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斎藤十一さん

 

 28日に新宿のバー「風紋」の終幕の会に出かけた。初めてこの店に

行ったのは新潮社に入社した時だから、もう40年以上前のことになる。「新潮」編集長だった酒井健次郎さんや坂本忠雄さんたちに連れて来てもらった。私のために編集部がやってくれた新人歓迎会の流れだった。この店は太宰治の小説のモデルになった林聖子さんの店。今年、90歳になったのを機に閉店を決めるというので朝日に大きな記事が載った。

 その私の新人歓迎会の一次会は神楽坂のうなぎ屋「志満金」だった。この店も実は太宰治ゆかりの店。そのことを知る人もほとんどいなくなったから、書き残しておこう。

 新潮社が戦後、太宰治に初めて接触したのは、昭和21年の11月。太宰が疎開先の甲府から東京に帰った直後に、出版部の野原一夫さんが太宰を訪ねている。それにこたえる形で、太宰が新潮社を訪ねて『新潮』編集長・斎藤十一氏と会い、歩いて10分ほどの神楽坂『志満金』で宴会となった。出席者は斎藤さんのほか、編集部員で『斜陽』の連載を担当することになる野平健一さん(私をしごき、育ててくれた上司である)と野原一夫さん、新潮社顧問だったフランス文学者の河盛好蔵先生。

 結局、この宴会で新潮社は太宰に急接近し、戦後最初のベストセラー『斜陽』が生まれる機縁となった。太宰が売れると狙いをつけ、二人の編集者の後ろで戦略を練っていたのは、小林秀雄が天才と呼んだ編集者斎藤十一さん(写真は専務時代)である。

 私の歓迎会は、まさに、『斜陽』が生まれる機縁となった2階の同じ畳敷きの広間で行われたのだ。「志満金」の宴会で酒井健次郎さんからその話を聞き、後年、店の若主人にそのことを話したら、まったく何も知らなかった。そうやっていろいろな事実が歴史に埋もれていくのだろう。

 

 先週、神奈川大学でやっている講座で小林秀雄の話しの2回目をした。慶應の仏文科時代の同期生3人も出席してくれ、帰途、自由が丘で4人で同期会となった。小林秀雄は私が編集者として最初に出あった作家である。

 来月7月7日には、わが師匠、遠藤周作の話しをまたする。小学館が神保町で今月開校したばかりの「小学館神保町アカデミー」で、7月からシリーズ企画「編集者が語る作家の素顔と実像」を始めるのだ。その1回目と2回目が遠藤さんで、次が井伏鱒二先生である。http://www.shopro.co.jp/koza/list/

 新潮社が「新潮講座」を始めて5年ほどになる。出版社が生涯学習の事業に乗り出すべきだというのは私の長年の持論でもあった。小学館の講座の開講は、そういう時代の到来を実感させてくれる。

 昨年は遠藤さんの講演を3回した。マーチン・スコセッシ監督の映画「沈黙」の影響もあり、よく受講生が集まった。遠藤先生とは本当に縁が切れない。