先日、ランニングをしている間、「分別」といういまいち腑に落ちずにいた言葉の意味がなんとなく分かったような気のした瞬間がありました。「ふんべつがつく」って、『常識に従って物事の是非を判断する』(明鏡国語辞典)のような外的、既成的規範への準拠を確認するという意味だけじゃないんじゃないかと。知らないけど、よく分かんないけど、それでも、知らなくてよい、ということを知っていることなんじゃないかと。知らなくてよいことを無理に知ろう、知ろうとしている自分に気づいたら、本当に知るべきことが、知らなければいけない世界の情報が、目に入るようになってきました。幼少期からネグレクトで福祉施設で育ち、コロナ禍で生活に困窮し恐喝未遂で逮捕された女性。親に頼れずバイトの収入減により中退した大学生。日々を生きることに皆が必死で、どこが先進国なんだ、どこが豊かなんだと感じます。毎日胸が締め付けられるような思いだけど、生きなければいけない。私には、この女性を探し当てて女性の生活を保障することも、中退した大学生に金銭的援助を申し出ることもできない。なんと無力で、無責任で、自分勝手なんだと思います。社会に少しでも役に立つことをして、生きなければいけないと思いました。皆が笑える日なんてこれまでも本当は無くて、これからも無いのかもしれないけれど、自分と見つめあって生きていきたいと思います。