雪が降る金曜日でした。
あの日は奥さんが職場の人の送別会があるということで定時でソッコー帰って娘を実家に迎えに行かなくてはいけなかった為めちゃめちゃ頑張って仕事こなしてました。
ちょうど積み込み場所の工場に到着してサイドブレーキを引いた時です
「地震が発生しました!!強い揺れに警戒してください!!」
と、ラジオから緊急地震速報が流れてきました。
ハンドルに肘をつき余裕かまして揺れを待ってると今までに経験したことのないぐらい強い揺れが来てトラックがあり得ないぐらいグラグラしたため慌ててトラックを降りて揺れがおさまるのを待ちました。
現場で作業してた製造部の連中達も一斉に外に走って避難して来ました。
建物はあり得ないぐらいギシギシと音をたてて揺れており、車も誰かがイタズラで揺らしているのかというぐらい激しく揺れてました。
しばらくすると揺れがおさまり、辺りの音が不気味なぐらいシーンとしてました。
工場が停電になり機械の稼働している音などが一切聞こえなくなった為でした。
揺れがおさまったということでオイラは積み込みを開始して更に近くにある別工場に移動しました。
そこの工場でも皆が外へ避難しておりただ事ではない雰囲気でした。
停電した為に情報が全くわからない状況で皆パニックになっていた所に更に地震が発生。
電話は不通になり状況確認が出来ないし、このまま仕事を続行して良いのかもわからない状況。
しかしこの時は一時的なものだろうぐらいの考えだったオイラは強い揺れが来たらトラックの荷台の中に入ったりしながら積み込みを終了してとりあえず目的地の工場へ出発しようとしてました。
時刻はだいたい15時半過ぎぐらいだったと思います。何気にワンセグで地震情報を観てみたら乗用車やトラックが流されてる映像が映し出されているのを観て事態がますます解らなくなりました。
とりあえず出発してみます!!と総務の次長に一声かけてトラックを走らせてみたもののすぐに大変な事になっているのがわかりました。
信号機が点灯していない……
国道の昔から設置されていたような場所の信号機だけは点灯していましたが
その他は何処も全く点灯しておらず交差点は大渋滞…
このままでは迎えの時間に間に合わないと思い、すぐさま信号が少なく交通量もさほどでもないルートに迂回するも何処も交差点はパニック!!
しかし、徐行、停止、譲合いなどしながら自然とみんなが周囲に注意しながら走行して特に事故もなく走ってました。
いつもより大幅に遅れながら工場に到着してみるとこちらの工場では危険な事態なので管理職数名が被害の確認の為に残っていた以外は全員が自宅に帰宅するようにと撤収命令が下されており
必死に走ってきたオイラの努力はなんだったんだろうとちょっぴり思いながら降ろしてとんぼ返り。
ちょうど戻る頃夕方のラッシュが始まったので更に凄い渋滞が発生。
少しでも早く帰る為に裏道などを通って走るもののみんなが同じ考えのためかかなり時間がかかってしまいました。
ようやく着いたときには18時を過ぎますます焦るオイラ…
なんとかメールはつながる状況だったので奥さんに連絡を取ってみるとやはりこの事態の為に送別会は中止になったとのこと。
しかし仕事のほうがなかなか切り上げられないとのことで時間がかかってもいいから娘を迎えに行ってほしいとのことだったので残りの仕事を片付けて実家に迎えに行きました。
通常ならば20分ぐらいの道のりを1時間以上かけて走って実家に到着。
しかし我が家はオール電化の為、暖をとることも出来ないということでこのまま電気が復旧するまで実家で待機することに。
しかもこの日の夜は結構雪が降ってきて寒い夜でした。
実家では石油ストーブで暖をとり、ガスは普通に使えたのでとりあえず食事はとることができました。
懐中電灯数個でなんとか明かりを確保したび重なる余震に怯えながら携帯ラジオから今おきてる状況や情報を確認
しかし一番困ったのが携帯電話のバッテリー切れ…
幸いオイラは前日に車の燃料を満タンにしていたのでシガーソケットから電源をとり充電をしていたのでなんとか翌日までバッテリーがもちました。
充電しながらテレビを観ているとニュースでは津波の映像が繰返しながされ、ヘリコプターの映像では気仙沼のコンビナートの火災の映像…
地元ラジオ局の番組では身内や知人の安否確認の情報と地震速報が繰返しながされこの地震によってあり得ない事態になっているというのがやっとわかってきました。
たびたび来る地震に怯えながら少しでも横になろうとするもののちょっぴり落ち着くとエリアメールが来て地震に備えるという繰返しで一睡もしないまま朝をむかえて12日も仕事だったオイラはそのまま会社へ向かうことに
