こんにちは!

「男のストレスをアロマで癒す専門家」
アンスリールの星野知子です。

香りの歴史【日本・平安時代編】
です。

【飛鳥~奈良編】で
ご紹介しましたが

コチラ

日本の
香りの文化は 

「仏教の儀礼」=「供香」
という形で広まりました。

しかし
奈良時代の終わりから
平安時代の初めの頃には

「空薫物」(そらだきもの)
「薫衣香」(くのえこう)
として

仏教とは関係なく
「趣」(おもむき)
「楽しみ事」のひとつとして

日本独特の
優雅な香りの文化が発展しました。

平安時代
貴族たちの間では
香を焚くのが

「日常」となったのです。

「空薫物」(そらだきもの) とは

沈香木や白檀などを
部屋に炊き込めて客を迎えたり
自分達がリラックスするために
使うことをいいます。

この様子は
枕草子に
「心ときめきするもの」として
「よき薫物たきて

ひとり臥したる」
と描かれています。



写真出典

「裛衣香」(えびこう)

消臭剤、防虫・抗菌剤のような
用途で使うことをいい

正倉院の宝物のなかに
今日の匂い袋の原型である
「裛衣香」(えびこう)
が残っています。



写真出典

裛衣香=匂い袋の原型
は、常温で香る天然香料を刻み
調合して袋に詰めたものです。

着物姿でちょっと出掛ける時に
帯に挟んだり
また衣装箪笥に入れて
移り香を楽しんだそうです。

また
「掛香」(かけこう)と呼ばれる
壁や柱に吊るして楽しむ匂い袋
もありました。

白壇や龍脳(りゅうのう)

丁子(ちょうじ)
などの天然香料には
防虫効果があり


これらが配合された匂い袋は
香りやお守り替わり
としてだけでなく

袈裟(けさ)や僧衣(そうい)
衣類などの
虫除けとして使っていたのです。

お香を使った
「伏籠」(ふせご)
という方法で
衣服に香りをつけることを

「薫衣香」(くのえこう)
といいます。


写真出典

平安貴族たちは
かごの中の香炉で
独自に作った
「練香」(ねりこう)を焚き

その上に着物を被せて
自分の着物に
香りをうつしていたのです。

「練香」(ねりこう)とは
様々な香料を粉末にして
練り合わせたお香で

その処方を伝えたのは
高僧・鑑真和上だったと
いわれています。

中国では6世紀頃より
薬として練った丸薬が
製作されていました。

そうしたものがやがて
原料の酷似した練香へと
発展していったのかもしれません。

「練香」は
鉄臼などで丁寧に粉末にした

沈香・薫陸・安息香・白檀・丁香
甘松香・甲香・麝香
などの材料を
ふるいにかけて調合し

甘葛や梅肉などを加えて
練り合わせ

丸薬状に丸くまるめて器に入れ
さらに地中に埋めて
熟成させてつくる
少々湿り気を帯びたお香です。

当時
庶民は蒸し風呂に
はいっていたそうですが

貴族はそれにも
ほとんどはいらなかったそうです。

というのが
当時の貴族たちは

生活のほとんどが
占いによる吉兆によって
決められていたからだそうです。

お風呂に関しても
縁起が良いとされる日でなければ
入らなかったのです。

もしも悪い日取りに
入浴してしまうと

洗った部分から
悪霊や邪気が入ってしまい
体調を崩したり命の危険性がある
と考えられていたからです。

ですので
体臭は
かなり臭っていたそうです。

ですので
自分の体臭を隠すためにも
香りを纏っていたようです。

自分の着物に
良い香りを焚き込めることは

当時の平安貴族の間の
エチケットだったのです。

そんな風に
香りを焚きこめた着物を
着て歩くと

その後を追うように
ほのかに
香りが漂います。

このことを
雅(みやび)な言葉では

「追風用意」(おいかぜようい)
と表現していました。


「空薫物」(そらだきもの)
「薫衣香」(くのえこう)
 
はその人物や家によって
香料をオリジナルの配合で
調合し「香り」を作っていたので

その香りによって
身分の高低や人物を
判断していたのです。

また当時は
現代のように
電気がない時代でした。
 
ですから
夜は月と星とロウソクの明かり
だけが頼りの
暗黒の世界でした。

そんな闇夜で
自分の存在を示す唯一の道具が
この「練香」だったのです。

平安貴族たちは
明りひとつない闇夜の中

相手を識別するとき
視覚よりも
嗅覚に頼っていたのです。

当時は現代のように
“結婚した男女が同居する”
という習慣はありませんでした。

夫が妻の家へ通う
いわゆる「通い婚」という
形式が普通でした。

明りひとつない闇夜の中
逢瀬を重ねる夫の存在を
着物に焚きこめた
「練香」によって
判断していたそうです。

また、逢瀬を重ねるのは
結婚した夫婦だけではなく
(今流行りのあれですね。)

闇夜の中
密かに男女が逢うときも

香りによって
相手が誰かを判断したそうです。

当時の恋愛は
かなり
自由なスタイルだったようですね。

これは「源氏物語」の中でも
幾度もその場面が出てきます。



写真出典

空蝉の段では

しのんできた
源氏の薫衣香が風に流れ
空蝉はそれによって源氏だと知り
源氏に会わない様に
自分の寝所を離れる・・・

というシーンがそれです。

香りだけで相手を判断、、、

昔の女性は
結構大胆だったんですね。

鼻が悪くて
相手を間違えてしまった!

