春の陽気になったと思ったから
革のコートをクローゼットの
少し奥にかけたら雪が降った。
今日は夕方からスタジオで録音。
録音といっても音楽じゃなくて
イベントに使うナレーション録り。
今度デビューするバンドの
お披露目ライブ中の寸劇用に
音楽プロデューサーの役で
バンドのメンバーを叱る。
「一体なに考えてんだ?」
とか言う。
これが意外に難しい。
でも演出家は簡単に言う。
演 「もう普段どおりやっちゃって下さい」
普段の自分なんて覚えてない。
だいたい普段からそんなに
叱ったり怒ったりしてるつもりはない。
僕 「オマエら新曲のタイトルくらい
考えてあんだろうな?あ?」
とりあえずナレブースで
マイクに向かってすごんでみた。
演 「そうそう!いつもそんな感じですよ」
普段から僕は自己認識が甘すぎると
この演出家から指摘されている。
演 「ただ上手くやればやるほど
スタッフが萎縮するって言う
変な感じにはなってますけど・・・」
でも、僕が自分をどう認識していて
他者はそれをどう受け止めてるのかに
まったく興味がない。
空気は読むものじゃなくて
吸ったり吐いたりするものだと思う。
演 「アーサーさん次は『こらっ!』って
3パターンくらい怒って下さい」
『こらっ!』にパターンなんかない。
「こらっ!」
「こらぁ~!」
「こら」
でもそれなりに言い分けてみた。
演 「最後の『こら』は優し過ぎますねぇ」
パターンて言ったの君だ・・・
演 「もう少し本気で怒ってみて下さい」
早く終わらせたい僕は
リミッターを切って怒った。
もちろんマイクに向かってだけど。
僕 「くぅおらぁぁっ」
演 「・・・」
返しのコメントまで時間がかかった。
演 「はいっオッケーです」
なんだ。良かったのか。
でも、生まれて初めて
怒声にOKをもらった。
僕は声も体も態度も大きいし
何なら人相もそんなに良くないから
怒っているイメージが
強いのかもしれない。
でも、思われてるほど怒ってない。
心の底から怒ったこともそれほどない。
僕が今までで一番本気で怒ったのは
まだずいぶん若い頃の話だ。
その日の雪組さん(年少)は
学芸会の配役を決めていた。
担任のその子先生が言った。
先 「みんなやりたい役に
手を上げてくださ~い」
皆 「は~い!」
先 「じゃぁ紅すずめさん人は?」
「は~い!」
内容はジャングルの音楽会。
紅すずめは主役だ。
先 「ライオンさんの人は?」
「は~い!」
ライオンは強くて格好よい。
先 「キリンさんの人は?」
「は~い!」
キリンは背が高くて格好よい。
先 「シマウマさんの人は?」
「は~い!」
シマウマは綺麗で格好よい。
でも、その子先生は気が付いた。
僕は全部の動物に手を上げていた。
先 「何でアーサー君は
全部に手を上げるの!?」
僕 「全部やりたいから・・・」
先 「全部なんてできる訳ないじゃないっ!」
僕 「でも先生が一つって言わなかったから・・・」
先 「きーっ!なんて子なのっ!
そんな子は廊下に出てらっしゃい!」
その子先生が生理中だったとしても
昨夜結婚を約束した男に振られてたとしても
幼稚園児には関係ない。
問答無用で廊下につまみ出された僕は
大人の理不尽に経験したことのない
大きな怒りを感じた。
幼稚園舎は古い建物で窓や扉は
サッシじゃなくて木枠にガラス。
僕はやり場のない怒りを右の拳に固めて
素手で窓ガラスを殴り割った。
バリ~ンっ!