電気が復旧してないためどうなるかわからなかったけれどとりあえず会社に到着。
案の定仕事にならず製造部の連中はそのまま帰宅でしたがオイラ達生産管理は倒れた棚の復旧や倉庫内の片付け等半日こなして帰宅。
この頃にはコンビニには食料や飲み物を求めてどこも客が殺到し大変なことになってました。
宮城県から色々な物が入ってくる我が県はライフラインが絶たれた為壊滅的な状態でした。
スーパーもこのような状況だったのでほとんど店が閉まっており数日間は不便を強いられました。
ラジオで○○スーパーは若干入荷の予定があるので…などと放送されると凄い事になっておりました。
なんとか12日の夕方に電気が復旧しまいましたが今度は燃料関係が不足して大変な状況になってました。
やっと開いたガソリンスタンドも制限がかけられてしまう状態でした。
そんな中で夜中からガソリンを求めてスタンドの入口から長蛇の列か発生しなかには車の中で暖をとり一酸化炭素中毒で搬送されてしまった方もいたり本当に危機的状況でした。
会社も重油の入荷が見込めないとのことで自宅待機することになり毎日余震にビビりながら福島の原発の様子や壊滅的状態の太平洋沿岸の様子を観て心を痛めてました。
その他にもたくさん色々な事がありました。
あれから1年………
幸いにも宮城県在中の友人は皆無事で安心したし、日常生活は元に戻って普通に生活できています。
しかしながら復興はまだまだですね。
当時はたくさんの方々に心配していただいたり励ましていただいたりして本当にありがたかったです。
今、東北は「がんばっぺ!!東北!!」などという合言葉を始め前向きに頑張って前に進もうとしています。
元に戻すというよりもっといい街になるべく頑張ってます。
瓦礫の問題や放射能の問題等課題はたくさんあるけれど着実に前に進もうとしています。
なんとか1日でも早くみんなが平穏無事に戻れるようになってほしいものです!!
そしてまたこのような事がおきてほしくないと願うばかりです。
3月11日14時46分
いろんな事を思いながら犠牲になった方々へ黙祷を捧げたいと思います。
Android携帯からの投稿
あの日は奥さんが職場の人の送別会があるということで定時でソッコー帰って娘を実家に迎えに行かなくてはいけなかった為めちゃめちゃ頑張って仕事こなしてました。
ちょうど積み込み場所の工場に到着してサイドブレーキを引いた時です
「地震が発生しました!!強い揺れに警戒してください!!」
と、ラジオから緊急地震速報が流れてきました。
ハンドルに肘をつき余裕かまして揺れを待ってると今までに経験したことのないぐらい強い揺れが来てトラックがあり得ないぐらいグラグラしたため慌ててトラックを降りて揺れがおさまるのを待ちました。
現場で作業してた製造部の連中達も一斉に外に走って避難して来ました。
建物はあり得ないぐらいギシギシと音をたてて揺れており、車も誰かがイタズラで揺らしているのかというぐらい激しく揺れてました。
しばらくすると揺れがおさまり、辺りの音が不気味なぐらいシーンとしてました。
工場が停電になり機械の稼働している音などが一切聞こえなくなった為でした。
揺れがおさまったということでオイラは積み込みを開始して更に近くにある別工場に移動しました。
そこの工場でも皆が外へ避難しておりただ事ではない雰囲気でした。
停電した為に情報が全くわからない状況で皆パニックになっていた所に更に地震が発生。
電話は不通になり状況確認が出来ないし、このまま仕事を続行して良いのかもわからない状況。
しかしこの時は一時的なものだろうぐらいの考えだったオイラは強い揺れが来たらトラックの荷台の中に入ったりしながら積み込みを終了してとりあえず目的地の工場へ出発しようとしてました。
時刻はだいたい15時半過ぎぐらいだったと思います。何気にワンセグで地震情報を観てみたら乗用車やトラックが流されてる映像が映し出されているのを観て事態がますます解らなくなりました。
とりあえず出発してみます!!と総務の次長に一声かけてトラックを走らせてみたもののすぐに大変な事になっているのがわかりました。
信号機が点灯していない……
国道の昔から設置されていたような場所の信号機だけは点灯していましたが
その他は何処も全く点灯しておらず交差点は大渋滞…
このままでは迎えの時間に間に合わないと思い、すぐさま信号が少なく交通量もさほどでもないルートに迂回するも何処も交差点はパニック!!
