誰にも邪魔されずに、そう、貶められることなくー

芸術大学にいた時は笑顔で振る舞いながら平気で嘘をつき、陰で嘲たり、情報操作により生徒を貶めようとする先生や生徒がほとんどだった

そのような治安の悪さだったため、当時は卒業前、卒業後に個展会場にわざわざ悪口や情報操作をするために電話をかけてくる大学関係者もいたほどだった。

しかし、今はー

自由だ!たくさん研究をして、自分の好きなところに行き、住み、好きなものを食べ、望ましい活動ができることこそ幸せなことはない。それも自分の力で。

また、共同制作により具体的な効果を世の中にもたらす事業も並行して取り組むことで、ダイレクトに多くの人の日々の満足度を高めることができているー

当時の学生や先生達は上記の通り"問題"があったため、私が今も自分達よりもはるかに幸せとはかけ離れた底辺の生き方をしており、作品作りをやめてしまっていることを心から願っているのかもしれない。

私からすると、そのような方々は決まって私の作ったものから何かを盗んでいこうとするので、そんな世の中に対して破壊的な人達には決して明け渡してはいない、悪用されてはならない技術があると思っている。

それらはかつての日本のムーブメントや、西洋の芸術の原理を組み合わせ、加工をし、新たに発見された技術をつけくわえて視覚芸術に落とし込んだもので、ヨーロッパあたりの芸術家はそれらに特化した作品をつくる者が散見されるが、日本はてんでその部分を理解している人が少ない。

日本は近代芸術とコンセプチュアルアートか抽象画、インスタレーションなどの戦後アメリカの芸術は分断され、彼らは表現の原理ではなく雛型に当てはまればアート作品になる、という判断だ。

学生時代によく見た夢は胸元にある黄緑色の美しい閃光を両手で大切そうにかばいながら、懸命に狭くて暗い夜の道を彼らから逃げる夢だった。あたりには月の灯りに照らされて発光するシダ系の植物が濡れた壁面や路上のヒビ割れからささやかな光を作りだしている。彼らは後ろを追いかけてきて必死に何かを叫びながら私に大量の手紙を投げつける。そんな夢だった。

今おもえば、私が必死に守ってきた胸元にある眩い閃光はこのことだったのかもしれないー

技術を悪用されてはならない、とは思っているものの、経験上、彼らがわかりやすい雛型以外の作品を理解できる見込みは非常に低いと考えている。少なくとも時間をかけてゆっくりと理解ができても、第一発見者になることはないだろう。そしてそれよりも先に海外や他ジャンルのオーディエンスからの認知のほうが進んでいる。

私は自らの作品を買ってくれた方に素材や加工技術だけではなく、どのような思考から認識、そして行動を促す効果を含む、文化の創造性があるのかの細かい"技術"の説明書をつけている。それを誰もがわかるように言語化をして、必要であれば直接レクチャーもしている。

今後とも進化、に基づく効果をあげる作品づくりと事業を行いたい。

写真は夢にでてきたツキヨタケ。