青春の思い出、サラリーマンを経て絵の世界へ

エ:それから大分へ引っ越されたのですね。

種:そうですね。
大分時代は海が近かったから、よく海に通ったんですよ。
中学から高校にかけてかな、一番よく行ったんだけど。国道を自転車で走って行くと、きれいなところがあるんだけれど、そこに何箇所か海水浴場もあったんだけど。

そこに、もう毎日のように、友達とさ、自転車で競争しながら、そこの横にトラムみたいな電車が走ってるんだけど、電車よりも速かったね、自転車のほうが。
それで、やっぱり、鍛えたっていうかね、なんかね、泳ぎはね、もうだからね、その海に行って、まあ中には友達で鮫にやられたやつもいたけどさあ。

結構、そ の頃鮫もたくさんいたんだよね。
だから、ふんどしを長く垂らして、自分よりも大きいものには向かって来ないっていうから鮫はね。
それで僕らはね、猿が良く出る高崎山っていう山のところから飛び込んで、ずっと梶原っていう2キロくらいのところまで泳いだりね。
とにかく水の中にいるほうが、歩いているより楽なくらい。
そんな時代を過ごしたわけ。

それで、まあ、こっちに、東京に出てきた時も、泳ぎは、だからさあ、もうこっちに就職した友達、こっちに就職した同期とね、江ノ島にいったことがあるんだよね。
泳ごうっていって、友達なんかどこまで行くんだっていうから、いや江ノ島まで行くか、あの島グルッと回って帰ってくるよっていったら、エーッって驚いて ね。

だって、泳ぐってそんなもんだろうとかいってね。
実際は江ノ島をグルッと回ってさ、帰ってきてましたよ、その頃はね。
そのくらい泳ぎは達者だった ね。
体は中高時代に鍛えましたね。

エ:泳ぎのほかには?

種:得意っていうわかじゃないけどね、大分の裏にある胡桃岳、由布岳っていう山によくね、何が面白かったのか、友達ととにかくキャンプに行ってね。

自分たちでビニールかなんかで継ぎ接ぎして、テントを作ってね。
そういうことが面白かったのか、どっちかわからないんだけど、山にはよく行ったね。
それで、友達の一人に結構裕福な友達がいてね、そいつがボーイスカウトに入っていたんだよね。
そいつから、ボーイスカウトのいろんなやり方を習うわけよ、 山に行ってね。
それで、ロープの結び方とかね、そいつもまた色々と知っているから、テントのしかたとかね。
飯ごうの飯のつくり方とかさ。
吉田って言うんだけど、そいつは、全日空に入って、この前定年になったんだけどね。

それから、昔は、鉱石ラジオって言ってね、ラジオを手作りでつくろうってわけで、その頃はトランジスタっていうものが発明されてね。
昔は真空管の時代も あったんだけど。
とにかく大きかったんだけど、トランジスタになって、本当に小さな、ハンディーな大きさでラジオを聞けるくらいになってさあ。
友達とラジオをつくろうっていってね。
科学的なものでは、そういうものに熱中したね。
それで、俺がつくった方のが、お前のよりも小さくつくれたとかね。
そ れで、無線屋に入りびたっちゃってね。
そこの店員から、粘り落として、トランジスタを一個もらったよ。
それで自分たちで工夫してラジオをつくってね。
はん だごてで、手なんかは火傷しちゃってさあ。
そういう時代もあったね。

エ:ものづくりに興味がおありだったんですね。



種:あと、ロケットに凝ってさあ。
自分たちで火薬を、炭素なんか、炭を摩り下ろして、それを水で溶いて、固形燃料にしてね、最後はそいうのを詰めて、打ち上げてね。
打ちあがったときはまあいいんだけどね、大爆発したことがあってね。
爆発しても、離れたところから点火するからね、電線かなんかで点火装置をつくるからね。
そうしたらある時、ドッカーンってすごい音がしてさ、爆発しちゃってね、失敗したんだよね。

そうしたら、おまわりさんが来ちゃってさ。
我々はもう逃げ ちゃってて、この辺で何か爆発が起きたんだけど、誰がやったんだなんて騒いだけど、みんな黙ってて、結局迷宮入りになったんだけどね。

その頃、ガガーリンがさ、世界初めての人工衛星に乗ってね、飛んだときだよね。
その頃は宇宙に夢を馳せてたんだよね。
それで、僕の友達は、案外そういうことをやる友達がたまたまいっしょになってさあ。

その中の一人は、そういうグループに入ったしね。
それからもう一人は東京理科大の教授になってんだよ。
浜田って言うやつ。

それで、分野は違ったけど、案外、理工科系に行ったんだよね。
僕はね、高校出て、それから、九州工大っていうところに行ったのよ。
そこで電気工学を専攻して、卒業してから、東京に出てきたのよ。

エ:どちらに就職されたのですか?

種:いすゞ自動車に就職してね。
設計部に、四年か五年いたかな。
でもやって見ると、今度は、その頃今みたいな自動車会社だったらまだいたかも知れないけど、やっぱり単なる古い自動車会社だからさあ、就職を勧めにきた会社の人はさあ、あの、僕は電気工学をやったんですね。

電気工学は、車の中では、ヘッドランプとかね、セルモーターとかあるけどね。
その当時はまだ機械工学が主力だったんだよね。

でね、俺なんかはね、電気自動車とか、将来やりますかって聞いたらね、そりゃーもうやりますよ、とか言うから、入ったんだけれど、全然、やる様子が無いんだよね。
いすゞ自動車はトラックメーカーだからさあ。
でも今頃になればね、エタノール車とか、ハイブリッド車とかやってるから、電気がある程度主力にはなって来ているんだけれど。
僕のときは早かったのよ。

漫画との出会い、そしてフリーで活動 に続く