HBLAのブログ

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インチュニブが合わないのか、ラツーダなのか

ある時から、コンビニに行き、

着いてバイクから降りると、足の震えが出るように・・・

 

微かな震えではなく、マジでガクガクする震え・・・

人から見てもわかるほどの震えが来るようになった

 

インチュニブ3錠が血圧落ちすぎて困るから2錠に変更になったんだけど

インチュニブの副作用に足の震えがあるので1錠に勝手に変更

 

もともと生理の時には血圧が下がりすぎるのて、

貧血が出るので1錠なんだけど。。。。

 

胃腸を見てもらっている病院にすら行くのが大変で

何度もバイクで止まり安定剤をぶち込んでなんとか行くも

待合でもメンタルがヤバい。

 

私が今一人で行けるのはコンビニと病院、あとたまに美容院だったんだけど

全て無理になった

 

また風呂も苦手で、シャワーを浴びるとザーっと血の気が引く

こちらは、何とか慣れてきたけど調べると精神疾患で風呂が苦手な人が

多いようだ

友達にも一人、風呂に入れない子がいる

 

唯一行けてた場所すら行けなくなった日から、

メンタルがとても、騒がしい

 

そして極度のストレスからか、

ヘルペスが暴れだした。

 

一つ出来なくなると世界が閉じる 心も閉じる

 

調べてみてもパニック障害の症状の一つでもあるらしいし、

自律神経失調症の可能性や、薬の副作用のせいでもなるらしい

 

解決策がみつからないまま、日々を過ごす

地獄のような今の日々

全く元気が出ないし、落ち込むばかりでなにも楽しくない

 

いっそ死んだ方が楽だと、頭によからぬ考えが過る始末

元々パニック障害は、あったけど足の震えはなかった

 

足の震えが来ると、必ず頭が反応してパニックになる

 

全く解決策が見つからない

なんでこんなことになったんだろうか?

 

発達障害の裏にパニック障害が複雑に絡みこんでいるからと言われ

治療を始めたのに、かえって酷くなっている。。。。。。

 

早く先生に相談したいけど、今の主治医医はあんまり話が通じないのだ

 

結局、自分で考えて解決するしかないのだろうな

心も体も元気がどんどん無くなり疲労困憊な今です。

随分書いてなかった・・・

文章書けるのかな?

 

最悪の出来事が起こってから三年が経つ。

鬱との戦いに負けたくなくて、家で仕事を始めていました。

 

稼げはしないけど、コツコツ毎日パソコンに向かい仕事をする日々。

仕事をしていれば、鬱に向かい合わなくて済むから。

 

しかし、数カ月前どうにも鬱が猛烈に酷くなり、これは病院に相談すべきか・・・

となり、何でも相談出来る主治医の先生に相談したところ時間外に着信が。

 

先生が色々調べてくれたところ、「双極性障害」の可能性があるとのこと。

普通の鬱剤が、効かないのでおかしいと思ったそうで。

 

えーそれ絶対なりたくないやつ・・・鬱と躁を繰り返す治らない病気やん。

 

早速、先生が教えてくれたメンタルクリニックへ行く事に。

そこで、「双極性障害」の診断+「発達障害」の可能性があるとの診断。

 

いや、聞いてない聞いてない。

そんな厄介な病名二つもいらんって。

しかも、元々のパニック障害も「発達障害」と「双極性障害」が絡んでいるかもという事。

 

「発達障害」はうちでは、診れんのでよそ行けと言われ、病院探しは難航。

子供の発達障害の病院は多いけど、大人を見てくれる所が中々ない。

 

やっと見つけた大病院に予約を入れ一ヶ月弱待つことに。

 

いきなりな展開に、動揺を隠せずこの期間は私にしては珍しく、

初めて人に電話しまくる期間でした。

 

母や父、兄、親友に電話しました。

特に母には、毎日電話しました。

 

沢山動揺して、泣きました。

本も数冊読み、二つの病気を勉強しました。

 

知れば知るほど、根治しない・一生付き合う病気な事やハードな薬を飲む事に直面した。

 

メンタルの薬で酷い目に合ったことのある私なので、

薬にはかなり詳しいが、この二つの病気の薬は、知らないものばかり。

 

動揺し、泣きまくり自我が崩壊した日々を送り、何とか大学病院の診断の日を迎えました。

 

本当は、最初に心理士さんの問診、その後精神科の先生と話す流れが、

紹介状の内容がわかりやすかったようで、最初から精神科の先生と面談に。

 

いくつか質問を答え、幼少期の事も聞かれ、間違いなく

「発達障害」「双極性障害」ですと診断。

 

