武蔵小杉・新丸子:アロマ de ハッピー・ファミリー♪♪・・Aromatherapy Eternal・・・


9月に入っても猛暑が続きますねあせる


梅雨明け早々からこの暑さ・・・ショック!


心身共に疲労困憊・・・という方も少なくないのではないでしょうか?



さて、今夜はちょっとシリアスなテーマです。


少し前になりますが、藤圭子さんの訃報が報道され


最近、娘の宇多田ヒカルさんの手記をテレビでみました。


長い間精神を病んだ母に翻弄された人生でした


という言葉に、『私も同じだな…』と感じました。


母は過去に、2回自殺未遂をしています。


そして、5回の入院・・・。


最初に発症したのは、母が53歳で私が27歳の時でした。


当時、結婚して半年の頃。夫の転勤先である神戸に住んでいた時


めずらしく父から電話がかかってきて、「お母さんの様子がおかしい」


と言うので、母にかわってもらうと、母の口から出た言葉は


「もうすぐ借金取りが来て、ガスも電気も全部止められるの。


もう、お母さんは逮捕されるから、あなたも離婚しなければならない。


だから子どもなんか作らないでね」


新婚半年の娘への言葉です。


これが、私と精神病の出会いです。


当時の私は普通の会社員。


ココロとカラダの仕組みも何も知らなかった。


一体、何が起きているのか、さっぱりわからず


悪霊にとりつかれたのかと思いました。



あれから21年が過ぎ、最近の母の症状は


以前に比べればだいぶ軽くなり、


父の仕事もそれほど忙しくないので


入院せずに自宅療養で対応できるようになりました。


普通の人になったり、狂った人になったりを繰り返しています。


元気で普通にしていてくれれば嬉しくて、


繊細過ぎる母の心に負担をかけないように


心配させるようなことは言わないで、娘たちもとってもお祖母ちゃん想いで優しいです。


父も健康で、何不自由なく、生活の心配もない


理想的な老後だと、外から見れば思うのだけれど


母は時に、脳内で悲劇を創りだし、飲み込まれてしまうのです。


それがなぜなのか・・・・どんなに考えてもわかりません。


考えに考えて、私なりにつじつまを合わせて、何とか


自分を納得させる理論を勝手に創り上げて気持ちを修めています。



今はもう、母に元気でいて欲しいとか


心配をかけないようにしようとか


こうしたら良くなるかな? とか


病気にならないために、どうしたらいいか・・・とか


考えない事にしました。



こんな状況でも、私たち家族は幸せに暮らせているのは


今になって考えると、父と母の夫婦関係が揺らがなかったから・・・。


母がどんな状態になっても、父は淡々と、母に寄り添っていました。


一度だけ、父が私に「お母さんを初めて叩いてしまった」と


苦しそうに話してくれたことがあります。


冬の寒い夜、『隣の家が燃えている』という妄想にとりつかれた母は


パジャマ姿のまま、水をいっぱい入れたバケツを抱えて


外に飛び出そうとして、それを止めようとした父に激しく抵抗したので


父はおもわず頬を叩いてしまったそうです。



子供の頃、私は父に叩かれて育ちました。


私のことは何度も叩いたくせに、母のことをたった一度、叩いたことを


あんなに苦しそうに、悲しそうに話した父を見て、


口に出さなくても、態度に出さなくても、この人は母を愛しているのだな・・・と実感しました。



母がこのような病気にならなかったら、私は父の愛情を感じることはできなかったでしょう。


厳しかった父に、心を開けなかった私は、母が病気になることで


父との距離を縮めてくることができました。


今では、とても頼りにされています。


病気にならなかったら・・・わからなかったこと。


悟れなかった事。気づけなかった事がたくさんあります。


だから、きっと必要で意味があるから起こるのだと思います。


それでも、家族は傾かずに、幸せに暮らせている事が


奇跡であり、感謝です。



母のことがあったから、4年前に夫がうつ病になっても


パニックにならずに乗り越えることができました。



母の統合失調症と夫のうつ病・・・・


この経験は、どうしても私の人生につきまとう。


切り離すことはできないから、その経験を活かしていきたいと願っています。


すぐに形にならなくとも、いつか必ず・・・。