アロマテラピーオリーブブログ

アロマテラピーオリーブブログ

アロマテラピーオリーブは15年になりました。現在は各地でご縁をつなぐ奉仕の旅と楽園創りをしています。あなたの帰ってくる平和の楽園を用意しておきますね。


稲城は多摩丘陵地にあり、この丘陵地はイルカ型をしています。

 

そして、稲城向陽台にはクジラ橋があります。

 

クジラやイルカは海の中にいるのに哺乳類ですが、天変地異で海に沈む前は地上にいたと考えられています。

 

クジラは母性意識を伝えるためにシリウスからやってきたのだそうで、

生物学者は、クジラは哺乳類で何万年か前には陸に住んでいた可能性が高いと考えられるそうです。

先住民たちの言い伝えによると、クジラは地球のシフトが起きて母国ムー大陸が沈む時一緒に海へ入っていったと伝えています。

空から火が降り地球上の他の海域に落ちる時、このムー大陸、レムリアは再び浮上すると。

「ネイティブメディスンマンたちは、このサインを待っている。それが再び地球がシフトする時の合図だからだ。

地球の子供たちは、すべての種族がお互いを尊重し合い一致団結して、その時を乗り越えねばならない。」と。

太古の昔、ムーの人々は言語を話さない種族で毎日を無言で過ごしていたといいます。

音は偉大なるスピリットの言語を理解していたものたちが使いました。

クジラの魂を持つ人は、古代の智恵の記憶を呼び起こす為、DNAにその周波数を理解するコードが刻まれていて、テレパシーも使える。

しかし、多くの場合、その才能は必要な時期が来るまで目覚めないらしいです。

 

 

東京、京都、平安京、平城京、天皇が住むところを『京』といいます。

その語源は『鯨』からきていて、鯨には『丘』という意味があります。

丘は鯨で、鯨は空を飛びます。天空のラピュタ島であり、高天原であります。

 

日本神話の天空の高天原にいたイサナギ、イサナミの『イサナ』も『鯨』という意味です。

イサナは「義」「凪」で男性を意味し、イサナは「美」「波」で女性を意味します。

イサナギとイサナミが天浮橋から天沼矛で搔きまわして作ったのが、日本です。

ようするに日本を造ったのは鯨の男女です。

日本は、母性意識を伝えるためにシリウスからやってきた鯨が創った国ということです。

 

昔のアニメで『ムーの白鯨』という空飛ぶ鯨が描かれていたのも意味深であり

でもなぜか、鯨が空を飛ぶことは誰もが容易に思い描けるのはわたしたちの潜在意識の記憶が覚えているからでしょう。

 

このイルカ丘陵地は、いざというときには、天に浮くのだと思います。

 

そして、そのままわたしたちは光の世界に誘われるでしょう。

だから安心してください。何の心配も要らないのです。

ただ、楽しんで、穏やかに毎日感謝して生きていれば良いのです。

無意識の記憶の中と現実に登場する人物はリンクすることがよくありますね。

何となく感じること(答え)があって、後から点で次々と現象が現れ、点と点を繋げると意味がわかることってよくありますね。

そして何となく適当に言った言葉が当たってた!ということもよくありますね。

それはどこからくる記憶なのか不思議な記憶。

 

アカシックレコードとでもいうのでしょうか。

ZEROポイントフィールドとでもいうのでしょうか。

体験したことがあるかたも多くいるのではないでしょうか?

 

 

数年前に放浪中に仲良くなった旅人のポーランド人がうちにしばらく滞在していたことがありました。

 

彼女は世界一周してきて最後に日本に寄るつもりで、アイルランド、フランス、ドイツ、イタリア、ブルガリア、トルコ、ギリシャ、エジプト、アラブ、インド、マレーシア、韓国経由で日本(博多)入りして、福岡で自転車を買って九州一周を放浪し、フェリーで屋久島に行って、もののけ姫の舞台を見て、さらに四国一周し、山陽道に渡り広島から岡山と自転車で旅し、小豆島で農園ボランティアをしていたわたしと出会いました。

 

当時、コロナ禍の緊急事態宣言でどの宿も封鎖、店も休業している殺風景な日本です。

 

彼女はどこにも泊まるところが無くてテント暮らしをしていた。と言い、

どうしても小豆島に行きたくて来たんだと言っていました。

 