意外にも、この時は動揺せず受け入れることが出来ました。

 

数週間、悶え泣きまくったせいかもしれない。

 

「双極性障害」の薬はラツーダ。

「発達障害」の薬は、インチュニブ。

この二つの病気の裏に、パニック障害が隠れているから薬が効けばよくなる可能性もとの事。

 

ADHDの診断が付き、今日やっとブログを書けた。

 

まだわからない事だらけだけど、根治することはないこの病気が私の中にいる。

だけど、今まで不思議だと思っていた出来ない事が、「発達障害」のせいだったと

答え合わせのようにわかるので、少し興味深い、そしてとても悲しい。

 

鉄棒の仕方がわからかったから、人の何倍も練習して人の何倍も上手になった。

今も似たような事が、沢山ある。

 

その答えが、脳の形が違うことにある。

 

新たな展開に、まだ慣れていないけど、

私は「双極性障害」と「発達障害」みたいです。

 

 

我ながら読み返してクソ怒ってるしいっちまってるなぁと苦笑する前の記事

 

今日も一日鬱が酷くて最低の気分で過ごした

旦那とはここ1週間まともに話してない

つか居ない

去年の12月も土日除けばほぼ居ないなかった

年末年始ゆっくりできるはずが出来なくて話し合いばかり 言い合いばかり

夫婦の関係が悪化していくのを感じていた

 

でも何も出来ない 全て水に流し誰にでも間違いや嘘、失敗はあるさと言えたらどんなに良いだろうと思う

でも究極のところ私は私が一番大事で鬱病を過去患い自力で克服して薬の離脱症状にも打ち勝ち

普通の生活に戻れそうになった時パニック障害を発症した

 

どんな時でも未来に希望はあると信じてた

流石に愛犬が死んだ時は希望を失ったけど

それでも前を向いて拙いながらも頑張って生きてきた自負はある

 

鬱病が完治した時、この先もう一度鬱病になる事があったなら自殺しようと決めていた

だから想定外の今のこの状況で自殺を考えるのは無理もないことだ

 

世間が何と言おうと旦那が認めなくても法律が認めなくても鬱病の原因は旦那の家族に他ならない

もしもこのイザコザに巻き込まれても鬱病発症してなかったらどうなってただろう

許せただろうか

たられバ論は好きじゃない

 

結局好きになることも無理だったんだろう

最初の一番最初の出会いのインスピレーションは間違ってなかった

変な言い方だけど人間の質が違う 優劣ではなく

私はお気楽主義でもないし義理母みたいに人の悪口を増して義理妹の悪口を義理妹の母が韓国籍だからと

人種差別する人間的な品性についていけなかった

従姉妹の悪口を捲し立ててその他諸々とにかく人間の質が悪い

趣味もない、本も読まない、1日に暇だからとスーパーに3回も用もなく行き金を使う

同世代で賃貸に住んで持ち家を持たず貯金もまともにせず

その癖義理父と同じ墓には入りたくないからと私たちに墓を自分用に買えという

今は安いのよ300万あれば買えるのという非常識加減

 

いつか仲違いをするこんな日は来ると思っていた

事件が起こる前から義理妹も義理母を嫌っていた

人から嫌われる素質がすげぇある

 

書けばきりが無いほどクソエピソードはあるけどもういい

 

もう一度言うけど私は私が一番大事だ

断言はできないけどあんなクソ家族のために私は果たして死ぬ意味があるのだろうか

 

自分を大事にして自分の本当の家族だけ大事にする事が一番の復讐かもしれない

粗末に扱われたのだから粗末に扱えかえせばいい

 

選択肢を多く考えることにした

自死を選ぶ他にも

 

いざとなれば旦那と離婚すればいい そしたら離婚の原因として義理の両親を法的に訴えることもできる

 

何が正解なのかいまはわからんけど生涯私だけはクソ家族を許さないし近づけもしない

必要とあれば過呼吸をまた引き起こすほど義理の両親に喧嘩を売って大暴れしてもいい

それをする権利くらいある

馬鹿だから理解できなくてまた自分の狭い味方にチクるだろうけど

その人達は私には接点もないしどうでもいい存在だし

 

義理妹を基地外だと言っていたけど私が本気で怒ったら多分一番生きてきた中で本気で恐怖と基地外ぶりを

目の当たりにするだろう

私も本気でマジで家族以外に怒ったことはないけどあいつら相手ならやれる

 

死ぬ前にやれる事は全部やろう

それで気が済めば死なずに済む

離婚しても実家に帰ればいい 家は持ち家だから住むとこには困らない

 