しかし、徐行、停止、譲合いなどしながら自然とみんなが周囲に注意しながら走行して特に事故もなく走ってました。
いつもより大幅に遅れながら工場に到着してみるとこちらの工場では危険な事態なので管理職数名が被害の確認の為に残っていた以外は全員が自宅に帰宅するようにと撤収命令が下されており
必死に走ってきたオイラの努力はなんだったんだろうとちょっぴり思いながら降ろしてとんぼ返り。
ちょうど戻る頃夕方のラッシュが始まったので更に凄い渋滞が発生。
少しでも早く帰る為に裏道などを通って走るもののみんなが同じ考えのためかかなり時間がかかってしまいました。
ようやく着いたときには18時を過ぎますます焦るオイラ…
なんとかメールはつながる状況だったので奥さんに連絡を取ってみるとやはりこの事態の為に送別会は中止になったとのこと。
しかし仕事のほうがなかなか切り上げられないとのことで時間がかかってもいいから娘を迎えに行ってほしいとのことだったので残りの仕事を片付けて実家に迎えに行きました。
通常ならば20分ぐらいの道のりを1時間以上かけて走って実家に到着。
しかし我が家はオール電化の為、暖をとることも出来ないということでこのまま電気が復旧するまで実家で待機することに。
しかもこの日の夜は結構雪が降ってきて寒い夜でした。
実家では石油ストーブで暖をとり、ガスは普通に使えたのでとりあえず食事はとることができました。
懐中電灯数個でなんとか明かりを確保したび重なる余震に怯えながら携帯ラジオから今おきてる状況や情報を確認
しかし一番困ったのが携帯電話のバッテリー切れ…
幸いオイラは前日に車の燃料を満タンにしていたのでシガーソケットから電源をとり充電をしていたのでなんとか翌日までバッテリーがもちました。
充電しながらテレビを観ているとニュースでは津波の映像が繰返しながされ、ヘリコプターの映像では気仙沼のコンビナートの火災の映像…
地元ラジオ局の番組では身内や知人の安否確認の情報と地震速報が繰返しながされこの地震によってあり得ない事態になっているというのがやっとわかってきました。
たびたび来る地震に怯えながら少しでも横になろうとするもののちょっぴり落ち着くとエリアメールが来て地震に備えるという繰返しで一睡もしないまま朝をむかえて12日も仕事だったオイラはそのまま会社へ向かうことに
電気が復旧してないためどうなるかわからなかったけれどとりあえず会社に到着。
案の定仕事にならず製造部の連中はそのまま帰宅でしたがオイラ達生産管理は倒れた棚の復旧や倉庫内の片付け等半日こなして帰宅。
この頃にはコンビニには食料や飲み物を求めてどこも客が殺到し大変なことになってました。
宮城県から色々な物が入ってくる我が県はライフラインが絶たれた為壊滅的な状態でした。
スーパーもこのような状況だったのでほとんど店が閉まっており数日間は不便を強いられました。
ラジオで○○スーパーは若干入荷の予定があるので…などと放送されると凄い事になっておりました。
なんとか12日の夕方に電気が復旧しまいましたが今度は燃料関係が不足して大変な状況になってました。
やっと開いたガソリンスタンドも制限がかけられてしまう状態でした。
そんな中で夜中からガソリンを求めてスタンドの入口から長蛇の列か発生しなかには車の中で暖をとり一酸化炭素中毒で搬送されてしまった方もいたり本当に危機的状況でした。
会社も重油の入荷が見込めないとのことで自宅待機することになり毎日余震にビビりながら福島の原発の様子や壊滅的状態の太平洋沿岸の様子を観て心を痛めてました。
その他にもたくさん色々な事がありました。
あれから1年………
幸いにも宮城県在中の友人は皆無事で安心したし、日常生活は元に戻って普通に生活できています。
しかしながら復興はまだまだですね。
当時はたくさんの方々に心配していただいたり励ましていただいたりして本当にありがたかったです。
今、東北は「がんばっぺ!!東北!!」などという合言葉を始め前向きに頑張って前に進もうとしています。
元に戻すというよりもっといい街になるべく頑張ってます。
瓦礫の問題や放射能の問題等課題はたくさんあるけれど着実に前に進もうとしています。
なんとか1日でも早くみんなが平穏無事に戻れるようになってほしいものです!!
そしてまたこのような事がおきてほしくないと願うばかりです。
3月11日14時46分
いろんな事を思いながら犠牲になった方々へ黙祷を捧げたいと思います。
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