2011年の夏に、私が実家に帰省した時、父が先日嘔吐して食欲がなく最近やせてきたと聞いて、病院受診を進めました。
結果まさかのスキルス胃がんとのこと。
スキルス胃がんについて調べると、ほとんど治る見込みのない、現代の医療では難しい病気だと知りました。
祈る思いで挑んだ、胃摘出手術。
腹膜に癌が転移していたら手術が途中で中止だと言われていました。
病室で家族が待つ時間はとても長く、廊下を看護師さんが通る度に、呼びにきたのかと、終始心臓はドキドキしていました。
そして、ついに看護師さんが、先生からお話しがと、呼びにきたのです。
エレベーターで手術室に向かう間の家族の、凍りついた時間。
手術室の前で、先生に腹膜転移を告げられました。
血の気が引き、貧血で座りこんだ私。
手術ができないということは、助からないということ。
この時のショックは言いあらわせないものでした。
その後、開腹による癒着で腸閉塞になりながらも、一ヶ月ほどで退院。
すっかり痩せた体で、標準治療である抗がん剤治療が始まりました。
TS1を経口摂取し、シスプラチンを入院二泊で点滴。休薬期間を二週間する治療が始まりました。
治療といっても、数ヶ月の延命効果があるということで、癌が治る見込みはないということは家族は、わかっていましたが、本人は癌をやっつけて長生きする意気込みで頑張ってくれました。
初めの二週間ほどは副作用で食欲もありませんでしたが、薬が体に慣れると、ほとんど副作用で苦しむことはなく、体力も回復し、驚くほど元気に普通にもどりました。
本当に癌なのかと思うほどでした。
心の中では、この時間もあと少しなんだ。神様がくれた時間なんだと思う気持ちと、まだまだ生きてくれるんだと信じたくない気持ちでした。
しばらく八ヶ月ほど頑張った所で、腎臓にダメージがたまり、水腎症になってしまいました。
尿管ステントを入れたので、薬をかえ、標準治療のセカンドライン。
タキソールの点滴になりました。
この薬は嘔吐で副作用が辛いようでした。髪も二週間ほどでバサバサと一気に脱毛しました。
三クールした所で、嘔吐が続き、どんどん痩せていき検査した所、腹膜播種による腸閉塞とのこと。
手術をしないとイレウス管をいれたまま入院治療になるということで、今後の選択をせまられ、食べることが大好きな父は手術を選びました。
父はまだまだこの先は長いと思っていたからです。家族は父の選択に同意するしかありませんでした。
そして、手術で直腸にステントが入り、閉塞部分を通すバイパス手術をしました。
その後の父は一日10回以上の便意をもよおし、心身ともにぐったりでした。
食欲も思ったように治りませんでした。