何が起きるかわからんけど死ぬくらいなら最初で最後に他人に喧嘩を売ってでも生き延びる道を目指してみる

 

それで駄目ならそれは終わりを意味する

 

私はこの先大親友以外の相談には乗らない

親の病気の相談は乗るけどね

 

追い詰められるより追い詰める事に決めた

 

自分を殺す前に自分を最大限に護ることに決めた

 

旦那が味方なのか知らん

私の味方は何時でも昔から私だけだったんだから

 

それだけ 書きたかった

おやすみなさい

 

泣きながらワインを呑みながら手首に刃物を当てていた

 

いつも使っている包丁も研いでいた

手首を切るのか

首を切るのか躊躇っていた

20分程ずっと色んな事を考えていた

抱え込めないほどの憎しみと怒り

切るの痛いだろうなとか、死んだらお母さんが悲しむだろうなとか

 

でもその時はこれが最大の方法だという思いに取り憑かれていた

 

何度も試し斬りしても一番いい自殺方法が思いつかないままその思いは突然震えに代わって全身を襲ってきた

刃物を置き震えを抑えるために座り込んで自分に大丈夫だと泣きながら言い聞かせていた

この時自分がかなりいっちまってることに気づいた

もう一度ワインを呑みiQOSを吸いデパスを流し込み布団に戻った

ずっと死ねみんな死ねと呟いてた事は覚えてるけど意識がそこで途切れた

いっそオーバードーズする日も近い それもいいと思っていた

 

鬱病時代のどんなヤバい時期でも

愛犬を死なせてしまったときにも

ここまで追い込まれたことはなかった過去一度も

 

そんな2020年1月7日の深夜だった

 

2019年は過去最強に試練と忍耐の連続だった

 

2019年1月から3月まで母が肝機能の数値以上を起こし何度も病院に連れ添い

そこから深夜に心臓の発作を起こし心臓の病院への検査も付き添った

パニック障害持ちなので物凄く付き添いは大変だったが耳も悪くなっている母が心配で同行した

久々に心配すぎて自分まで動悸、胸痛をおこし漢方とニトロを処方された

結果肝機能の数値異常も心臓も何も見つからずで少し安心していた

その直後疲れが襲い神経性胃腸炎を起こし一度電話に出れなかったという理由で

父から絶縁を言い渡された

まぁこれはどうでも良かった

こっちも頭にきて着信拒否をしてやった

何度か電話が父から入ってたみたいだけど絶縁してきてるんだから無視した

 

時が少し立ち5月母の誕生日なので実家にプレゼントを渡しに行った

家には入らず家の外に出てきてもらい渡した

そこで父が出てきてすまなかったと言う意思表示で仲直りをした

まぁどうでもいいけど

その足で旦那の方の実家にも寄り母の日のプレゼントを渡しに行ったのだがこれが最大の試練というか

嵐の始まりだった

 

糞みたいな顛末だから簡単に書く

旦那の弟がその場に居た 3人の子持ち そして3回目の浮気がバレて家を追い出されて

実家に逃げてきていた

初めて会った時から旦那の家族とは気が合わないながらも表面上だけ仲はよくしていた

その場で事の顛末を聞く

 

その日はそれで解散

次の日から怒涛の日々が我が身に降りかかる

義理の妹とはそれほど話したことがなかった

2回の弟の浮気で義理母との関係性もあまり良く無く(まぁ当然だよな)

正月などで会ってもあまり言葉を交わしたりはなかった

近年ポツリポツリと話す彼女が本当はとても面白くて楽しい子だったことに気づく

朝から義理母や義理弟から電話がありそこで義理妹が私と電話で話したいと言ってきた

彼女は大変な被害者だから快く電話を快諾した

 

その日からLINE、電話、ショートメールなどが義理母、義理弟、義理妹から1日の中で大半というか寝るまで

つか寝る時間を侵害するほど続いた

短い電話、長い電話、2時間ほどの電話がずっと

その最中もLINEがガンガン入ってくる

義理母は、愚痴ともうあの夫婦は無理孫はいなかったと思うことにすると義理父と話したとか自分の友達、お姉さんにも

相談したけど縁を切ったほうがいいと言われたのなど耳を疑う内容

義理弟は、最初こそ嫁との復縁を望んではいたが直ぐにもう離婚したいと言い出し自分がどんなに被害者か

伝えてくる

 

意味がわからない

 

ただ義理妹は、復縁を望んでいた

3人の子供がいて仕事もしている彼女は旦那に裏切られたショックと怒りで段々手がつけられない程激昂していった

 

