蕪村の詠み心、 | 美術家 村岡信明 

美術家 村岡信明 

漂漂として 漠として  遠い異国で過ごす 孤独な時の流れ
これを 私は旅漂と呼んでいる

蕪村をむ、3

蕪 村

~~離俗を詠み、詩情を描いた蕪村~~

 

西吹けば東にたまる落葉かな

 

この句はよく知られているが、蕪村の詠んだ句と知っている人は少ない。

この句は台風一過の写生句と定説になっているが、蕪村はそんな表層的な句は詠んでいない。

世俗の生き方は “風の吹きようで西東”と里謡でも歌われているように、長いものに巻かれる弱者の生き方が踏みになっている。

現代の世俗でも忖度(そんたく)になびいて保身する姿は、昔も今も少しも変わっていない。蕪村がもっとも嫌った愚俗なる人間の世界が詠みの底にある。

                  Ψ

蕪村は晩年の冬に離俗の代表的な句を詠んでいる。

 

愚に耐えよと窓を暗(くろう)する雪の竹

 

雪の重みに垂れ下がってきた竹が窓を暗く覆っているさまを詠んだ句であるが、生涯貧乏であった蕪村には、雪の重みみにじっと耐える姿に、世俗に妥協せずに生き抜けと映っていた。

 

私の蕪村観は一面的な俳諧師 蕪村ではなく、独自の美を求めつづけた画人と重なる蕪村である。蕪村が絵に関心を持ったのは35才の頃からである。53才で初めて「平安人物志」の画家の部に登録されている。63才から南宋画の画風を習いはじめ、66才で草画会を設立した。草画会とは蕪村の美意識である俳諧と絵を一つと見た画壇であった。

当時、水墨画には池野大雅(いけのたいが)、浦上玉道(うらかみぎょくどう)の個性的な大家がいたが、蕪村の絵には独自の表現である人間的な温もりがある。

蕪村は、これからというとき67才で没した。

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2019118、(金)村 岡 信 明