小さな幼稚園中が大きな物音に
視線を向けるとそこには
血だらけの拳を握り締めた園児が
仁王立ちで教室の中を睨んでた。
園長のひさ子先生が飛んできた。
その子先生は呆然と立っていた。
でも僕は怒りが収まらなくて
血だらけの拳で先生を睨んでいた。
僕が人生で一番怒った瞬間。
園長先生は僕の話を聞いてくれて
でも物を壊してはいけないと教えてくれた。
卒園式ではどの園児よりも強く長く
僕を抱きしめて別れを惜しんで泣いてくれた。
普段は厳しかったはずの僕の母親は
ガラスを割った僕を叱ることもせずに
「きっとこの子の考えている事は
普通のオトナには理解されないんじゃないか・・・」
と僕を英才教育研究所に連れて行き
知能指数の測定テストを受けさせた。
世界で一番の親バカに違いないし
ヒトとしてはどうなんだと思うけど
育ててくれた感謝だけは忘れない。
知能テストの結果が200だったのは
僕の最初で最後の親孝行。
でも自分を曲げることを学べなかったから
この歳までそれなりに苦労は多い。
ただ僕は拳で何かを解決することや
物を壊すことを止めることができた。
それからそんなに怒ったこともない。
スタジオの中は窓もなければ
外の音とも遮断されてる。
しかも間接照明だから
時間の経過も判り難い。
偶然にかかってきた
ケータイの相手から
雪が積もっていると聞いた。
昨日は突然飲みに行ったから
クルマを会社の駐車場に置いて帰った。
今日は乗って帰りたい。
チェーンなんか積んでないけど
都内の道路は走れないほど
雪が積もることはないはずだ。
昨日は学生時代の後輩の
ジャンセンに連絡したら
すこぶるご機嫌に飲んでた。
ジ 「アーサーさんは何処っすか?」
僕 「恵比寿で仕事を片付けたところ」
ジ 「じゃぁご一緒して下さいよ」
僕は酒席は断らない。
それに恐らく日本で最も有名な
歌手の一人を手がけてたこの後輩に
簡単なお願い事もある。
僕 「オマエは何処で飲んでるんだ?」
ジ 「渋谷です」
僕 「じゃそっちに合流するよ」
ジ 「どっかお店知ってます?」
僕 「どんな感じ?」
ジ 「静かで渋めでお願いします」
僕は渋谷のスナックを指定して
そこで集合することにした。
ちょっと渋すぎるしカラオケはあるけど
他にお客がいなかったから静かではある。
ご機嫌に酒を飲んで互いの健勝を確かめ合い
ついでにお願い事もできた。
きっと「お願い」じゃなくて
彼にとっては「命令」かもしれない。
でもどっちでも良い。
世相を反映しているのか
最近の男歌には深みがないと
ジャンセンは嘆いていた。
「熱いっ!熱いっすねぇ~」
が口癖のこの男は自分が一番熱い。
ジ 「女歌を5度下げて歌うと
ちょうど真裏で歌えるんですよ」
学生時代にマジソンズの薫陶を受けて
音楽業界に入っているジャンセンは
僕の好きな方向に狂ってる。
僕がさだまさしの『まほろば』を
熱唱した後にジャンセンが言った。
ジ 「熱いっ!熱いっすね~。
でも見えましたよ!
次は中島美嘉の『雪の華』を
5度下げて歌って下さいよ」
スナックのママは坂本冬美の
『また君に恋してる』を歌った後に
ジ 「熱いっ!熱いっすね~。
でも見えましたよ!