わたしには子供はいないけど彼女の望む方に何とか導いてあげたくて全身全霊話しを聞き

義理母、義理弟の話も同時に聞き何とか復縁の道筋を見つけようとした

1ヶ月その怒涛の連絡攻撃は続いた

その間義理父から電話は一度もない

 

色んなすったもんだがあって一度義理弟は自宅に戻り関係修復に嫌々ながら取り組んだ

5月後半くらいから起きると不在着信、LINE未読70件以上を見て朝起きるのが嫌になった

疲れていた 義理妹以外の自分勝手な愚痴の電話にLINEに

ちなみにこの頃同時期に友達の恋愛相談にものっていた

1ヶ月の間に電話で号泣された数3回全て深夜

 

 

とあれ?長いな

もっと端的に書く

拉致があかないので義理母、義理弟の電話を断る

鬱の傾向が出始める

義理妹とのみやりとりを9月まで続ける

この間、義理弟は再度離婚したくなり実家に逃げ戻る

義理弟、何故か全てわたしのせいで嫁との関係、兄との関係、家族の関係悪化の原因をわたしに押し付け

責任転換 心からわたしのことを恨み憎み始める

義理妹からの連絡でそれを知る

家にまた逃げた義理弟を怒るため旦那が実家に電話

義理母が出る 義理母が孫はいなかった事にするや離婚してほしいと言っていた事をそんな風に言ってないと

嘘をつく 私はそれを聞いた時すぐに旦那にLINEで報告してるので証拠もあるしメモも日記もある

でも認めない

私、糞だなと心底ビックリして過呼吸を起こす

その後出かけようとすると義理父から電話

逃げ帰った義理弟の激怒した義理妹が実家に怒鳴り込む

常軌を逸してたらしく興奮した声で義理父はヤベーぞ〇〇ちゃん いっちゃってるぞと面白がるような声で言う

ほとほとうんざりした私たちは外出した

馬鹿高いダウンコートを2人で買う

その夜話し合いの電話に義理弟を出させる

開口一番ものすごい口の聞き方 完全に逆ギレしている

彼の世界では彼が一番正しくて親もそれを怒らず守ってくれるからそこが居心地いいのだろう

 

その日を境に義理母、義理弟とは連絡せず

完全なる鬱病が再発

パニック障害プラス鬱病は凄い

心が痛くなり鬱状態になるとパニック発作に繋がる これがキツイ

 

掃除機をかけたり 物を食べたり 人と話したり 好きなライブに行く情熱が失せた

何も心に入ってこない 心の中に常に冷たい風が吹いている

何処にいても誰といても キャンプに行っても何も感じなくなっていく自分を感じていた

美しい空が好きなのに心響かない

フェスに行っても疎外感を感じて楽しめない 買い物をしても心が晴れない

この暗闇を私は知っている この後どんな状況になるのか知っている

抗うつ剤を飲む事になった

でも効かない

これも知ってる ただ頭をボーッとさせるだけ

食欲もないのに体重が増えていく

私は悔しかった 全てを私のせいにして逃げた義理弟、嘘をつき保身に走った義理母

全て都合の良いように利用されてボロ切れみたいにされて捨てられた

元々好きではなかった

でもここ数年大事にしようと無理してでも顔を出したり食事に出かけたりしてた

 

愛そうという努力

家族だからと言っていた向こうの言葉 そんな物全てがマヤカシだった

不倫発覚直後から向こうの両親が義理妹に対して謝らず逆ギレした事

その時からずっと思ってた 義理妹に対する仕打ちは私に対してもされる事なのだと

嫁は家族ではないんだと

所詮他人なんだと 

愛そうとする事は間違いだった

 

何故私が憎まれなければならないのか 何故嘘をついてるのか

そもそも元々精神的にいや、鬱病経験がありパニック障害の私に何故全員が頼り問題を押し付けてきたのか

 

これを考えない日はない

何故ならこちらも憎悪の塊を抱える事になったからだ

鬱で起き上がれない日、晴れた日、楽しいはずの場所、夜の眠れない時間、本が読めなくなった、

何度話し合いしても

親を庇う旦那

納得いくことが一つもない

最終的には義理妹にも使い捨てられたこと

 

使えなくなった駒はすぐ捨てられたこと

 

自分の親には話した 

しかし程なく11月母の具合がまた悪くなる

膀胱癌の再発の可能性があったが今は膵臓癌の検査して画像診断待ちの状態

12月最後の方目に以上な塊を見つけ眼医者で目をメスで切ったりついてないことだらけだった

キャンプは好きじゃないけど4月から11月まで月一で行ったが1日残して全て雨

色んなことがついてなくて ついてないことが当たり前だと思う事にした

旦那が本厄だからそのせいかもねって

まぁ厄はほぼ私の方に来たけど

 

