家が豪商とかで)
中には哲学・思想家として名を残す名士もいた事に似ている 生産不要階級とでもいうべき連中だ
実に羨ましい・・・
働かなくてもお金が入るのであれば 
有り余る時間を使って見識を得たり事象事案を考察することが可能にもなる
ならば学問の残りカスと揶揄されるような哲学に生涯をかけることすら苦痛ではないだろう
(連中に言わせれば 深い考察と高い精神性の為には世俗めいた雑事に囚われることの無い環境が必要 だったらしい)

しかし我が日本では限られた特権階級の内 
文化の高みに興味がある者だけがその精神世界を作り上げていった訳ではない

貴族の私兵としてまさに侍る存在であった侍たちが台頭し政治を取り持ち
当時の社会構造を大きく変えていったことでそのキッカケを持つに至る(貴族にしてみりゃ飼い犬にお手されてる状態)

コレは戦闘という死と隣り合わせの生業を持つ者達特有の性分が大きく影響しているのだろう
ミス=死に繋がるのだからこの死ぬかもしれないとユー恐怖は計り知れない
自分の死に様に対する理想を追い求め
死した後の未知の世界に思いを巡らし
自らの生きた証を名誉・実績として残すためには生きている今こそがその基になる とし
後ろゆび指されることの無い清廉潔白な生き様を模索する

環境思想論って考え方もあるようで民族性や地域性 
取り巻く環境も素晴らしいこの日本であるからこその結実だろうか

限られた人生を曇りなきマナコでモノゴトを見極め(ジブリより引用)
日常に取り入れていった生き方は机上の絵空事でない実用性すらも兼ね備えていった

ハベる侍から職業としての武士 そして生き様としての士(さむらい)へと昇華する
人生をかけて突き進むものに道が付き 士のお家芸はやがて武士道として大成する
茶道や華道のような文化系の道もあれば
柔道や剣道のように武道系の道もある そこに共通するものはその精神だ

美味しいお茶を点てることが目的ではないし
お花を綺麗に飾ることが目的ではないように
武力を以って他を制することが目的ではない
一見すれば矛盾とも取れる内容だが
その道の達人とやらの与太話には必ずこの手の内容が引き合いに出される 
只の綺麗ゴトだとは思えない

現代の比較的平和な人生を享受(恋人とイチャコラしたりモンハンばっか)している俺であっても
その筋の大家とやらの立ち居振る舞いには目を背けられなくなるのにはソレだけの魅力があるからだと思う

当然当時の武士以外の職業に就く者達であってもその精神性の素晴らしさを受け入れ
中世以来数百年の長きに渡りこの国のイデオロギーとして存在していたことは事実は
現代世界の持つ日本に対してのイメージにも表れていることでしょう(ドコまで理解してるかは疑問だけどょ)



で肝心の修身の中身だけど
言って伝わるモンでもないし他人からお仕着せられるモンでもないので
興味を持たれた方はゼシ修身って言葉を覚えておいてよ^^

人間トラブルや事件事故・犯罪に至るまで原因になってるのは
かつての士道にあった人間性を無視したことによるがほとんど
問題起こす奴って大体似た様なヤツらばかりじゃないかい?
性格が悪いとかは親の躾も悪いんだろうけどいい年コイてママのせいにすることじゃ無いし
やっぱその本人の生き様が生活の端々に現れてることで起きる諸問題・・・

国会で大金かけて細かな法律(多くは規制と罰則)作るより
トラブルを起こさない人間を育てていった方がいいんじゃないかな~と思うんだけど
投稿写真

営業初のGW
もしかしてと期待しつつ休みにはしなかったけど大したこともナイ・・・
今日もモンハンですなw

画像はつるとんたんの馬刺し♪
ココロに決めた嫁と食べに行ったの

・・・盛り付けは不満ッ