昔同じトランスジェンダーの仲間と話している時

「小中高の地元の友達になんて怖くて会えない」って人が多くて

心底びっくりした覚えがある。

時代もあったのかも知れないし、

何か嫌な思い出があったのかもしれないし、

そこは全然わからないけど、

僕にはその感覚が全くなかった。


僕は学生時代友達?が多い方だった気がする。

10代〜20代なんて、一回会って話せば友達。みたいな感覚で、

なんなら知らない人から馴れ馴れしく話されて

僕は向こうを知らないけど向こうは僕の事を知っている。

みたいな状況が多々あった。笑


地元の友達も

途中から性別変わってるにも関わらず

誰もそれを突っ込むこともなく

当たり前のように接してくれて

多分環境や周りの人が良かったんだろうなって

今更ながらに思うのですが。


そうなんです。



「僕は差別を直接的に受けた事がない」



もしかすると、影で言われているかもしれないけど

自分の耳に入らなければ全然傷つかない。


家族にカミングアウトした時も

ありのままを受け入れてもらえたし

歴代の彼女の親に会った時も、温かく迎え入れてくれた。


周りから傷付けられる事は

今まで生きてきて1度もなかった。


それでも、今更ながらに昔の事を思うと

もの凄く生き辛かったのは何故か。


自分が一番、自分の事を差別していたからだと思う。


周りの人間は男だとか女だとか

そんな尺度で判断してない。

なんなら、そんな事別にどうでもいい。笑


人として信頼出来るか、性格が合うか

考え方が合うか、魅力があるか。


多分そんなもんだ。


それに気付かせてくれたのは

間違いなく僕の周りにいる人達のお陰で、

今でも週に一回は顔を合わせる幼馴染に1度聞いた事がある。

俺と一緒に居て気まずいなとか思った事一回もないんかと。

友達は

「気まずいって1度でも思ったら俺は遊ばん。気ぃ使うん嫌やし、結局喋る言葉も嘘になるやん。」

と言ってくれた。


なんやコイツはと。

僕がコイツの立場だったら同じ事言えるんかと。


結局は性別や今までの過程がどうであれ、

最後は自分の生き方や人への接し方が一番大事。


今、かつての目標を達成したから、そう思えるのかもしれない。

男として生きたいと毎日毎日苦しんでいた頃は

多分そう思える余裕もない。

親は恨めないし、社会恨んだって仕方ない。

ひたすら自分の中の葛藤とどう折り合いをつけるか。みたいな感じだった。


今ですら、多様性が叫ばれて

セクシャルマイノリティにも色々種類や呼び名が増えて

おじさん当事者のくせに全然ついていけてないけど、

昔よりは受け入れて貰えやすくなったというか

自分が何者なのかって説明しやすくはなったのかな。


わからんけど。笑


でも結局はマイノリティじゃない人と同じで

自己紹介しやすくなっただけの話で

そこから先は自分でどうにかするしかない。


名前がついたからとか認知されたから

自分が全て受け入れられたわけではない。


難しいね!!!!!!!!