コントロールできない鬱病とパニック障害を抱えて年を超え

言い合いばかりの新年

1月7日最も信頼のできる親友に6月ぶりに会ってきた

6月会った時私の携帯がずっと鳴っていたのを彼女は見てる

これまでの経緯を話す

うまく話せない自分にビックリする

話すことが多すぎてうまく整理できない

でも何とか聞いてもらい非常識な向こうのやり口に彼女は口をあんぐりしてた

2度とか関わるな 2度と人の相談を受けないほうがいいと忠告された その通り

彼女は私に一番古い友人なので前の鬱病時代を知っている

彼女に問うた

あの時と今同じ?と

同じではないけどあんたが相当考え込んでるのわかる 相当こたえてるのもわかると

旦那が今はまだ親と連絡を取ってないけど繋がりは消せない事など話す

旦那に迷いがあるだろうことも 弟のことは迷いはないみたいだけれども

 

別れて帰宅してぬるい湯に浸かりキッチンでワインを呑んでいるうちにまた猛烈な憎悪の塊が

頭をもたげてきた 

自分たちのしたことで1人の人間を鬱病に追い込んでそれで謝罪もないまま平気な奴らに出来ること

 

そんなことを考えてワインを呑んでたら冒頭に書いた事態になった

 

死にたくはない でも悔しいし苦しい

鬱剤も飲むのやめて戦ってるのに旦那の理解が足りない

鬱になったのは自分のせい 因果関係は立証されない 同じ状況でもならない人はいる

つまらないのは自分のせいだとまで昨日寝る前に言われた

 

君がそれをいうの?君は味方じゃないの?君は敵なの?所詮クソみたいなあの人達と同じ血が流れてる

そう思うとまた昨日夜鬱状態が悪化して遺書と死に方を調べていた

うちの親以外に全て痛い目に合わせるための証拠と文章 それを公表する場所

 

下らないでもほぼ本気 生きる勇気はないけど死ぬ勇気と復讐する勇気なら残ってる

 

旦那の友達がこないだ言ったそう

〇〇はそんな大変そうなのに何で幸せそうなの?

それはね、大変なことに少ししか関わってないからなんだよ

自分の家族の問題も自分で解決しないんだよ 親父さんに逆切れされるのが面倒で言い返せない

人が不幸でも自分が楽しければ良いからって言ってた だからね 彼は幸せなんだよ 不幸なわけないじゃない

面倒なことは全部私に押し付けて病気になっても因果関係ないって親を庇ってるからね

 

 

地獄の底に今いる

乾いて喉がひりつく

鬱病とパニック障害の2つはきつい

本当は死ぬのは嫌だ

死ぬべきはあっちだろう

 

どちらにせよ終わりにするなら必ずやり返す

私は自分を利用して嘘ついて捨てたあの家族も血筋も全て憎む

 

とりあえずここまで

最低最悪の人間に触れた2019さようなら

 

 

 

 

 

そういえば新しい家族が増えました

もう1歳半になります

キャバリエの男の子です

 

キャバリエは昔から好きでしたがまさか迎える事になるとは

なんとなく一匹だと可哀想な気がしてHPで色々見ていたところ

最初はチワワを見ていましたが そーいえばキャバリエも好きなことに気づき

そこから探しててかなりの数のキャバリエを検索しました

やはり先代のブッチと同じく白黒の犬が好きなので色も重要

かなり最初のほうでこの子は胸にヒットしててでも詳しい情報は見てなくて

 

暫くたってからもう一度見てみたら生後半年以上経ってるので価格も安くそして

まさかのそこからの20%オフ

聖蹟桜ヶ丘まで見に行って 一目で好きになりました

可愛いのは勿論ですが なんと会いに行ったとき他の子はガラスのケースに入ってるのに

この子はその後ろのバックヤードの床を好きに歩いていたんです

お店の人に抱かせてもらい顔を舐めてくれてこの子しかあり得んとなりその日のうちに

我が家にやってきました

 

最初は先にいるホープ(チワワ)気難しいく人見知りなのでハラハラしましたが

数日経つとホープのほうが興味を示して遊ぶように

一度 機嫌の悪いときにランチョー(キャバリエ)の鼻を噛んで皮が少しむけて血が出て

動物病院のお世話になりましたがそれ以来特に問題もなく仲良しです

 

ランチョーは基本とってもマイペース

よく寝てよく食べてのしのし歩いて優しくてとてもいい子です

この子が来てからホープもグッとお兄さんらしくなりました

 