次は浜崎あゆみの『Moment』を
歌って下さいよ」
と言われて戸惑っていた。
ママがその歌を聞いたことがないと知ると
ジャンセンは自分で歌って見せたけど
優れた音楽ディレクターが
歌が上手いとは限らなかった。
この場末のスナックでは
僕はいっつもご機嫌で飲んでる。
自分が末っ子のママは僕を
弟ができたみたいだと言って
可愛がってくれるから甘えてる。
僕が母親みたいだと言ったら
少し拗ねて怒られた。
良く考えたら同じ辰年で
一回りしか違わない。
商売っ気はないけど
渋谷にはなかなか気を遣わずに
静かに飲める店も少ないから
それなりに繁盛もしてる。
でも僕はどうしても
ご機嫌で飲みたいから
居合わせた客の行儀が悪いと
つい悪い癖で説教もする。
自分を曲げる技術は持っていない。
バカ騒ぎをしてる銀行マンに
本当の「バンカー」とは何か
朝まで説教したことがある。
最後に名刺を交換したら
副支店長だった・・・
それでもママはニコニコと
カウンターから見守ってる。
一度デスクの若い女の子を
連れて行ったら意外にも気に入って
月に一回は連れて行けとせがまれる。
先月一緒に行った時は
昔の会社で世話になった
元上司のカイザーさんが
若い部下たちと飲んでいた。
カイザーさんにこの店を紹介されたから
なんなら僕の方がお邪魔した感じ。
カイザーさんは定年で
僕は思いつきの気まぐれで
元の会社を辞めているから
その部下たちは知らない。
年配のカイザーさんは夜も浅いうちに
眠くなったと言って早々に帰る。
その後の宴席を仕切るのは
若いカール取締役。
なんなら僕のおとうと弟子。
彼は礼儀正しいし好人物だ。
しかし同席してる30歳の若造が
なんだかさっきからちょいちょい鼻に付く。
仕事の憂さ晴らしに羽目を外してるのだろうけど
僕にも僕の連れにも失礼気味。
自分が世話になってる取締役が
僕に気を遣っているのが嫌なのか?
若い女の子とカラオケに興じる
ご機嫌なオッサンが煙ったいのか?
ただ僕に喧嘩を売るにしては
腕前もキャリアも著しく足りない。
とはいえ僕ももうオトナだし
自分を曲げる術は知らないけれど
若者の奔放を許せるくらいの
器量はあるし、なければいけない。
できる限りの無関心を通して
連れのデスクの女の子と話してた。
僕 「君もずいぶんと
しっかりしたよなぁ」
彼女も今年で社歴が3年になる。
今では会社になくてはならない。
デ 「でも・・・」
僕 「でも?」
デ 「入社当時にはアーサーさんに
何度も怒られて辞めようと思った
こともあったんです・・・」
僕 「え?怒った?僕が?」
デ 「いえ、今では怒ってもらって
良かったと思ってますから・・・」
僕 「え?怒った?何て?」
デ 「甘ったれるな!って」
僕 「え?甘えてたの?」
なんだか僕の質問が間違えてる。
デ 「自分ではそんなつもりなかったけど
教えてもらって当たり前みたいな・・・」
僕 「え?僕は教えなかったの?」
デ 「いえ、結局教えてもらいました」
僕 「でも怒ってたんだ?」
デ 「はい、怒ってました」
僕 「僕は怒ったつもりはないけどなぁ。
君の受け止め方じゃない?」
デ 「そうかもしれません・・・」
僕 「そうだよ。僕は怒らないよ」
20歳そこそこの女の子には
僕が真面目な顔で話しをしたなら
少し怒られてると思うのかもしれない。
その時、隣の席の若造が
何か僕に話しかけようとした。
面倒臭いので気付かないフリをすると
口笛を吹いて僕を呼んだ。
僕の中で何かのスイッチが入った。
僕 「あ?オレに用か?」
若 「さっきから呼んでんすよ」
僕 「知らねぇよ。
オマエとする話なんかねぇよ。
顔見りゃ頭悪いのは判るけど
ヒトが話ししてんのも解んねぇのか?
つかオマエ今オレに口笛吹いたか?」
若 「吹きましたよ」
僕 「おぅ小僧っ!
俺が犬に見えんなら
その腐った目玉くりぬくぞっ」
若 「小僧とか年齢とか
関係ないじゃないっすか!」
カール取締役は突然の出来事に
何が起こったのか解らずに
ただ顔が青ざめてた。
僕 「関係あるだろバカ。
オマエが小僧じゃなかったら
表で顔の形変えてんぞっ!」
若 「・・・」
僕 「ウソだと思うなら立てよっ!
オマエみたいな甘ったれた小僧が
遭った事もない目に遭わせてやんぞっ」
事態がシャレにならないと思った
カール取締役が割って入った。
カ 「申し訳ありませんっ!」
もう半べそで謝ってる。
僕 「ほら見ろ小僧っ!
