編集長ブログ

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 大学1年のころ、藤井昇という先生にラテン語を習ったことがある。ラテン語は難しくてとても歯が立たなかったが、藤井先生が語るギリシャ・ラテンの神々と文学の話はとても魅力的だった。

 ペトロニウスの小説『サチュリコン』を読んだりしたのはそのせいだろう(フェデリコ・フェリーニがこの小説を素晴らしい映画にした)。

 そのペトロニウスに面白いエピソードがある。キリストの死後、ローマの人々を折伏して歩いていた聖ペテロがペトロ二ウスを訪ねた。ペテロが長々とイエスの話をし、ペトロ二ウスをキリスト教になんとか帰依させようとしたが、最後にペトロニウスが言った。「君がキリスト教を信じるのはいいだろう。でも、私には自分が信じるローマの神がいるから構わんでくれ」

 ローマの人々は、ギリシャ神話由来のローマの神々をそれぞれ自分の神として信奉していた。シーザーはジュピターを守護神にし、アウグストゥスはアポロを守護神にしていたという。多神教世界である。

 ヨーロッパ文化の土台に、ギリシャ・ラテンの神話がある。ほんとに様々に性格の違う神様たちがいる。人類と神々の秩序を守る全知全能の神・ゼウスの子に、酒と快楽を象徴する神・ディオニュソスが生まれたりする。ヨーロッパの歴史を見れば、ダイバシティー(多様性)こそ、豊かな文化が生まれる必須の土壌だということが分かる。

 

 アメリカ大統領にトランプが登場した時、ヨーロッパ政治にも排他的な気運が生まれていた。日本では安倍政権が自民党の得た大量議席を背景に「異論を排する」政治をほしいままにしていた。

 自分に反対する意見の持ち主をつぶす手法である。お友達内閣と揶揄された人事からもそのことがよくわかる。自分に批判的な石破元幹事長を徹底して排除しようとした姿勢によく表れていた。

 菅首相は安倍政権を継承したと言われるが、「異論を排する」という政治姿勢は全く安倍首相と同様である。この人も、官房長官時代、自分の意見に反対する官僚や政治家を徹底してつぶし、権力基盤を築いてきた。GO TO キャンペーンを推進した時もそうだった。

 15年ほど前、菅さんに会ったことがある。友人が「都市議員連盟」を作ったとき、横浜を地盤にするこの人も参加してきた。都市生活者は、税金の還付率で割を食っているという主張に賛同した議員が集まった。その時の菅義偉は誠実な感じがし、是非、本を作ろうと意気投合した覚えがある。しかし、この人は、権力の中枢に近づくに従って政治姿勢を豹変させていった。信用のできない人物である。

 ドラッカーはこう言ったことがある。「たとえ補佐役として優秀であっても、リーダーとしての力が試されたことのない者をリーダーにするほど危険なことはない」。まるで菅さんのことを言っているような言葉だ。

 この人がリーダーに向かないと思うのは、なによりその言葉が貧困だからだ。彼の話すことには、知性も感じられないし、中学生程度の国語力しかないのではないかと思える。 官僚の用意した原稿すら、毎度毎度読み間違えている。

 学術会議の人事問題が浮上した時に分かったのは、この人には学問へのリスペクトがほとんどないということだ。

 もちろん英語などまるでできないから、外国の首脳たちとの外交の現場で一体どうするつもりなのだろう?

 この6月11日からイギリスでサミットが開かれる。今回はリモートではなく対面で行うという。世界の首脳たちが英語で丁々発止とやりあうなか、円卓で一人イヤホンをつけて俯いている日本のリーダーの姿を見たくはない。世界の笑いものになるだけだろう。サミットの円卓で安倍首相も、一人だけ原稿を読みながらスピーチをしていたが、日本のメディアはそういうことをきちんと伝えない。

  異論を排することに徹してきたわが首相は日本をどういう国、どういう社会にしようとするのか、その国家観がまるで見えてこない。

 たくさんの人と会食をして意見を聞いていると彼は言う。しかし、自分と同じ意見の人間たちばかりと会っていて何の意味があるのだろう。

 多様性のない国に文化など育たない。国の文化的後退は、間違いなく国を亡ぼす道だと思う。