東京原人の座談会、 | 美術家 村岡信明 

美術家 村岡信明 

漂漂として 漠として  遠い異国で過ごす 孤独な時の流れ
これを 私は旅漂と呼んでいる

 

東京人の座談会、

~~~~大空襲に生残った人間を東京原人と呼んでいる~~~~

 

朝、霊願寺に立ち寄り、大きな地蔵さんと74年振りの

対面。この地蔵も大空襲の夜、炎に巻き込まれていた。

 

平和の集い、午后二時からは東京大空襲に生残った人達の座談会。降りそそぐ焼夷弾のなかで濱田嘉一さんは叔母か

「今度はおまえの番だから念仏を唱えていろ」と言われ

た話。家族が全員死んで戦災孤児となった海老名香葉子

(えびなかよこ)さん が生き抜いてきた話。

私が炎のなかで生き残った現場の体験談などであった。

 

座談会の“まとめ”で私が言ったことは、

「東京大空襲を文化として継承」すれば時空を越えて、

次世代から次世代へと語りつがれていく、と。

 

東京原人に共通している悔しさは、「育ちゆく子供たちが

貧しさのために教育を受けられないことは、子供たちの

幸せに対する残酷な犯罪である。」とむすんで、

最期に“みんなせになろうよ”で終わった。

~~~~ みんなせになろうよ ~~~~

                   

2019826日(月)村 岡  信 明、