オマエのせいで上司が謝ってんぞ。
自分のケツもふけないなら
端っこでおとなしくしとけっ!」
若 「・・・」
カ 「いや、もう本当に口笛とか
あり得ないですから・・・
なんか私の力不足でご不快にさせて
本当に申し訳ありません」
僕 「いや、カールさんじゃないだろ?
このボンクラの直接の上司が
よっぽど能無しだからオタクの会社は
こんなチンカスが平気で息してんだろ?
おう小僧っ!そいつをここに今すぐ呼べ!」
若 「・・・」
カ 「いえ、普段は真面目な社員で・・・」
僕 「まじめぇ?真面目だからなんだっ!
自分に嘘ついて下らん仕事してるから
酒飲んで憂さ晴らしてんだろ?
安い人生だなっ!おいっ!」
カ 「いや、もう本当に何と言って良いか・・・」
僕 「相手選んで喧嘩売るくらいできねぇのか?
どんだけ頭悪いんだ?いや、頭じゃねぇな。
生きる性根が座ってねぇんだろ?
負け犬の匂いがプンプンするぞっ!
世の中なめてんなら今すぐ死ねっ!」
ここで若造は泣き崩れた。
隣の先輩女子社員がなんだか慰めてる。
僕に後輩の非礼を詫びるのが先だと思う。
そうしないとこの若造は浮かばれない。
他人に迷惑をかけた自分の子どもを叱れない
ダメな母親みたいで気持ちが悪い風景だ。
こいつの子どもはきっとちゃんと育たない。
若 「いえ、悔しいんじゃないんです・・・
全部その通りだから涙が出るんです」
嗚咽まじりに搾り出しても
自分本位の安い台詞しか出てこない。
頼みもしないのに安い舞台を
無理矢理見せられてるみたいで
反吐が出る。
脳が半分以上壊死してるんだろう。
遅かれ早かれ野垂れ死ぬ。
ただ僕は返り血も汚さそうだから
生かすも殺すも関わりたくはない。
この場合の正しい男の子の作法はたった一つ。
僕の目を真っ直ぐに見て謝るしかない。
オマエの感情なんかに興味はない。
ここでママが何もなかったかのように
カウンターから出てきた。
マ 「あら~どうしたの?」
何があったか解らないほど
このお店は広くない。
でも僕はハッと気付いた。
隣にデスクの女の子がいることを・・・
さっき「僕が怒るはずないだろ?」
って話してた。
大嘘つきになった僕は
彼女の顔を見ることができなかった。
しかもお店の空気は最悪だ・・・
そしてこの空気は僕が吐いた。
マ 「ほらアーサーさん歌ってよぉ」
ここは知らん顔してママに乗っかる。
僕 「よぉし!嵐でも歌おうかなっ」
僕の歌う『Everything』の
少し切ないメロディをバックに
時々若造の嗚咽が漏れ聞こえた。
「その時」彼女が僕の隣で
どんな顔してたのかどうしても
知りたかったから後日会社で訊いた。
僕 「いや~この前は大人気なくてごめんね。
僕が怒る訳ないって言った端から
思いっきり怒っちゃってさぁ・・・
君の顔見れなかったんだけど
あの時一体どんな顔してたの?」
デ 「私もアイツにムカついてたし
とりあえずアーサーさんに乗っかって
『どうだこの野郎っ!これでも食らえ』って
きっと得意気な顔してたと思います(笑)」
やっぱり間違いなく女性の方が
したたかで、しなやかで、強い・・・
若造は僕にじゃなくてこの女の子に負けてた。
本当に当社の社員は頼もしい。
そして僕は、拳で解決しなくても
喧嘩相手の心をへし折って
泣かせることができるようになったと
僕を力いっぱい抱きしめてくれた
天国の園長先生に報告しよう。
そしたらやっぱり廊下に立たされると思う。
弱いもの虐めをしちゃいけない。