わたしもそのときは瀬戸内海にある島を制覇しようと島を転々としていたときに隣の島でコロナ封じに合い、欠航続きで野宿覚悟で居た時に運良く出航するフェリーで小豆島に来ていたのでした。

 

 

わたしは小豆島にこれまでも何度も訪れていて、この農園には毎度お世話になっていて、コロナ封じでどこにも行けないし、泊まるところもないのでこのときもお世話になっていました。

 

「なぜ小豆島に来たかったの?」と訊くと、

「ここはヨーロッパでは有名です」と言っていました。

確かに過去にもヨーロッパの人が多く訪れていました。

 

この農園のおじさんは昔若い頃ヒッピーで各地転々と放浪後、この小豆島の高台のこの位置に農園を作ろうと思いつき、ここに腰を据えたと言います。

 

「何かここに吸い付けられる磁力があるみたいだな」と笑いながらおじさんは言いました。

「さあ、農園で好きな野菜を取って自分たちで調理して食べなさい」というので

 

彼女の名はmadといい、姓はpomegranate ザクロ

 

わたしは個人的にザクロと言えばクババを連想してしまいます。

 

madの国のレシピを教えてもらって一緒に料理をして食べました。

 

毎日、何気ない農園暮らしを楽しんで、毎日食事を一緒に食べて、

 

1週間くらい滞在したある日、

 

「madはボーイフレンドいる?」と訊いてみた。

 

すると、何も言わずにうつむいて涙を流して泣いてしまったので、

 

「帰りたいんだね。我慢しているんだね。どれくらい帰ってないの?」

 

「1年位になる、、、コロナ封じで今飛行機飛んでないから日本一周しようと決めたの」

 

「そっか、今は辛いよね。。。でも帰れるのは間違いないよ!だからせっかく遠くまで来たんだし、日本を楽しもうよ!」

 

そしておすすめのプランを教えた。

 

「姫路城見て、大阪でたこ焼き食べて、京都で着物着て舞妓やって、伊勢神宮行って、熊野古道歩いて、琵琶湖一周して、日本の夏は暑いし蚊が多いから、蚊のいない北海道で過ごすといいよ、舞鶴から北海道行きフェリーに乗って北海道に行ける、北海道からは新潟までフェリーで帰ってきて、新潟から長野までは山越えるけど、越えたところの八ヶ岳まで迎えに行くから一緒に八ヶ岳のヒッピーが創ったエコ村『カナディアンファーム』に行って最後にわたしの家にステイしてゆっくり休んでから成田から帰国ししよう!」と伝え

 

次の日わたしは緊急事態宣言が解除されたので東京に戻った。

 

madは京都や熊野、北海道の写真を次々と送ってくれ

 

2カ月くらいしたころ、

 

「ヒロコ!これからフェリーで新潟に着くよ。用意は良い?」と伝えてきた。

 

「うん、もう少しだね!楽しみにしてるよ!」と伝えた。

 

八ヶ岳まで迎えに行くと、峠を越える最後の力でヘトヘトになって、よろめきながら、わたしの顔を見るや飛びついてきた。

 

「すごい!すごいよ!誰にも出来ないことだよ!日本縦断おめでとう!!」

 

そうしてmadの自転車を積んでカナディアンビレッジに行って、東京に連れて戻り、家族みたいに温かく迎えた。

 

家に外国人が泊まりに来るのは初めてで、子どもたちは文化の違いや肌や目の色の違い色んなことに興味深々で

 

わたしたちはmadの旅物語を聞きながら、夏の終わりを一緒に過ごした。

 

毎日、太陽崇拝をし、ヨガをし、madもVeganなので家族皆で菜食し、夜は公園で打ち上げ花火をした。

 

「ヒロコは何民族?」ととっさに訊かれたので「え?スラヴかな」ととっさに出てきた言葉で答えた。

「おー、わたしと同じ!」とmadは言って、何故そんなこと聞くのかな?と一瞬思ったけど、何故かそのときは深くは聞かないでおこうと思ったのです。

 

 

そして今、何故あのとき「スラヴ」ととっさに言葉が出てきたのか疑問に思ったのでスラヴについて調べてみました。

Slaveは英語で奴隷という意味です。

Slaveの語源にはSlav(中世ヨーロッパで奴隷になった人達)というところから来ていて

 

中世ヨーロッパで奴隷になっていたポーランド、チェコ、スロバキア、ウクライナ、ロシア、クロアチア、セルビア、北マケドニア、ブルガリアの人たちを指す言葉なのだそうです。

