編集長ブログ

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 上は昭和初期の駅前商店街 下は今の同じ商店街

 

 吉祥寺に住んで27年ほどになる。子育ての環境を考えて越して来たら、思いのほか良い街だと感じるようになった。いまは、「東京で一番、住みたい街」になったりしている。でもヨドバシカメラができてから、街の空気が変わってしまった。

 越してきたころは、昭和初期の雰囲気をもつ古い家が我が家の周辺に散見された。隣の路地に、「東京府吉祥寺本田北・・・」という表札の家があって、外から見えるその家の応接間が、まるで昭和初期なのだ。最近は、そういう古い家はどんどん減り、建築雑誌に載っているようなお洒落な新建材でできた家ばかりになって、がっかりしている。

 

  ずっと荻窪に住んでおられた井伏鱒二先生によれば、昭和の初めころは、売れない文士が中央沿線の阿佐ヶ谷、荻窪あたりに住み、売れっ子は大森あたりに住んでいたという。そういえば、吉祥寺を挟んで、三鷹から荻窪周辺には作家がたくさん住んでいた。

 三鷹には、太宰治や若い頃の瀬戸内寂聴さん、荻窪には井伏さんと文士仲間たちがいた。瀬戸内さんは三鷹の後、吉祥寺を通り越して隣りの西荻駅近くの立派なお屋敷の離れを借りて、小田仁二郎という作家と同棲生活をしていた。

 瀬戸内さんの『場所』という作品にその時代のことが描かれていてとても面白い。瀬戸内さんもまだ売れない時代で、妻子持ちの作家と同棲しているとわかると、たいがいの大家は出て行ってほしいというのだが、その西荻の「小俣」という家主は寛大だった。我が家から自転車に乗って、何度かその小俣家を探しに行ったが、まだ見つからない。

 

 先日、太宰のことを大学の講座で話す機会があって、太宰作品や『山崎富栄日記』を読み返したら、太宰がよく歩いて三鷹から吉祥寺に来ていたことが分かった。『斜陽』で主人公のかず子が太宰らしき上原という作家と吉祥寺の飲み屋に行き、その晩は吉祥寺の上原の友達の画家の家で二人は泊まる。『ヴィヨンの妻』にも吉祥寺はでてくる。

 

 探せば吉祥寺周辺は昔の小説の舞台になっていることが多いはずだが、それは、戦前から文士たちがこのあたりに移り住んだからなのだ。

 『荻窪風土記』は井伏先生の作家人生を知る格好の資料でもあり、大好きな随筆だが、中央沿線の戦前の様子がよくわかる貴重な資料でもある。先生の晩年、よく荻窪のお宅にお邪魔した思い出があり、その後のご自宅がどうなっているか気になって、荻窪の清水に行ってみたら、まだ先生がお住まいだった建物はちゃんと残っていた。戦前の面影を残すいい雰囲気のお家である。

 今の作家は生活状況によってある地域にかたまって住んでいる、なんてういことはなくなって、なんだかつまらない。