無意識の記憶の中と現実に登場する人物はリンクすることがよくありますね。
何となく感じること(答え)があって、後から点で次々と現象が現れ、点と点を繋げると意味がわかることってよくありますね。
そして何となく適当に言った言葉が当たってた!ということもよくありますね。
それはどこからくる記憶なのか不思議な記憶。
アカシックレコードとでもいうのでしょうか。
ZEROポイントフィールドとでもいうのでしょうか。
体験したことがあるかたも多くいるのではないでしょうか?
数年前に放浪中に仲良くなった旅人のポーランド人がうちにしばらく滞在していたことがありました。
彼女は世界一周してきて最後に日本に寄るつもりで、アイルランド、フランス、ドイツ、イタリア、ブルガリア、トルコ、ギリシャ、エジプト、アラブ、インド、マレーシア、韓国経由で日本(博多)入りして、福岡で自転車を買って九州一周を放浪し、フェリーで屋久島に行って、もののけ姫の舞台を見て、さらに四国一周し、山陽道に渡り広島から岡山と自転車で旅し、小豆島で農園ボランティアをしていたわたしと出会いました。
当時、コロナ禍の緊急事態宣言でどの宿も封鎖、店も休業している殺風景な日本です。
彼女はどこにも泊まるところが無くてテント暮らしをしていた。と言い、
どうしても小豆島に行きたくて来たんだと言っていました。
わたしもそのときは瀬戸内海にある島を制覇しようと島を転々としていたときに隣の島でコロナ封じに合い、欠航続きで野宿覚悟で居た時に運良く出航するフェリーで小豆島に来ていたのでした。
わたしは小豆島にこれまでも何度も訪れていて、この農園には毎度お世話になっていて、コロナ封じでどこにも行けないし、泊まるところもないのでこのときもお世話になっていました。
「なぜ小豆島に来たかったの?」と訊くと、
「ここはヨーロッパでは有名です」と言っていました。
確かに過去にもヨーロッパの人が多く訪れていました。
この農園のおじさんは昔若い頃ヒッピーで各地転々と放浪後、この小豆島の高台のこの位置に農園を作ろうと思いつき、ここに腰を据えたと言います。
「何かここに吸い付けられる磁力があるみたいだな」と笑いながらおじさんは言いました。
「さあ、農園で好きな野菜を取って自分たちで調理して食べなさい」というので
彼女の名はmadといい、姓はpomegranate ザクロ
わたしは個人的にザクロと言えばクババを連想してしまいます。
madの国のレシピを教えてもらって一緒に料理をして食べました。
毎日、何気ない農園暮らしを楽しんで、毎日食事を一緒に食べて、
1週間くらい滞在したある日、
「madはボーイフレンドいる?」と訊いてみた。
すると、何も言わずにうつむいて涙を流して泣いてしまったので、
「帰りたいんだね。我慢しているんだね。どれくらい帰ってないの?」
「1年位になる、、、コロナ封じで今飛行機飛んでないから日本一周しようと決めたの」
「そっか、今は辛いよね。。。でも帰れるのは間違いないよ!だからせっかく遠くまで来たんだし、日本を楽しもうよ!」
そしておすすめのプランを教えた。
「姫路城見て、大阪でたこ焼き食べて、京都で着物着て舞妓やって、伊勢神宮行って、熊野古道歩いて、琵琶湖一周して、日本の夏は暑いし蚊が多いから、蚊のいない北海道で過ごすといいよ、舞鶴から北海道行きフェリーに乗って北海道に行ける、北海道からは新潟までフェリーで帰ってきて、新潟から長野までは山越えるけど、越えたところの八ヶ岳まで迎えに行くから一緒に八ヶ岳のヒッピーが創ったエコ村『カナディアンファーム』に行って最後にわたしの家にステイしてゆっくり休んでから成田から帰国ししよう!」と伝え
次の日わたしは緊急事態宣言が解除されたので東京に戻った。
madは京都や熊野、北海道の写真を次々と送ってくれ
2カ月くらいしたころ、
「ヒロコ!これからフェリーで新潟に着くよ。用意は良い?」と伝えてきた。
「うん、もう少しだね!楽しみにしてるよ!」と伝えた。
八ヶ岳まで迎えに行くと、峠を越える最後の力でヘトヘトになって、よろめきながら、わたしの顔を見るや飛びついてきた。
「すごい!すごいよ!誰にも出来ないことだよ!日本縦断おめでとう!!」
そうしてmadの自転車を積んでカナディアンビレッジに行って、東京に連れて戻り、家族みたいに温かく迎えた。
家に外国人が泊まりに来るのは初めてで、子どもたちは文化の違いや肌や目の色の違い色んなことに興味深々で
わたしたちはmadの旅物語を聞きながら、夏の終わりを一緒に過ごした。
