八月も折り返し、ご近所のお子さんたちが
朝から元気に駆けずり回る姿を見るのも残り半分だなぁ、と。
みんみん、となく声と、ジー、となく声に目をさましつつ。
トンボをちらほら見かけるこの時期。
小さい頃に、よく両親の実家である福島にいったり
船橋のいとこにつれられ、田んぼがあったあぜみちのなかで
ホタルを捕まえたりしたのが懐かしく思えます。
いまの子供たちとは見る景色も違うのは当たり前でしょうが、
子供ならではの、なんでもないことがキラキラしていた気がします。
こんなふうに感じられるのも、
いま、わたしがここにいて。
生きているから。
本日8月15日は、奇しくも終戦記念日。
生まれたことも、生きていることにも意味があるのだろうかと考えさせられます。
その前に生んで育ててくれた両親、
顔も知りませんが、福島の両祖父母がいてくれて。
さらにその前の、、、と世代を遡る。
ごく当たり前ですが、当たり前ではないのかもしれない数々の出来事の
連続がいま、ここにあるってことかなぁ、と。
この世に生まれてこれたことに感謝。
ありがとう、と。
そう伝えたいです。
朝から元気に駆けずり回る姿を見るのも残り半分だなぁ、と。
みんみん、となく声と、ジー、となく声に目をさましつつ。
トンボをちらほら見かけるこの時期。
小さい頃に、よく両親の実家である福島にいったり
船橋のいとこにつれられ、田んぼがあったあぜみちのなかで
ホタルを捕まえたりしたのが懐かしく思えます。
いまの子供たちとは見る景色も違うのは当たり前でしょうが、
子供ならではの、なんでもないことがキラキラしていた気がします。
こんなふうに感じられるのも、
いま、わたしがここにいて。
生きているから。
本日8月15日は、奇しくも終戦記念日。
生まれたことも、生きていることにも意味があるのだろうかと考えさせられます。
その前に生んで育ててくれた両親、
顔も知りませんが、福島の両祖父母がいてくれて。
さらにその前の、、、と世代を遡る。
ごく当たり前ですが、当たり前ではないのかもしれない数々の出来事の
連続がいま、ここにあるってことかなぁ、と。
この世に生まれてこれたことに感謝。
ありがとう、と。
そう伝えたいです。