新年早々
おめでたくない話題で
申し訳ないですが失礼致します。
そして長文です。
嵐ごとではありません。
昨年末、このブログでも紹介した
我が家のわんこが
2011年1月4日 天国へ旅立ちました。
14歳でした。
うちでは母が子どもの頃から
絶えずわんこを飼い続けているのですが、
その中で一番長く生きたわんこでした。
名前は“げん”。
柴犬の雄です。
私が小学校一年生の夏頃
親戚から譲り受け
遥々県外から
我が家にやってきました。
若い頃はとにかくうるさくて
噛み癖もひどくて、
本当に困った犬でした。
だけど、
私に横っ腹を撫でてもらうのが大好きで、
私がそばに行くと
いつも足元にすりよってきて
どうしても憎めない犬でした。
2010年10月頃
げんは突然体調を崩しました。
獣医さんからは一週間が勝負と
言われました。
癲癇だったと思われます。
私たち家族はただただ
回復を祈ることしかできませんでした。
すると、さすがに年が年なので
体力は落ちましたが
それでも散歩に行けるまで
回復することができました。
そして2011年12月末。
ある日の散歩途中
工事の音が怖くて
動かなくなりました。
仕方なく散歩をさせてた祖母が
抱えようとしましたが、げんは暴れ
地面に落ちてしまいました。
その翌日の再び散歩途中
この一年全く鳴くことがなくなったのに
突然吠えながら、走りだしました。
そしてその日を皮切りとしたように
翌日からげんは
ご飯を食べなくなりました。
足元も覚束なくなり
散歩に行くこともできなくなりました。
3日ほど様子を見ましたが、
悪くなる一方だったので
病院に連れて行きました。
獣医さんからは老衰と診断されました。
不整脈になっていて
心音も弱まっていると言われました。
それでも少しでも長く生きてほしくて
注射をしてもらったり
栄養剤をもらい与えたりしました。
そして年が明けた2012年1月3日。
私がげんを撫でてやると
げんは段々と
私に もたれ掛かってきました。
私は涙を流しながら
名一杯げんを撫でてやりました。
それが私が見た最後のげんでした。
翌日の1月4日
見に行った家族みんながみんな
「小屋の奥で寝ている。」
と言うので私は少し安心して
すぐに見に行こうとしませんでした。
昼を過ぎた頃
なんだかその言葉に不安になってきた私は
見に行くことにしました。
そばに行き名前を呼んでやります。
いつも動く耳が動きません。
奥にいて顔が見えないため、胸を見ます。
いつも呼吸で膨らんでた胸が
膨らみません。
手が届かないため
近くにあった箒でつついてみます。
動きません。
顔と足が一直線になって
不自然な格好になっていることに
気づきました。
昨夜は一晩中きゅんきゅんと鳴き声が
祖父に聞こえてたみたいです。
今朝祖父が仕事へ行く前にも
奥で寝ながら鳴いていたみたいです。
何を訴えていたのかな?
苦しかったの?
寂しかったの?
もうすぐさよならだよって
みんなに伝えてくれてたの?
気づいてやれなくてごめんね。
最期に誰もそばにいてやれなくて
ごめんね。
14年間ありがとう。
うちに来てくれてありがとう。
げんはうちに来れて幸せだったかな?
私はすっごく幸せだったよ。
4月5日の誕生日に
私が毎年作ってやるケーキ
いつも美味しそうに食べてくれて
嬉しかったよ。
今年は作れないと思うと寂しいな。
バカでどうしようもなくて
お手もお座りも覚えられなかったね。
田んぼの溝によく填まってたね。
そんなどこか間抜けで抜けてる
げんが愛しくてたまらなかったよ。
水と雷とおじいちゃんが苦手だったね。
ご飯と散歩が大好きで、
1時間前になるといつも
そわそわして待っていたね。
苦手なのもおじいちゃんだけど、
大好きなのもおじいちゃんだったね。
今頃は天国で
お腹いっぱいご飯を食べて
おもいっきり走り回ってるかな。
本当に本当にありがとう。
ずっと忘れないよ。
ずっと大好きだよ。
お休みなさい。