スロベニアもスロバキアもスラヴ民族の地という意味だそうです。

 

わたしがよく無意識状態のときに話している言葉を何となくチェコ語のような気がする!と感じるのも、幼いころから見てた絵本や映画がチェコ作なのも

わたしがポーランド人に見えるというお客さんに出会ったのも

眠っているわたしの周りを金髪の白人女性がぐるぐる回っていたことも

 

ぜんぶヒントで

 

すべて今、あらためて整理するための『点』であったのです。

 

 

その時の残像なのか何かわかりませんが、時々、一瞬、切れ切れのフィルムのように、

石畳の街を行く荷馬車の音が聞こえる、行き交う人々、市場でしょうか

浮かび上がる中世のヨーロッパっぽい風景。

寒そうな空の寒そうな港にたくさんの人達が群がっていて船の出航を待っている。

高い塔の小さな窓から外を見下ろす。

そのような光景が見えることがあるのです。

 

わたしはずっと温かい南の島の楽園を探していました。

でも、なぜか、どうやら、寒いところを彷徨い生きてきたような記憶もあるのです。

その記憶が何か今に大事なことを訴えているようにも思える。

 

 

これは誰の記憶だろう。

 

ポーランド人、わたしの出身地である福岡から日本上陸。

 

madはdesignerで絵を描くことが好きですが、わたしも過去designerで絵を描くことが好きでした。

 

madはわたしの過去なのか。

 

わたしの人生はこれまで放浪する人生でした。

 

各地で出会った人もたくさんいます。

 

殆どの人が一度限りの面会なのに、何か深いつながりがあるような感じがして、どこかで会ったような感じがして、知ってる感じがして、懐かしい感じがして、、、

 

なんだろう。この感覚。

 

日本だけではなく、海外でも出会う。

 

どうしてわたしはこうも放浪し続け、彷徨い続けるのか。

 

彷徨い続ける理由があるのだろう。

 

「だから、ヒッピーなんだ」なにかがわかったような気がする。

 

 

 

ずっと何かを探している。

 

何を探しているのだろう。

 

わからない。わかりそうで、わからない。

 

わたしは何者で、何をしに来たのだろう。

 

東京が嫌いなのに東京に毎回戻らされることになるのも

 

ここにこうしてある、わたしが無意識に描いたパースを元に造られた家も

 

周りと波長が合わずに、つながりを感じる人もいなくて孤独感があって「ここから出たい出たい」と思いながら、

 

育児の為にここにいなくちゃいけないのも

 

我慢することで、こうして探求するきっかけとなっているし

 

何か大事なことをわかる必要があるから、あえてこのような本当の仲間とは切り離されたところにいるのだろう。

 

天は「ご縁の深い人を敢えて切り離す」

 

それぞれの学びの為に。

 

地球は『知求』であり、心の奥底から本気で「知りたい」と求めるようになるために、不都合な現実の中で生かされているのだ。

 

「知りたい」という欲求が本気で湧き上がった時に、人は行動を起こす。

 

そのとき、求め、彷徨い、何かを探すだろう。

 

出会う人も、とっさにでてきた言葉も、行く場所も

 

ぜんぶヒントで

 

出会う人すべてがそれぞれの点の鍵を持っている。

 

その鍵(ヒント)を点と点をつなぎ合わせばいづれ見えてくる。

 

探しているものが。

 

散り散りにさせられた遠い記憶。魂の家族。自分自身。

 

そういう経験をさせられる人は『本物』で、数少ない。

 

数少ないから彷徨う必要があるのだ。

 

数多い偽物から数少ない『本物』を求める。

 

この世はそういうゲームなのかもしれない。

 

わたしは本物を探し続ける。

 

 

「わたしは何者か。

 

何をしに生まれてきたのか。

 

そしてどこへ向かうのか。」

 

 

 

それははじめから決められていること

見えて見えず、知って知れず

 

 

わたしはこれまで思いつくまま行動してきた自由人であったが、今年、九星気学上の厄年にあたり身動きができない状態らしいので、この一年は探求の年にしようと思う。

 

これまでのわたしは占いに左右されるタイプではなかった、

ゆるふわ非現実なスピ系も好きではないし、

人生、困難があっても、主人公には付き物だからと、

それを面白がって踏みつぶして、跳ね飛ばして、無視してガンガン歩いていた。

目の前に道が無くても、行き止まりでも

「あっそ!そう来るなら、あたらしく道造ればいいし!」と思っていたし、

我が道は切り開いて歩く

自己への妙な自信があった。

そうすると大抵、事故に遭ったり、大怪我をしたりで、あの世を3度ほど経験した。

 

