ずいぶん長いことご無沙汰でした。
3月になったので少しずつ稼働せねば、と
重い心身を⤴ています^^;
毎年めっちゃ楽しみにしてる
バレンタインのチョコを
父のために選んでいるときでした。
長く患ってはいたから
覚悟はしていたけれど
いつも気丈で元気に笑う父
まさか本当に旅立ってしまうとは思わず
もうすぐ月命日になるのですが
いまだ実感がわかず泣けず状態です。
急遽里帰りしたまま
看病の甲斐なく帰らぬ人となりました。
あまりにショックが大きかったのと
おもったより大掛かりなお葬式になり
前後の法要やらなんやらで忙しすぎて
気が付いたら一か月たっておりました。
過分なお志やら
ステキなお花やら
おいしいものや心温まるものを
たくさんいただき
又
ほんとうにしみいるような
優しいお言葉をたくさん頂戴し
感謝の気持ちでいっぱいです。
ブログでご報告するには
少し時間が必要でした。
ご迷惑をおかけした皆様
申し訳ありません。
卒業式の花仕事からぼちぼち復帰しています。
レッスン生たちは各自ご連絡入れますので
ゆっくりお待ちくださいませm(__)m
わがままで頑固で
限りなく優しくて
怒るということを知らない
カメラが好きで
車の運転が好きで
お片付けが苦手で
女好き
「お前は俺によく似ている」
小さいころから父にそういわれてきた。
私の写真ばかり撮っていた。
カメラ映えするように
私はいつも赤い服を着せられた。
朝ごはんは父の担当で
たべきれないくらいの
たくさんのフルーツが出てきた。
こだわりのパンとバター。
毎朝起きるとすぐパン屋さんに直行してた。
季節ごとに
大量のお野菜や果物やお米やお菓子が送られてきて
栗ご飯用の栗は
いつもむいてくれていた。
この世の他の誰よりも
きっと私を愛してくれた。
そんな父はもういない。
初七日の法要が終わって
福岡に戻ってきたときに
ダンナさんは実家が大変な渦中で
私は泣きそびれて
そのままになってしまった。
ダンナさんのお兄さんのお宅に
お礼に行ったときに
「お義姉さんのご両親がなくなったら
どんなことがあっても黙って抱きしめてあげてくださいね」
と口から出てしまった。
義兄は
「大丈夫、まかせて」と穏やかに言ってくれて
それでもういいかな、と何かが吹っ切れた。
家族を亡くすということは
思いもよらない悲しみと苦しみが
予想を超える量で
やってくるんだと思った。
もう時がたって少しは回復したし
ダンナさんにも心のw余裕が出てきたみたいだけどw
やっぱりあの時
泣きたかったな、と思います。
どうぞ相方がいらっしゃる方は
どんなことがあっても
家族を亡くした人をタイムリーで
抱きしめて泣かせてあげて、と思います。
そして泣けない人はおいで、と。
もう少し私が元気になって
この薄い胸で
両手を広げて
待ってるよ、と言いたいなー💛
ゆるゆる頑張りまっす(^-^)