火曜日のお別れの会
火曜日、母の
お別れの会を
無事行なうことが
出来ました


日曜日、月曜日と
全員不眠不休で支度をしました
BGMのしおり


ゲイシャコーヒーを
母の俳句や短歌。。。
理科の定期テスト原稿や
孫と孫の配偶者からの手紙は
便箋に10枚書いた孫も。。。
メンデルスゾーンの
ヴァイオリンコンチェルトホ短調

孫たちからのメッセージ拝読



孫たちからのうた



孫によるピアノBGMで母の紹介



母が好きな真っ白なデンファレで献花



お別れは、花いっぱい

で💐
きっと喜んでくれたと思います


沢山の方々に見送られ


幸せな母です




ありがとうございました


母のこと
ずっと
母が、
私のブログを
読んでいてくれたので
細かく母の闘病の内容を
書けませんでしたが
11月7日土曜日の夜に
亡くなりました
阪大病院からの紹介で
緩和ケア病棟がある
癌専門の
彩都友絋会病院に
抗がん剤投与目的で
10月27日に入院しましたが
状態が悪く
抗がん剤は出来ず、
入院の5日前から
食欲が落ち
入院前日当日は
全く食べていませんでした。。。
入院後も
食欲は戻らず
毎日状態が
加速度的に落ちていき
入院5日目の10月31日に
関東から家族で
お見舞いに来た妹は
自分だけ
こちらに残りました。。。
毎日毎日
14時から16時の面会時間には
妹と、父を連れ病室に行き
見守っておりました。。。
50年以上前からの
母の大勢の教え子さんや
小学時代からの友人が
途切れず面会に来られ
面会時間中は常に
賑やかで
1分たりとも母は
ひとりで居る時間の無い程。。。
"二人ずつ面会"のルールだから
廊下には面会待ちの
人が溢れて。。。
7月末の検査で
3月に手術をした大腸癌が
肝臓に多発転移
腹膜播種、
余命半年、と
言われていたのですが
肝臓の癌が大きくなり
肝臓が腫れ上がり
だるくて、強い痛みも出てきて
黄疸も出て
11月6日金曜日の14時半から
緩和ケア病棟に
移りました
その夜は妹が泊まり込み
(ルールで一人しか泊まれず)
夜を徹して
母をさすったり
励ましたり
家族とビデオ通話したり
親戚に状態を報告したり、、、、
早朝5時に
調子が悪くなり
ものすごく
苦しんでいるから
直ぐに来て!と
妹から
連絡が入りました
慌てて父、私、弟ファミリーが
駆けつけて
兵庫、和歌山、
関東からも
続々到着し、、、
病床の母は
肩で大きな息をしていて
痛がり
辛そうで。。。。
爪が紫色になってきて。。。
家族14人。。。
両親と
こども3人配偶者3人
孫6人(1人は海外に居て帰れず)
みんなで母に声を掛け
さすったら
脚に広がっていた
紫斑が消えて
持ち直しました
痛みや怠さに
苦しみながらも
声掛けにも頷いたり
誰が声をかけているか
よくわかっていました。。。
妹は30時間
父と私と弟ファミリーは14時間
母を励まし続け
遠方からの
家族が
全員が集まってからの
6時間は
更に
教え子さんも来られたりして
母の病室や廊下は
人で溢れていました
スタッフが見かねて
家族室を用意してくださいました。。。
19時半くらいから
呼吸が浅く少なくなり
全員が見守るなか
20時前に亡くなりました
二人ずつ交代で、というルールを
危篤ということで
若干 逸脱しながら
見送らせていただきました
彩都友絋会病院の
スタッフの皆様方には
感謝の気持ちで
いっぱいです


母は
家族全員からの
沢山のありがとうを
感じながら
旅立って行きました


こんな時期でしたが(コロナ)
夏から
度々
母を中心に
家族や
教え子さん
リハビリ病院のスタッフさんも
集まって
様々な
食事会を持てたこと
ありがたいと思います


昨夜の偲ぶ会は
花が好きだった母のために
沢山の花で飾り
父との思い出の曲
メンデルスゾーンの
ヴァイオリンコンチェルトホ短調を
献奏し
モーツァルト他のBGM。。。
一通の手紙にまとめ、
孫たちが読んだり
孫全員で協力して作った
スライドショー、
BGMの紹介のしおり、、、、
母には、わたしたち三人きょうだい
それぞれの結婚式で着た
シルクの濃い紫色のドレスを
着せました。
ドレスの後ろはファスナーで
私と妹で、
ファスナーやホックを外し
かがり縫いをしました。。。
(プラスチックや金属は
火葬出来ないそうで。。。)
宗教色のない
和やかな会になりました。。。
今日はお別れの会です。。。。
謹んでお世話になりました
皆様方にお礼申し上げます




















