単細胞でタフなのでこれまで振り返ることをしたことがなかった。

 

今年はこのように身動きが出来ないし、年末年始にあの世(光の世界)を体験したので、

 

ようやく、我が身を振り返ることをして、重大な落ち度に気が付いた。

 

方位を全然気にしてなかった。

 

そして、9年に一度来る九星上の厄年も気にしてなかった。

 

そのため、方位違いを起こしたとき、厄年には必ず事故や封鎖、大怪我をする出来事が起きていた。

 

色々探求していくと、九星気学は面白いほど当たっている。

 

占いの力も侮れない。とはじめて思った。

 

ということで、これ以上大怪我をしないために、今年から九星気学に忠実に生きようと思ったのである。

 

でも、これまで不遇な場面でも奇跡的に救われてきたわたしのなかには、なんだかわからないけど、ゆるぎない自信があって、「どうせこの世はわたし劇場で、わたしが主役なのよ」と考えてたし、これまで事故に遭っても大怪我しても助けられてきたことも「わたしは死なないんだから」と自身の破天荒な生き方を肯定してきた。

 

でも同時に、これまでは奇跡的に神が生き返らせてくれたんだ。「これがラストかもしれない。」という思いもある。

 

というのも、今回の死を目の当たりにして「天使がお迎えに来た」のを見たからである。

 

天使の姿は、まったく光そのもので、言葉に言い表せない極上の安心感があり、見たら誰もが感動して涙を流すだろう。

 

わたしのなかにこの世に対して諦めがあったなら簡単に天使に導かれてあの世に行っていたと思う。

 

わたしも一瞬で天使に魅かれて、一緒に溶け込んで光の世界に行ってしまいたい衝動にかられた。

 

天使はわたしを優しく包んで「これが最後だよ。この世で、し残したことはない?」と光の信号でわたしの脊髄に言葉を送ってきた。

 

わたしはこの世のことを思うと、とっさに涙が出てきて

 

「お家を綺麗に掃除して、子どもたちにご飯を作ってあげたい」

 

それが死ぬ前の心の底から湧き上がる切なる願いだった。

 

天使は「うん。それじゃ、それをやったらいいよ。いつだって迎えに来るから、気の済むまで充分にやったらいい」

と信号で伝えてきて、気付いたら鳥の声で起きるいつもの朝だった。

 

しばらくして、主人の父が亡くなったから追悼式に来てくれないかと連絡があり、東京に戻ることになった。

そして、主人は単身赴任になるから家と子供を任せたといってこの家を去っていった。

 

今、毎日「家の掃除が出来て、子どもたちにご飯が作れている。」

 

願いが叶っている。

 

天使が願いを叶えてくれた。

 

小さな幸せだけど、わたしにとってはとても大きな願望だった。

 

不遇な家庭環境に生まれ、本当の家族のありかたがわからないまま育ったわたしの本当に学ぶべきもの、本当に大切にするべきもの

 

それが『家族』であり、『安心できる居場所』だった。

 

そして、わたしが8歳の時に既に会っていた「わたしの子どもたちとこの家」が、ここにある。

 

 

 

すでに与えられていたのである。

 

すべては神のシナリオ通りの設定だった。

 

ここにこうして在るために、すべての出会いがあり、すべての出来事があったのだ、と、

 

今、本当に、心から、すべてに感謝できる。

 

 

 

 

でも、怪我を怖がって動かないなんて、何となく自分らしくない。

 

だから、この動けない時期に思いっきり探求しようと決めた。

 

すべては自分の中にあるとわかったのだから。

 

あくせく外に出かける必要はもうない。

 

せっかく、他と全く違う自己なのだから、

そうしてこれまで歩んできた人生で感じた不可識な出来事と実体験を踏まえて

私的の新しい見識を唱え、すべての根源に紐づくルートを見つける

ZERO philosopher を創生し、

誰も発見できなかった未知を体験の中での学びから多方面で解釈する哲学者になろうと思いついた。

 

わたしは生まれながら独立心が旺盛で、誰かの真似をすることも、真似されるもの不快に感じる性質なので

まったくのOriginal identity,感性を独自で育ててきた。

 