今でもたまにランチョーを見て家にキャバリエがいる!!!と感動することがあります

家族が増えて益々賑やかになりました

これからたまに登場すると思うのでよろしくお願いします

 

はじまりましたね2019年

昨年は 冒険の年でした

数々の冒険を経て少し強くなりました

 

キャンプに何回も行ったり ライブに何回も一人でも行ったり フェスにも2回行きました

電車にも一人で何回も乗りました

しかし慣れてないので乗り間違いや 疲れすぎて帰りタクシーに乗ることもありました

 

好きなことや 好きな音楽 新たな自分の発見など2017年の夏から衝撃的に変化がありました

 

 

やっぱり私が好きなものは 根本的には変わらないけど

惹かれるのが 凄い人たちが凄いのに更に高みへ行くために真面目にやっている現場を

見たことでした

 

天才は 努力家なんですね 本当の天才は努力を惜しまない 胡坐をかかない 甘えない

わかっているつもりでもそれを目の前でまざまざと痛感させてもらい心に矢が刺さりました

だから私も怖くても 前に進むために 足を前に出して色んなところに自分を連れて行きました

失敗もあったけど 得たものは大きい

 

どこかで自分がパニック障害なので 引け目や自己嫌悪 自分を可哀想だと思う気持ちはありました

でも 気づいた

人生を諦めないとやはり凄いことに出会えることに

凄いチャンスやご褒美が訪れることに

だからわたしは これからはこれからもパニック障害だけど きつい事もあるけれど

沢山笑いたい 自由に生きて生きたい 心も体も全て自由に

ドラマで見たせりふにも共感しました

「悲しみも光のひとつ」

この臆病な心も体もうまく動かない脳も全てはわたしの光の中のひとつなんだと

だから2019年は更に動いてみようと思っています それが今年の目標

色々なことにアンテナをはって 色んなものを見て 感動したい

うまくいかない日は うまくいかなくてもいい 悲しい日は悲しくていい でも笑顔を自由を持っていたい心の真ん中に

 

そんな一年にしたいです

今年もよろしくお願い致します

 

遅くなりましたが明けましておめでとうございます

ブログを書く習慣が抜け落ちていたのですが思い出したように書いてみよう

 

まず本当は明けましておめでとうはいってはならないのです

12月初めにおばあちゃんが亡くなりました

2年くらいもう病院に入っていたのですが最後も病院で老衰で亡くなりました

愛知に行ってお葬式に出てきました

2017年はお出かけが多くあるバンドとの出会いがあり電車に一人で乗ることが多かったんですが

11月に電車に乗ってて発作起こしてしまい電車が怖くなってしまいました

多くのパニック障害の方は電車が苦手です 人が多い 閉じ籠められる わたしはドアが閉まるのが怖い

ドアが閉まると急速に貧血のように冷や汗が出てきます そして人の話し声もそういうとき聞こえてくると無理

声が耳につきすぎて体が貧血なのに急激に熱をもって熱くなりもう降りることしか出来なくなります

何回かは大丈夫だったのに ちょうどひどい風邪をひいてるときにチケット取ったし そのバンド暫く活動休止になる直前だったので

無理して渋谷まで行ったのです

帰りの混んでる電車で発作を起こし一度電車を降りて薬を飲み 再度乗りなんとか帰ってきました

 

そんなことがあったのでちょっと愛知まで新幹線で一人で行かなければならないのは試練過ぎました

とても行ける気がしない パニック障害の患者が二番目に怖いのは新幹線だそうです 一番は飛行機

昔一度新幹線で東京まで行くときドアが閉まった瞬間大きな発作に襲われたことのある私はさらに距離の長い愛知など恐怖です

なんどもなんども無理だと諦めかけては でもおばあちゃんへの最後のお見送りにはなんとしてでも行かないとと思い死に物狂いで

行ってきました

色んなトラブルがあり 乗ってすぐ座席がわからなくて迷子になり重いキャリーバッグを狭い座席内を潜り抜けながら歩いてたら

ドアが閉まり物凄い新幹線の揺れが。。。。。発狂するかと思った。。。。。

そして座席にやっと着くと3人席にもうみっちり2人座ってるし

謝りながら窓側に通してもらい保冷剤を首にあて発作を抑えるのに必死でした

しかもやばくなったら小田原で降りればいいとみんなが言ってたのに豊橋直行で降りられん

心の中でマジか。。。。。終わった と思いながらなんとか豊橋まで耐える

 