とかは
なかったんでしょうかね。


平安貴族たちの間では
「薫物合」(たきものあわせ)
といって

“各自が
季節の様々な事象などを
オリジナルの「練香」を作っては
その技術や香りの優劣を
競い合う遊び“

も流行っていたそうです。

平安貴族たちは
基本となる調合方法をもとに
香料を微調整しながら

自分オリジナルの
「練香」を作ることに
かなりの情熱を
注いでいたようです。

「香り」は
平安貴族たちの
○知性や感性やセンスを表現するツール
○自己の美意識を表現するツール

として発展していったのです。

また
「貴重な香料を入手できる身分」
を示す
“ステイタスシンボル“
でもありました。

このように創作されてきた
薫物の中から

優れたものは
後世に引き継がれていき
どんどん洗練されていきました。

その代表格が
「六種の薫物(むくさのたきもの)」
と呼ばれるものです。

六種の薫物は

「梅花(ばいか)」
「荷葉(かよう)」
「侍従(じじゅう)」
「菊花(きっか)」
「落葉(らくよう)」
「黒方(くろぼう)」
 
の六種類の香りです。

鎌倉時代末期に
記されたとされる

香道の起源・香趣を説いた
伝書である
「後伏見院宸翰薫物方
(ごふしみいんしんかんたきものほう)」
などで
それらを春夏秋冬になぞらえて
香りの説明が書かれています。

「梅花」 春
むめの花の香に似たり
=梅の花のような香り

「荷葉」 夏
はすの花の香に通へり
=蓮の花を思わせる香り

「侍従」 秋
秋風蕭颯たる夕
心にくきおりふしものあはれにて
むかし覚ゆる匂によそへたり
=ものの憐れさを思わせる香り

「菊花」秋・冬
きくのはなむらうつろふ色
露にかほり
水にうつす香にことならず
=菊の花のような香り

「落葉」秋・冬
もみぢ散頃ほに出てまねくなる
すすきのよそほひも覚ゆなり
=葉の散る哀れさを思わせる香り

「黒方」 冬・祝い事
ふかくさえたるに
あさからぬ気をふくめるにより
四季にわたりて身にしむ色の
なつかしき匂ひかねたり
=深く懐かしい、落ち着いた香り

※上記のようにあるものの
伝書によっては
「侍従」と「黒方」について
季節を問わないとされていたり
それぞれの薫物に対応する季節が
若干異なっていたりします。

平安時代末期の「薫集類抄」や
室町時代初期の「むくさのたね」
といった香の伝書には
これらの六種の薫物のレシピが
掲載されています。

しかし
同じ「黒方」の
レシピ一つとっても
その調合方法や
香料の種類、分量は
作り手によって微妙に違うのです。

また
レシピどおりに
薫物を作ったとしても

香料の産地や収得時期
調合時の微妙なさじ加減や手順
などによって

薫物の香りは変わってしまうので
完全に同じ香りの再現は
難しいと考えられます。

アロマテラピーでもそうです。
精油も産地や収穫時期で
香りは変わります。

天然のものなので
しょうがないのです。

この
「六種の薫物(むくさのたきもの)」は

「源氏物語」の「梅枝の巻」にも
源氏の娘である“明石の姫君”が

入内する際に持参させる
薫物の調合を競う
“薫物合わせ”のお話

として描かれています。


他にも
扇子に香りをうつして
扇ぐたびに
独特の香りが漂うようにするなど

平安時代には

平安貴族を中心に
「趣」(おもむき)として
「楽しみ事」のひとつとして
日本独特の
優雅な香りの文化が発展しました。


また現代では
「お花見」というと
桜が一般ですが

平安時代では
香りの高い
「梅の花見」が
一般だったのだそうです。

古来から
梅の香りを詠った和歌が
非常にたくさんあります。

実は
日本人は
香りに対して
かなり意識が高かったんですね!


平安の末期に
奥州(現在の東北地方)の王者
藤原氏が
平泉に伽羅御所
(きゃらのごしょ)
という建物を建てました。

文字通り
建物全体から「伽羅」という
香木の香りを放っていたそうです。

沈香の中で
特に質の良いものが
「伽羅」(きゃら)と呼ばれます。

沈香については→コチラ

「沈香」は
サンスクリット語(梵語)で
aguru(アグル)
またはagaru(アガル)
と言い

油分が多く色の濃いものを
kālāguru(カーラーグル)

つまり「黒沈香」と呼び
これが「伽羅」の語源とされます。

伽南香、奇南香の別名でも
呼ばれています。

伽羅御所は
現在も
発掘調査が続けられていますが

当時
建物全体が香りを放つほど
伽羅の香りを
焚きこめていたそうです。

これは
相当莫大な量の伽羅を
使用していたと思われます。

元々
「中尊寺の金色堂」
に象徴されるように

当時の奥州は
たいへん豊かだったので
できたことなのです。

この伽羅御所は
まさに
「贅の限り」を
尽くしたものでした。

ちなみに
この「伽羅」

今でも
(その品質にもよりますが)

どんなに安くても
グラム単価4000円を下らない
相場は
グラムが2万円~4万円もする
大変高価なものなんですよ。

次回は
【鎌倉~室町時代編】です。


参照
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★不安とストレスに悩まない7つの習慣
★アロマで女子力アップ
★男性向けアロマでストレスマネジメント
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