批判ではないが宇宙の一観察者として思う。

 

皆が誰かを真似て同じことをするこの個性のない日本人の集団を気持ち悪いと思う。

 

そもそも価値観や考え、将来の方向性の違う者同士が同じ学び舎に通う必要があるのだろうか。

 

有能な人の足を引っ張り、妬んだり、羨んだり、つるんだり、他と違うことでいじめたり、陰湿な嫌がらせとか

 

そんなことして何が良いのか全く理解が出来なかったし、

 

何故、学校に行くのか。何故、就職するのか。子どもの頃から社会というものの意味が本当にわからなかった。

 

わたしはわからないことを理解しようと探求することは得意なのだが、

 

そこには、理解しようという考えには及ばない、ある決定的な意図を読み取っていたからである。

 

それは、この社会が「奴隷製造システム」だということ。

 

まったくの独立した価値観を持つわたしは

Majorityの中で孤立して、誰にもわかってもらえずに天涯孤独かもしれない

 

それでも、この世に誰かがわたしをわかってくれると信じている。

 

 

 

「この世は勝者の歴史で成り立っている。」

 

と、言われているが、それもなんだか気持ち悪いこと。

 

強いものが弱いものを征して気持ち良い物語なんてない。

また、その逆も然り。

 

そもそも、宇宙には強者も弱者も存在しないのだから。

 

やはり、「征する」ということ自体が気持ち悪いことのように思える。

 

なぜ征するしかないのだろうか。

 

互いに違う意識を持つ相手を自分の意のままにコントロールするために競い、戦い、従わない者は排除し、反発や報復を恐れて

 

無理やり蓋をしたのである。

 

わたしは今や何も話すことのできない闇に葬られた者の主張を理解したいし、時代の中で排除されてきた人たちの誤解の縄を解いて、理解したいと思ってしまう。


紐解けば必ず根本が見つかるはず。根本そこを癒さないと子供たちの代までこの連鎖は根絶しない。

 

理解したい。

 

すべて。

 

知ったところで今は何もできないかもしれない。

 

でも、知って、理解して、今、それをそのときの「逆」に動けば間違いなく世界は変えられる。

 隼人の縦が表すものは逆回転の起動力image

 

 

ひとりがやれば皆がやる日本人の得意性質で、それを良い方向へ動かす起動力に使うことができるのだ。

 

良い世界を創造するムーブメントを起こすことが出来る。

 

複雑な世の中にいて目の前に起きる小さな違和感にも気づけない人が多いかもしれない。

 

気付いてるはずなのに、無関心でいることの楽さを覚えて堕落してしまったのかもしれない。

 

 

 Look! Feel ! emotion, experience, performance, creative,,,

 

 

人間として生を受け、人間を体感させられ、人間を考え、人間を思い、人間を愛し、人間を懐かしむ

 

これはこの世でしかできない学びであり、

 

これがこの世に送り出された本当の意味であるということ。

 

そういうことがパノラマ視現象で体験したわたしとこの世の物語で、

 

この世に落とされるとき聞いたはじめの言葉の通り、わたしはただ観てきた。

 

それでいいのだ。満足だ。

 

実はもう、わたしはこの世に居ないのかもしれない。あの世からこれを記しているのかもしれない。

 

 

これを誰か見てくれているのだろうか、わからない。

 

 

結局わたしがこの世で懸命に伝えてきたことは「奴隷になるな!」ということだけで

 

 

なぜこの時代にこれを伝えに来たのかはわからない。

 

 

 

 

 

せっかくこの世に生を受け、この世を任せられたのだから。

 

あなたは創造者だということを思い出さないか

そもそも政治というものはおかしい人がやるものなのだから、まともな人はそこに関わらなくていいのだ。

 

はじめはまともに見えるかもしれないが、どんどんおかしくなっていくだろう。過去の政治家見てたらわかるだろう?