着いてよろよろしながら疲れ切ってたら駅までさきに行っていた母が同級生(親戚)と迎えに来てくれていてご飯に連行

しょ食欲なんて一ミリもないんですけど でも失礼にあたるのでなんとか行く

でも多分10年ぶりに会うおばさまは変わらなくて居心地がよかった

兄夫婦も合流したけど話さず 兄たちと会うのも2年ぶりくらい

食事を終えてホテルに戻りラウンジでお茶を飲み 大きなバスタブで冷えた体を温める

明日は5時起きだから早く寝ないと

ラウンジの飲み物は全て無料なので風呂上りにも一度一人で行く

そう ワインを飲みに 一昨年くらいからワインが飲めるようになったので寝酒にしようとグラス1杯程ゆっくり飲む

かなり高いビルのラウンジなので夜景が凄くきれい

小さなころから知っている豊橋の駅は様変わりしていて なんとか知っているビルの名前とか見つけてホッとする

お酒は弱いのでかなりぐでーんとなりながら部屋に戻りその夜はなんとか1時過ぎには寝付くことができた

 

朝早く母の動く音で目が覚める 目覚ましが鳴る前に目が覚めた

支度して 朝食は葬儀場行きがてら食べるのでラウンジに一人降りて熱い熱い紅茶を砂糖を入れて3杯飲んで

体を暖めて目を覚まさせる

 

今日はかなり試練の日なのだ

葬儀もそうだが おばあちゃん方の親戚の方たちとも会うのでパニックもちにはとても緊張する

兄の運転する車で行きにとても美味しいパン屋を発見してそこで朝ごはん

生憎の雨で愛知はこの日とてつもなく寒かった

葬儀場につき皆さんが着くのを待つ 葬儀場もまだ暖房が利いていなくて喪服一枚のスカートの下から冷気が沁みてくる

 

皆さん一人一人とご挨拶して 昔会った記憶を何とか呼び戻す

葬儀はつつがなく流れ 焼き場に入ったころに一度兄たちとおばあちゃんの家に向かう

これまた恐ろしく久しぶりの2年空き家だった家の中はすすけまくっていて

よくわからない動物の糞なども散乱している 足はすぐに真っ黒になった

ここに一人で暮らしていたおばあちゃんの暮らしを垣間見た

人間は年を取ると片付けが出来なくなるというが物凄い有様だった

 

この日はこの後色んなことがあった

色んなことを考えては目の前が暗くなるような事がたくさんあった

1月一杯はこのせいでうちの家族はバラバラになりかけたし 信じるもの信じられるものがなんなのかわからなくもなった

結局もう真実はわからない その答えをもっている人は死んでしまった

 

わたしは わたしが見たその人 その人がわたしにしてくれたこと言ってくれた言葉 そのことを大事に持っていくことにした

人間の中は深い 人間の闇も深い 暗く果てしないその底知れぬ暗さを目にしてわたしは数日眠るとうなされた

何を見に行ってきたのか 何をしに行ってきたのか

愛とはなんなのか 血が繋がってないこととはどんなことなのか わたしには答えが出せない

ただ 精一杯死に物狂いで行った愛知の旅は終わった

 

終わって少ししてから電車に乗れなくなった 気力を使い果たしたみたいで

また一からやり直さないといけない

 

2017年は非常に冒険に満ちた年だった

8月には車で名古屋に日帰りで行ったし キャンプにも行った

ライブには5回位行った 昔の知り合いとご飯も食べに行った

そして愛知に一人で

 

いつも一人で行動してるときは声が聞こえる

怖い 早く帰ろう 発作が起きる 不安すぎて耐えれない 帰らないと危ないよと

その声はとてもうるさく しかし強烈にわたしを追い詰めていく

 

いったい何時までこんなことを繰り返して生きていかないといけないのかなとも考える

こんな声 もう聴きたくない 一人で本屋さんでゆっくり本を選ばせてよ 楽しい時間を邪魔しないでよ

 

だけどまだ時間はどうやら続くし 相反してわたしは楽しむことを諦めない

どんなに声が聞こえても きっと見たいものをわたしはまた見に行く

 

声が聞こえなくなる日は来ないのかもしれない 安心できる日なんて来ないのかもしれない

パニック障害の症状は 確実にちょっと酷くなった

でもわたしは たくさんの綺麗なものをこの夏から貰った

 

これから先のことは全くわからないし 自信なんて一つもない

声に負けてしまう日の方が多いだろう

でも出来れば今年もまた綺麗なものをこの目に焼き付けに行きたい

この心で味わいたい

まぁ同時に怖くて死ぬほど逃げ出したくも毎回なるけども

だからこそ そこを超えて立つことの出来た日差しの中で見る太陽の凄さを多分普通にそこにいる人の百倍有難く感じれる

 

