H先生のレッスンにて。曲目は31番。
私はヘンレを使うが、シュナーベル版とアラウ版を比較しながら進めた。
これらの楽譜は、今は高すぎて、なかなか買えない(3分冊で、各1万円もすると、厳しい)が、
よく考えれば、園田高広エディションの1曲1,000円と同程度ではあるし、誰もが参考にする楽譜ではあるから、
一度奮発して買ってもよいのかもしれない。

冒頭の3小節目にtranquilloを入れていたり、
シュナーベルの楽譜は、本当に指示が細かい。
楽譜から、これほどまでに音楽を感じることができたのか、と思うと、頭が下がる思いがする。
もちろん、ベートーベン自身の楽譜も非常に緻密で、フレーズや音価の一つひとつに意味がある。

フランソワは、「ベートーベンの音楽が如何にくだらないかを示すために、
私は三大ソナタの録音を行った」といったそうだが、
私も確かに、ベートーベンのsubito pianoの処理を、楽譜通りに行うのは違和感を感じる。
しかし、シュナーベル版もアラウ版も、subito pianoの直前にフォルテの記号を補って、
ベートーベンの様式を守るように強調している。

シュナーベル版の特徴は、曲想が変わるとテンポ指定が細かく変わる所である。
最後のフーガは、自分ではインテンポで弾いているつもりが、♩60から♩80ぐらいまで、どんどん加速する。
加速しないと遅く聞こえてしまうのである。

しかし、そうすると、ト短調の嘆きの歌の後で、「フーガのテンポに戻る」という指定が、
どのテンポに戻るか、というのが問題となる。
H先生は、シュナーベルの説とは異なり、♩60に戻ってから♩80に再度上げていくのが良いとおっしゃっていた。

しかし、こういう分析をやると、感動を生むか、というと、必ずしもそうでもないと思う。
歌心と分析、そして運動機能の結合は、奇蹟的な出来事であるかのようだ。

アメリカ人ピアニスト、マライ・ペライアの演奏ですっかり魅せられてしまいました。
夏の別荘、テラスで静かに微笑む貴婦人、
あるいは、向日葵畑に佇む麦わら帽子の少女。

これほどまでに人を幸せにする演奏が、この世にあるのか、と思います。


「イギリス組曲」の名前の由来は、バッハの伝記を書いたフォルケルによるものですが、

曲はあくまでフランス的な伝統に基づいています。


バッハが素晴らしいのは、和声の響きと複数の旋律の美しさ、

タテの糸とヨコの糸のバランスを組み込んでいる点にあります。


ペライアは、不運な指の怪我で数年間のブランクを余儀なくされた間、

バッハの音楽を研究して時を過ごしたと言います。

復帰後、録音した「イギリス組曲」、そして「ゴールドベルグ変奏曲」の

あまりの素晴らしさに、世界は度肝を抜かれました。


他にも素晴らしいバッハ演奏者は大勢いらっしゃいますが、

もはや、グールドは過去の人になった、と言っても、過言ではないと思います。


自分のピアノ練習ということになると、やはり、バッハが一番勉強になります。

きれいな響きを作るためには、前の音と次の音との音量の関係を

きちんとコントロールしなければなりませんが、どの指であっても、とても難しい作業です。

親指は不器用であるがため、人差指は器用すぎるため、3-5の指は、独立していないため…


でも、この点に気を付けているかどうかが、アマチュアとプロの境目の一つであるように感じます。


「耳を鍛える」とか、「自分の音を聞きなさい」とは、もちろん全ての先生がおっしゃるのですが、

具体的な方法論が示されないと、なかなか改善されませんし、そうなると、先生の方が諦めて、

何も言わなくなってしまう、ということが、良く起こっているような。


自分の音を聞く、ということは、全ての人にとって、一生の課題だと思いますし、

曲の全部に渡ってきちんと聞き続けるのは、常人には、ほぼ不可能なことだと思います。


イギリス組曲は見つかりませんでしたので、別のペライアのインタビューを張りました。

ステージでのペライアは、どうも好調・不調の波が激しい、

というより、明らかに鍵盤をたたいているし、ミスタッチもたくさん出してしまうこともありますが、

録音で聞く限り、常に最高の演奏です。

その辺の所も、少しインタビューでは語っておられますね。


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音楽とは、アゴーギグとデュナーミクである、との教えを、これまで多く受けてきた。

小さいフレーズ感とリズム感を重視する人もいる。
和声の移り変わりを味わうことを重視する人もいる。
繰り返しを避けて、細部を作りこむことを重視する人もいる。

しかし現在のところ、ヨーロッパの音楽を日本人がやる上では、
建造物を「構築」するが如き、正確なリズムと、和音の響きが、特に重要ではないかと思う。

最初、北川先生に「音が鳴っていない」と言われた時に、どうしても意味がわからなかった。
その曲の持つ本来の響きになるには、音の出方が足りない、ということだったのが、今になってわかる。
特にロマン派について、「メロディー以外の音は響きを作るだけだから、いい加減に弾いて良い」
という先生もいらっしゃるが、全てを歌に不可欠な要素ととらえて、古典派のように一音たりとも
おろそかにしない正確な奏法が、本当の感動を生む、ということだ。

北川先生は、「真の演奏家は、ルービンシュタインやバレンボイムだ」とおっしゃった。
ホロヴィッツは自分の弾きたいように弾いて、一部に熱狂的なファンがいる。
しかし、彼を認めない人も多い。
ルービンシュタインは全ての音を正確に弾き、なお美しい。
インテンポで楽譜通りに弾き、ごくまれに、感興が高まる場面で、ごくわずかに、とても美しい色をつける。
熱狂的なファンはいないが、誰もが良いと認めるピアニストである。

コンクールの場面でも、ルービンシュタイン的な演奏は
コンクールでは、審査員が全員認めないといけないため、アクの強い演奏は、なかなか残らない。
かつてコンクールに出た時、点数自体は最高点だったが、選に漏れた経験がある。
その時は、師事していた先生の解釈通りに細部まで様々な工夫を凝らした演奏であったが、
それを大いに好む審査員もいたし、嫌った審査員もいた。
その時に選に残ったピアニストは、バラード4番をインテンポで、ていねいに弾いていた。
当時の私は、ずいぶん個性のない、つまらない演奏だと思ったが、今になって、
彼の演奏の素晴らしさが分かる。

コンクールに通るためというわけではないが、
ヨーロッパの「構築」の哲学が馴染んでいない日本人(私だけかもしれないが)は、
まずは後者を突き詰めてみる努力が必要だと思う。