 

人というのは中身が変わるんだ。何者かにウォークインされてる。

 

世の中の人というのは、ほとんどそういうものだと思っていい。

 

選挙に行く意味なんかない。

 

どうせ多数決で決まるし、裏でいくらでも偽装できるのだから。

 

無意味な社会だよ。社会というものは。

 

だから無意味な人の集まりに関わろうとしなくていい。

 

君が自ら無意味になる必要はないのだよ。

 

君自体が有意義な存在なのだから。

 

だから、誰かを選ばなくていいんだ。

 

政治家を選ぶこと自体、そういうのは他力本願というものだ。

 

そうして問題があった時に政治家に責任を擦り付けること自体、無責任だと思わないか。

 

その人に社会を背負う責任を持たせる必要はない。他力本願で居ては幸せは永遠にこない。

 

選んだ人は君ではないから、君の意思を持っていない。

 

だから、他人を選んだって、君が求める未来にはならないんだよ。

 

他人を選ぶ意味はない。

 

他人は自分ではないんだよ。

 

わたしはわたしの意思でコントロールできるが、その人はコントロール不可能な異性質な人格なのだよ。

 

だから、わたしは他人を選ばない。いつだって自分を選んでるし、信じられるのは自分だけだから。

 

同じく、自分だけを信じている人達とわたしは繋がりたいね。

 

それが本物だと思うから。

 

本物は△ではない。〇なんだ。

 

ひとつひとつ自立し独立した〇で、それが拡張して大きくもなるし小さくもなる。

 

どうしたっていつも〇なんだよ。

 

その意味がわかるかい?

 

さてこの世に本物はいくらくらいいるのだろうかね。

 

 

 

 

 

結構なお湿りですね。。。

稲城の湿度は73%

 

沖縄は98%

 

もはや地上じゃないよね、もう海中ですやん。

 

雨が多いところって霊的だと思うんです。何となく、体感して思うことです。

 

沖縄に行くと、自分の思いが具現化するスピードが速いんですね。ていうか、思いより先に現実が用意されている感じです。

潜在意識で自分でも意識してなかったことが、もう現実に用意されているようなことがよく起こります。

 

これって何でしょうね。

 

だから、湿気(水)って、意識を持っていて(電磁波を生み出していて)人体のエネルギー(意識)を覆い、人のすべてのエネルギー(顕在意識も潜在意識も)を包み込み、わたしたちの意識によって自由自在思い通りに創り出され生み出されるのではないかなと考えたのです。

 

はっきりとしたメカニズムはまだこの世にはないのかもしれませんが、わたしは実体験でそう思いました。

 

 

 

わたしは沖縄の明るい人達といいかげんな気質が好きで、沖縄の人もわたしのことが好きで、住まいを与えてくれたり、食べ物を与えてくれたりして、ここに居たらいいよ、と言って皆親切にしてくれますが、

 

湿気が嫌いなので、

 

沖縄には4月と10、11月しか居られないなーと思いました。

 

7,8は暑いでしょ、9月は台風多いでしょ。12月からは曇り空で、5月から7月初めまでは梅雨、だからです。

 

私的には一年で3か月しか住めません。

 

冬温かく、夏涼しい、雨少なくて、晴れの日が多いところ探してます。

 

岡山は晴れの日が多いと言いますが、実際住んでみると夏めちゃめちゃ暑くて、冬東京より寒いです。

 

晴れの度合いは気持ちいわけではなくて、車社会なので、乾燥している反面、空気が悪いです。

 

長野は空気綺麗ですが、冬寒くて夏しか住めません。

 

いろんなところに住んでみましたが、

 

日本で一年中安定して住めるところがあったらいいなと思いますが、まだ見つけられていません。

 

雨だと出かける気にもなれないし、ずっとお家にいます。

 

だから得意の意識トリップで

 

理想の気候を生み出すことにしました。

 

 

 

外は雨が降っています。

 

よくみると、そこに三人の女神が立っていて、それぞれ太陽です。

 

頭からハートと子宮に太陽の粒が降りていて、

 

女神たちは太陽を生み出していました。

 

生み出された太陽は下から上へ登っていって、空気中にたくさん放出されていました。

 

 
ホトオミ、ヒメミコ、ナハノミという女神です
 
女神たちは雨の中に現れ、自ら太陽を生んで創り出してくれました。
 
気分が良くなって嬉しくなったので
 
「ありがとう」
 
と伝えました。
 
女神たちはゆらゆらと揺らぎ、融合して雨の露になりました。
 
 
 
よく見てみてください。
 
それはただの雨ではありません。
 
水は意識を持っていて、生命体なのです。
 
ただ、無意味に降っているだけではなく、
 
意識を伝達するために降り立って来ているのです。
 
それは受け取る側の意識でどのようにも変容するでしょうし、どのようにも見えるかもしれません。
 
それを楽しんでみませんか?
 
どんな意識を伝達してくれているのか。
 
受け取ってみませんか?