死んで骨になる場面を見るたび 生きている間のことを考える

いつかわたしにも確実に来るその場面のことを考えると そこだけはみな平等なのだと汚らしく安堵する

 

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先日からわんこが体調を壊した
正月明けにも体調を壊して血便が出たのだが
土曜日の朝に血を吐き 血便が続いた
かかりつけの先生に電話で聞くと様子見でということだったのだが
あまりにも昨日具合が悪そうで血便も止まらないので
一人で病院に連れていくことに
 
1月5日にも一人で動物病院まで往復2回出来てたので
今回も気合いれて行ってきた
1人で出来ることは嬉しい
 
結果胃腸炎だったみたいで抗生物質を打ってもらい無事帰宅
動物は話せないから こちらの判断が重要だからなぁ
1人で連れていくことが出来て本当に良かった
まだ2歳にもなってないのだがどうやら見てるとお腹が弱いみたい
私に似てるとこありすぎて面白い&困る
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今年の頭からメンタルの調子がすこぶる悪い
息がとてつもなく苦しい 
夕方から苦しくて 夜眠る前も苦しくなる
多分自律神経の問題だと思うけどたまらなくキツイ
 
寝る前の睡眠薬のミリ数が変わったことも関係してるかもだけど
今年初めに両親が急に移住するとか言い出してから調子が一気におかしくなった
移住するのは中止になったけどその時の両親のテンションがやばくて
真に受けてしまって数日後から息が急にしずらくなった
 
両親のことで心を動かされないように去年は気をつけてたけど
移住問題はちょっとビックリしすぎて調子崩した
 
ヨガやったり体を動かしたり色々やるけどダメで
あまりにきついからデパス飲むとこれが効く
効くということはやはりメンタルなんだよな
 
朝起きると心底うんざりした気分で目を覚ます日々
今日もまた息が苦しいかと思うと嫌気がさす
まるで自分が泥船に乗ってるみたいだ
泥を毎日足してなんとか沈まないようにしているだけな気がする
なんとかしたいと足掻いてはいるものの未だ光は見えてこないで1ヵ月弱が過ぎた
 
そんな日々だ
暗い苦しい日々を今は過ごしてる
 
 
 
 
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車を購入した帰りの車の中で
バンプオブチキンのスタジアムツアーが始まってる話してて
そういえば日産スタジアムは7月16日と17日の2日で
今日やってるね 行きたいなぁって喋ってた
だいぶ長いことライブ行ってないなぁ
 
なにが無理ってスタジアムツアーが一番無理
しかも夏場 7万人なんて本当無理
暑くて人が多くて発作おこして いざというとき逃げ場がないもん
諦めてたけど 喋ってたらどんどん行きたくなってきた
試しに色々調べてたら 次の日の17日行けることに。。。。マジか!!!!
つか行けるのか?いけたとして いけるのか私は?
悩みつつも行ける段取りついて物理的に行けることになる
当日ど緊張しつつ 旦那さんと新横浜まで車で行って
駅から日産スタジアムまで歩く
この駅からの徒歩で既に暑くて日射病になり発作寸前に。。。。
凍らしたポカリを持参してたので首筋に当てつつ必死で歩く
 
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ついてかき氷かって無我夢中で食べる
とにかく体温を下げないと発作につながるし
この日風がなくて茹だるような暑さ
会場に入ると 予想よりも凄い人!!!!
こ これはマズイカモと思いつつ ビールを一口もらい
開演まで必死に待つ
開演してからライブが始まっても何回か ヤバいかもというメンタルの状態
でも それをなんとか抑えるほど 抑える価値があるほど
ライブは凄まじく良かった
スタジアムだからか 声の届き方が違う
夕方になると 上空に星と月と茜色の空が広がり天国みたいに
そこで始まった「流星群は」 ちょっと忘れがたいほどのインパクトで始まった
終りのほうで花火が上がり 夏に求めるものが全てギュッと濃縮された夜になった
何曲か 死んだわんこのことを思い出す曲があり
その度に涙が 滲んでくるのを止めることが出来なかった
 
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終わって汗だくでまた来た道を歩いて戻り
へとへとになってラーメンを食べて帰った
ライブ会場で配られた光る腕輪が 物凄く綺麗で
夜に何回か見つめた
絶対に無理だと思っていたスタジアムツアーに行けたこと
とても大変で 楽ではなかったけど 心に刻まれる1日だった
 
また何時か必ず行きたいなぁ