こんばんは。


今日から夫が長ーいお盆休みに突入です。


会社が休みだと、ますますオリンピック観戦で


昼夜逆転生活に拍車がかかりそうあせる



暑さと生活リズムの崩れで


なんとなく、常に眠い感じですガーン




さて、大津市のいじめによる自殺の問題から


他にもたくさんのいじめ問題が出ていますね。


あまりテレビを見ない私ですが


朝のニュース番組で、過去にいじめに遭った経験のあるタレントさんが


出演したりして、教育評論家の皆さまがお顔をそろえて


いじめられている子供たちへの対応を考えていました。


学校の隠ぺい体質はけしからんむかっ


教師の質の低下が問題だビックリマーク


などなど・・・


これらの問題を見るたびに、


一番追及すべきところは、いじめる子供たちの心理なんじゃないかな?と私は思います。



『いじめるココロ』の発端は、『単なる憂さ晴らし』


始めは、友達をからかって面白がる・・・くらいの事が


どんどんエスカレートして凶悪化していくのであって


昨日まで何もしなかった子供が


ある日突然、暴力や恐喝などの卑劣な行為に走るとは考えられません。


と言う事は、そうなる過程で食い止めるチャンスはあったのではないか・・・



そもそも、人間の本性として


人が喜んで嬉しいという心はあっても


人が泣き叫んで苦しんでいる姿を見て嬉しい・・・だなんて


無いと思うのです。


それがなぜ、同級生をそこまで追いつめて苦しめるココロになってしまうのか?


何が彼・彼女をそうさせたのか?



ヒトのココロが悪に転じるきっかけ・・・


その始めの一歩は『寂しさ』だと私は思います。


ないがしろにされている


頑張っても認めてもらえない


愛されるべき人に愛されていないと感じるココロ



その寂しさが、深く深く・・・深くなるにつれて


嫉妬、ねたみ、憎しみ、恨みになっていく。



そのようになる前に、誰かが、いじめる子供のココロの声に気づいて


その寂しさを埋められたなら、


そこまで凶悪化せずに済んでいたのではないか?


加害者がいなければ被害者もいないわけで


いじめる子供がいなければ


いじめられる子供もいなくなる。



生まれながらにして凶悪ないじめっ子はいないと思います。


その反面、ココロの根っこに『寂しさ』を抱え続けていけば


誰でもココロが悪に蝕まれていく可能性がある。


だから、いじめ問題は他人事ではなく


我が子がいじめられる立場にも


いじめる立場にもなりうると


親がキモに銘じる事が大切なのではないでしょうか?



いじめの問題は奥が深く


私個人の考えでどうこうできる事ではないけれど


子供同士がココロで殺し合うような世の中は


はやり大人の責任だと思うし、他人事にはできないです。




突き詰めていくと・・・


愛の問題ではないかと


私は思っています。