雪国の挽歌、2
歌人 奥山 律子
以前、旧友から分厚い“歌集 滔々”が送られてきたとき。手紙に「短歌の感想も聞かせて下さい」とあったので、歌をていねいに詠んでいった。
歌集“滔々”に載っている同人の短歌に通底しているのは、雪国の四季に生きる人々の思い“雪国の詩情”であった。
私は北方芸術を基底に、ロシア、北欧、ヨーロッパの国々の自然を背景に歴史と人間を描きつづけているが深層には“北国の詩情”が流れている。絵と短歌と表現は違っていても雪国に生きる人生の綾が共通していた。
“歌集 滔々”を読み終ったあと執拗に印象に残る一首があった。それは“あに(夫)”の死んだ夜を詠った歌であった。その歌で夫に先立たれたことを知った。
手紙の末尾に「これを区切りに短歌を止めます」。と書いてあったので、短歌の感想と併せて、《夫の死は他人には分からない心情があることは分かります。でも負の転機にするのではなく、新しい人生の生き甲斐として歌はつづけて下さい》。
と励ましたことなど、手紙で語り合ったことが昨日のように甦ってきた。
旧友の死に重い気持ちで訊ねていくと、息子夫妻が出迎えてくれた。
「どうぞ、お上がり下さい」茶の間に通されると、真正面に置かれた仏壇には花や供物が供えられて、新仏の様子がうかがえた。
「お線香を上げさせてもらいます」 仏壇の前に座ると、目の前で律子の笑顔が私を見つめていた。二十数年振りに訪ねてきた旧友は、仏壇に飾られた遺影であった。
さっき見てきた思い出の場所と重なり、死と生が交錯する悲しみがつよく迫り、胸の奥から込み上げてくる涙をこらえていた。
「母は三年まえから老人ホームに入っていました。ときどき家に戻ってきていましたが今年の三月、天命を終えました。花屋が言った去年は間違いです」
それから近年の日常から母親の若き日のことまで、いろいろ話してくれた。
「母は外国からきた絵葉書や手紙を大事に仕舞っていました。それは貴方だったんですね、絵もありますよ」と取りに行ったが、仕舞った場所が分かりません、と戻ってきた手に朱色の冊子を持っていた。
これは亡くなるまえに出版された歌集です、と朱色の表紙、歌集“滔々”(とうとう)をテーブルの上に置いた。どうぞ形見にお持ち帰りください。
律子の遺影に後ろ髪をひかれる思いで、家をでると外はもう夜、街灯が冷たい風のなかに淡々とつづいていた。
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2018・11・5、(水)村 岡 信 明