東京大空襲、黒い亡霊、 | 美術家 村岡信明 

美術家 村岡信明 

漂漂として 漠として  遠い異国で過ごす 孤独な時の流れ
これを 私は旅漂と呼んでいる

東京大襲を語りつぐ。17

黒 い 亡 霊

蕾がふくらむ 三月になると

東京の町角に

しくしくと泣く 嗚咽が近づいてくる

頭を下げてすれ違う 悲しみの香りを残して

赤ちゃんを抱いた黒い亡霊

              *

東京大空襲の五カ月後、日本は無条件降伏して敗戦となった。

しかし東京は、黒い砂漠とよばれるほど、無惨な焼野原になっていた。

清澄庭園の横にあった製材所の焼け跡は、長い間、爆撃の荒廃を晒した廃墟となっていた。310日の朝、この一帯は大空襲で焼き殺された死体が累々とつづいていた。

敗戦になってから、毎年310日前後の夜更けになると、清澄庭園の周辺に、しくしくと泣く嗚咽が聞えてくる。暗い真夜中に、さらに暗い影が近づいてくる。赤ちゃんを抱いた 黒い亡霊 、

                      *

2018317()、死との記憶、詩と絵、村 岡 信 明

1945310午前0時~2時頃まで、アメリカ軍の空襲で10万人以上が焼き殺された。