毎日、太陽崇拝をし、ヨガをし、madもVeganなので家族皆で菜食し、夜は公園で打ち上げ花火をした。
「ヒロコは何民族?」ととっさに訊かれたので「え?スラヴかな」ととっさに出てきた言葉で答えた。
「おー、わたしと同じ!」とmadは言って、何故そんなこと聞くのかな?と一瞬思ったけど、何故かそのときは深くは聞かないでおこうと思ったのです。
そして今、何故あのとき「スラヴ」ととっさに言葉が出てきたのか疑問に思ったのでスラヴについて調べてみました。
Slaveは英語で奴隷という意味です。
Slaveの語源にはSlav(中世ヨーロッパで奴隷になった人達)というところから来ていて
中世ヨーロッパで奴隷になっていたポーランド、チェコ、スロバキア、ウクライナ、ロシア、クロアチア、セルビア、北マケドニア、ブルガリアの人たちを指す言葉なのだそうです。
スロベニアもスロバキアもスラヴ民族の地という意味だそうです。
わたしがよく無意識状態のときに話している言葉を何となくチェコ語のような気がする!と感じるのも、幼いころから見てた絵本や映画がチェコ作なのも
わたしがポーランド人に見えるというお客さんに出会ったのも
眠っているわたしの周りを金髪の白人女性がぐるぐる回っていたことも
ぜんぶヒントで
すべて今、あらためて整理するための『点』であったのです。
その時の残像なのか何かわかりませんが、時々、一瞬、切れ切れのフィルムのように、
石畳の街を行く荷馬車の音が聞こえる、行き交う人々、市場でしょうか
浮かび上がる中世のヨーロッパっぽい風景。
寒そうな空の寒そうな港にたくさんの人達が群がっていて船の出航を待っている。
高い塔の小さな窓から外を見下ろす。
そのような光景が見えることがあるのです。
わたしはずっと温かい南の島の楽園を探していました。
でも、なぜか、どうやら、寒いところを彷徨い生きてきたような記憶もあるのです。
その記憶が何か今に大事なことを訴えているようにも思える。
これは誰の記憶だろう。
ポーランド人、わたしの出身地である福岡から日本上陸。
madはdesignerで絵を描くことが好きですが、わたしも過去designerで絵を描くことが好きでした。
madはわたしの過去なのか。
わたしの人生はこれまで放浪する人生でした。
各地で出会った人もたくさんいます。
殆どの人が一度限りの面会なのに、何か深いつながりがあるような感じがして、どこかで会ったような感じがして、知ってる感じがして、懐かしい感じがして、、、
なんだろう。この感覚。
日本だけではなく、海外でも出会う。
どうしてわたしはこうも放浪し続け、彷徨い続けるのか。
彷徨い続ける理由があるのだろう。
「だから、ヒッピーなんだ」なにかがわかったような気がする。
ずっと何かを探している。
何を探しているのだろう。
わからない。わかりそうで、わからない。
わたしは何者で、何をしに来たのだろう。
東京が嫌いなのに東京に毎回戻らされることになるのも
ここにこうしてある、わたしが無意識に描いたパースを元に造られた家も
周りと波長が合わずに、つながりを感じる人もいなくて孤独感があって「ここから出たい出たい」と思いながら、
育児の為にここにいなくちゃいけないのも
我慢することで、こうして探求するきっかけとなっているし
何か大事なことをわかる必要があるから、あえてこのような本当の仲間とは切り離されたところにいるのだろう。
天は「ご縁の深い人を敢えて切り離す」
それぞれの学びの為に。
地球は『知求』であり、心の奥底から本気で「知りたい」と求めるようになるために、不都合な現実の中で生かされているのだ。
「知りたい」という欲求が本気で湧き上がった時に、人は行動を起こす。
そのとき、求め、彷徨い、何かを探すだろう。
出会う人も、とっさにでてきた言葉も、行く場所も
ぜんぶヒントで
出会う人すべてがそれぞれの点の鍵を持っている。
その鍵(ヒント)を点と点をつなぎ合わせばいづれ見えてくる。
探しているものが。
散り散りにさせられた遠い記憶。魂の家族。自分自身。
そういう経験をさせられる人は『本物』で、数少ない。
数少ないから彷徨う必要があるのだ。
数多い偽物から数少ない『本物』を求める。
この世はそういうゲームなのかもしれない。
わたしは本物を探し続ける。
「わたしは何者か。
何をしに生まれてきたのか。
そしてどこへ向かうのか。」
それははじめから決められていること
見えて見えず、知って知れず