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3月に入り、まだまだ空気は冷たいけれど、日差しに春のエネルギーを少しずつ感じる今日この頃。

玄関のクリスマスローズも開花して、彩りを与えてくれていますピンク薔薇


さて、時折ブログにも書いておりますが、私の母は20年以上、心の病を抱えています。

普通の時は、普通の人。
少しの心配が心に引っかかると、それだけで心をすり減らして何ヶ月も寝込んでしまう…。
そんなことを数ヶ月ごとに繰り返しております。それでも、発症して五年間くらいの頃よりは症状は軽くなっています。

昨年の晩秋から、元気を取り戻して、お正月は張り切っておせちやお雑煮を振舞ってくれました。

お正月に帰省した時、いつもはすれ違いで会えない弟も一緒にお膳を囲み、久しぶりにいろいろな話をしました。
誰に似たのか、言葉が乱暴で変わり者の弟は、いつも母に辛く当たります。
そんな弟に対し、オドオドしながら気を遣う母を見て、ハラハラしながらフォローする私。

もう40過ぎた大人なんだから、病気持ちのお母さんに、もっと優しくしてあげてよ!
再発したらどうするの?

と、後で弟に訴えたら

「わかっちゃいるけど、お袋の情けない顔を見ると、なんかムカついて優しくできない」なんて、反抗期の男子みたいな答えショボーン

まったく、大人気ないな~
…なんて、弟に呆れていましたが、帰宅してふと、気づいたのです。

母の精神病が発症したのは私が27歳のころ。結婚して家を出て半年後のことです。
人生が終わるくらいの衝撃でした。
以来、私の人生には常に母の精神病という重荷がともにあります。

でも、今頃気づいた…

発症した時、弟はまだ20歳で実家にいました。今の私の次女と同じ歳。

成人したと言っても、まだまだお子ちゃまです。自分の娘たちを眺めて、今、この瞬間に私が母の様な病気になったら、彼女たちはどれほど混乱するでしょう?

弟は、その経験をしたのです。
男子の母親への感情は、女子のそれとは違うと聞きます。反抗しながらも母親への情はとても深い。

でも、当時は精神分裂病と呼ばれた病に取り憑かれた母親を目の前にして、まだ大学生だった弟の心は、どんなにショックを受けただろうか?  

今の今まで、私は気づくことができませんでした。
就職してすぐに家を出て一人暮らしを始めた弟とは、歳も離れているし、もともと仲が良くなかったし、私は子育て奮闘中でもあり、自然に疎遠になりました。

子育て、夫との関係に悩み、時折おかしくなる母親をケアしながら、私の意識から弟は薄れていったのです。

ここ五年くらい、弟との仲はLINE交換するくらい回復して、今年のお正月は、お互い大人になって初めて?というくらいたくさん話をしました。そこで初めて知る、あの頃の弟の苦労。今の仕事の話。弟なりの人生観…。

弟が母に優しくできない事情。
息子として、母を想う愛情があるからこそ、複雑な心情を抱えてきた弟。

母の病気は、私一人の苦しみではなかった。弟も苦しんできた。
そんな当たり前のことに、今まで気づきませんでした。

人は、うわべの言葉や態度だけでは何もわからない。そんなことはよくわかっているのに、他人どうしなら思い測れる感情も、血が繋がっている近い存在の感情には、気を配れない甘えがあるのかもしれません。

だから、家族間の人間関係って、大切なのに、激しく壊れる危険性を秘めている。

本来は、一番近い存在こそ、一番始めに愛を与えるべきなんですよね。
他人には良い顔して、家族には仏頂面…なんてこと、ありますよね?
でもね、一番の笑顔を向ける相手は、同じお家の中にいるのです。

家族は時に厄介だけど、人は家庭から生まれてくるのだから、大切にし合う心がなければ、もはや人ではなくなってしまう。

そのくらい、大切な人々なんです。
私自身、わかっていたつもりで、全然わかっていなかった。

そこに気づけた2016年のスタート。
きっと今年は素晴らしい年になるおねがい

弟よ!

これからはもっと心を通わせていこうね。

幼い頃にはわからないこと。
分かり合えないと諦めたこと。

それでも、時が満ちれば気づけることは、きっとたくさんあるに違いない。

だから、生きることは素晴らしい音譜
全てが愛です。
感謝ですウインク